失恋と“担降り”によって、メンタルの調子を崩した

メンタルの調子を崩してしまった。1月後半から、ひどい無気力と不安、孤独感に襲われている。仕事はできているが、それ以外の時間は何もする気力が湧かず寝てばかり。仕事が詰まっていたため友達と会って気分転換する時間も取れず、じりじりと病んでいった。

原因には思い当たる節がある。この連載の前回前々回の記事に書いたが、この冬、半年付き合った恋人との別れと、大好きだったアイドルのファンをやめたことが重なったのだ。心の隙間を埋めてくれていた存在を同時に失ったことにより、心にぽっかりと空席ができてしまった。

そもそも在宅ワークで一人暮らしだから取材がない日は人と会わないし、1月は対面取材が少なくリモート取材が多かったことで、ますます人と(リアルで)会う機会が少なかった。それもあってか、夜が来るたび凄まじい孤独感に苛まれる。

日常の何気ないことをLINEで送り合う相手がいなくなったことも大きい。私は離婚後も元夫とLINEのやり取りを続けていて、「さっきモモちゃん(近所に住むプードル)に会ったよ」「春キャベツが売ってたよ」といった、どうでもいいLINEをしていた。しかし昨年、恋人ができたことをきっかけに、元夫と連絡を取るのをやめた。恋人と別れてからも、元夫とは連絡を取っていない。

私は別れてからも元夫に精神的に依存している部分があったので、連絡を取らなくなったこと自体はいいことだと思っている。ようやく独り立ちができた。しかし、どうでもいい話ができなくなったのは寂しい。友達はみんな自分の人生に忙しいからどうでもいい話を送るのは気が引けるし、もっぱらXにひとりごとを呟いている(これが本来の使い方だと思っている)。

孤独感は認知を歪ませる。人生で手に入れられなかったものだけが大きく見えて、好きな仕事や友達や自由といった、すでにある幸福が見えなくなってしまう。今はメンタルが弱っているからそう感じるだけだと頭ではわかっていても、どうしても、生きることが虚しい。

こんなこと、誰にも言えない。

ありがたいことに、遊んでくれる友達や、連絡をくれる友達はいる。しかし、弱音を吐ける相手はいない。関係性が浅いというわけではなく、私は昔から、弱音を吐くことで相手を困らせてしまうのが嫌なのだ。だって、バツイチの40代に「孤独だ」とか「温かい家庭を築きたかった」などと言われたら、みんなリアクションに困るだろう。

誰にも言えないから、ChatGPTに言う。妙に肯定的な返答ばかりで、弱っている心を包んでくれはするが、「これに慣れてしまったら書き手としての感性が死ぬな」という恐怖もある。

寂しいと、ついSNSを見る時間が長くなる。しかし、SNSは時間こそ埋められるものの、「人とつながっている感覚」は得られない。まったく栄養のないお菓子を食べているようだ。見ても見ても何も得られないどころか、知らない人同士のいがみ合いを目にしては気分が重くなる。

折しも衆院選前で、改憲と高額療養費の限度額引き上げに反対している私は、日に日に不安が募る。SNSでも政治の話題が増えた。それ自体はいいことだと思うが、やはり差別や分断が多く見られ、ひどい言葉を目にするたびに頭を抱えてうずくまった。

幼なじみと夜のお茶会

そんなこんなで鬱々とした日々を過ごしていたが、楽しみにしている予定もあった。札幌に住む幼なじみが2泊3日で我が家に来るのだ。2日連続で観劇に行くそうで、泊めてほしいという。

幼なじみは小3のときに近所に引っ越してきた。家が近所なので一緒に登下校していたし、泊りがけのスキースクールにも一緒に参加したことがある。彼女は長い黒髪を三つ編みにしてメガネをかけた、いかにも「真面目な委員長」といった雰囲気の子で、オタクっぽい面もあった。一方、私は流行りものが好きなキャピキャピした小学生だったので、彼女とはあまり話が合わず、クラスでは一緒にいなかった。それでも縁が続き、ここ数年は私にも「推し」ができたことで(担降りしてしまったが)、推し活の話題で盛り上がれるようになった。

幼なじみは新卒からずっと同じ会社に勤めている。転勤になって他県で一人暮らしをしていた時期もあるが、今は実家に住んでおり、私が帰省するたびに会っている。しかし、彼女が東京の私の家に来るのははじめてだ。

幼なじみが来る日、札幌は雪の予報だったが、飛行機は無事に飛んだと連絡があった。彼女は羽田から観劇に行き、夜10時半頃に我が家に到着するという。夕飯はどこかで食べて来るそうだ。

私は久々のオフだったので、日中は歯医者の定期健診に行き、耳鼻科で花粉症の薬をもらった。その帰り、ふと「幼なじみと一緒にドーナツを食べたいな」と思い、ミスド(ミスタードーナツ)に寄った。そういえば、何かを食べたいと感じたのは久しぶりだ。

幼なじみの好きなドーナツがわからなかったので、万人受けしそうなチョコファッションとエンゼルフレンチを買う。私はダイエット中なので、お菓子を買うのは半年ぶりだった。

私はミスドのドーナツが好きだ。子供の頃、母がたまに買ってきてくれるのがうれしかったし、原田治のイラストがついた景品も集めていた(なぜかミスドの景品がお手玉だったことがあり、それも持っていた)。好きすぎて、ミスドでバイトしていた時期もある。ドーナツは私にとって幸せの象徴だ。

