行基作と伝わる観音像を安置する
正光寺は北本通り(国道122号)の一本裏道に立つ。山門の手前に「大観音」「正光寺」と刻まれた2本の石柱が立ち、その両脇には松を植えた坪庭がある。石畳の参道は山門をくぐって真っ直ぐに岩淵世継大観音まで伸びる。この山門を中心とした景観が美しい。境内ではケヤキの大樹を中心に、本堂、観音堂、岩淵世継大観音などが立つ。
正光寺は、正しくは天王山淵富院正光寺といい、良忠上人(りょうちゅうしょうにん)を開山として、およそ800年前の鎌倉時代に創建された浄土宗の寺。一時衰退するが、慶長7年(1