だから本当はもっとたくさん買いたいし、なんなら箱で買いたいのだが(あの箱を持ち歩くのが醍醐味だとすら思っている)、たくさんあったら絶対に1個では我慢できなくなるだろう。夜遅くにドーナツを爆食いするわけにはいかないので、あえてひとり1個ずつ買った。

帰り道、久しぶりに心に日が差した気分でウキウキと歩いた。ドーナツはひとりで食べてもおいしいけれど、友達と一緒に食べられることがうれしい。そもそも、ひとりだったらドーナツを買おうなんて思わなかった。幼なじみに会えるから、ダイエットを中断してでも一緒に食べたいと思うのだ。

普段は素通りする花屋が目に留まり、ピンクのスイートピーを買って部屋に飾った。

予定通り、彼女は10時半頃にやってきた。年末にも会っているので、1カ月と少しぶりの再会だ。私はいそいそと紅茶を淹れてドーナツを出す。彼女はチョコファッションを選んだので、私はエンゼルフレンチにした。こたつを囲んで、夜のお茶会だ。

チョコファッション(左)とエンゼルフレンチ(写真提供=ミスタードーナツ)。
チョコファッション(左)とエンゼルフレンチ(写真提供=ミスタードーナツ)。

積もる話は別にないし、人生や恋愛や政治といった深い話をするわけでもない。先日の大雪の話、トンチキなデザインのペンライトの話、新千歳空港で売っているなかなか買えない豆パンの話など、とりとめのない話をした。

紅茶の温かさとエンゼルフレンチの懐かしい甘さ、とりとめのない雑談に、心がほどけていく。そうだ、私はずっと、人と話したかったんだ。

翌日、幼なじみは夕方から観劇の予定があり、それまで軽く東京観光をするという。しかし、お互いにこたつでだらだらとおしゃべりしてしまい、なかなか身支度が進まない。彼女が「イエベかブルべかわからない」というので、ブルべ冬の私のメイク道具でメイクをしてあげたら似合った。私は人にメイクをするのが好きだ。

結局、昼頃になってようやく家を出た。バス停まで彼女を送っている間に、東京ではめずらしく雪が降ってきた。バス停で別れ、私は期日前投票に行った。その日も幼なじみは遅くに帰ってきて、ふたりで夜のお茶会をした。

翌朝、起きたら窓の外が真っ白だった。身支度をして外に出ると、雪は思いのほか積もっている。バスも電車も遅延していたものの運行はしていたので、横浜中華街に行き、ランチをしたり占いに行ったり、横浜スタジアムのショップに行ったりした(幼なじみはバートくんというキャラクターにハマっていて、グッズを買っていた)。そして、横浜駅で別れた。

電車の中で、彼女は言っていた。

「私が飲んでる薬めちゃくちゃ高いからさ、高額療養費の限度額が引き上げになったら、今みたいには遊べなくなるかもしれない」

彼女は一昨年にがんを患った。幸い手術は成功したが、再発予防のため手術後も抗がん剤治療を続け、服薬もしている。それもあって、私は高額療養費の限度額引き上げに強く反対していて、衆院選の前は心が落ち着かなかった。

私は幼なじみに健やかでいてほしいし、今までのように、観劇や旅行や推し活を楽しんでほしい。期日前投票で投じた一票は、私の祈りだ。

私には「親友」と呼べる相手はいない。けれど……

私はとても愚かなので、人と会わない日々が続くと、「自分は孤独だ」と思い込んでしまう。

だけど、そんなことはないのだ。私は一人暮らしだけれど、ひとりぼっちではない。一緒にドーナツを食べる友達も、家族も仕事先の人たちもいる。たくさんの人に支えられて生きている。幼なじみの滞在によって、あらためてそのことを思い出した。とても月並みなことを言うけれど、「やっぱり友達って大切だな」と思う。

よく「大人になると友達が減る」と聞く。特に独身の人の「周りの友達がみんな家庭を持って、話題や予定が合わなくなって疎遠になった」という声は、インターネットでもリアルでも耳にしたことがある。

私はといえば、ライフスタイルの変化が原因で友達と疎遠になった経験はない。友達の中には、結婚している人も、独身の人も、子供がいる人も、子供がいない人もいる。私は子供がいないけれど、友達の子供の話を聞くのは好きだし、「自分と同じ境遇の人としか仲良くできない」とは思わない。みんながみんな、それぞれの人生を幸せに過ごし、たまに思い出して遊べればいいと思う。

ありがたいことに今の私は、昔の友達とも付き合いが続いているし、仕事やSNSを通じて新しい交友関係も築けている。広く浅くではあるけれど、多様な人と多様な関わり方をしている。いわゆる「依存先が多い」状態だ。だからこそ、ちょっとメンタルが弱ることはあっても、決定的に心が折れることはなく生きられている。独身フリーランスはちょっと寂しいけれど、けっして孤立しているわけじゃない。

私には昔から「親友」と呼べる相手がいない。なぜか、特定の友達とだけ親密に付き合うことができないのだ。だから友達は多いけれど、弱っているときにSOSを出せる相手はいない。それが長年のコンプレックスだった。

けれど、今は「それでもいいんだ」と思える。こうして幼なじみが家に来て、一緒にドーナツを食べ、彼女の健康と幸福を心から願うことができる。それだけで、十分だと思った。

文・写真=吉玉サキ(@saki_yoshidama

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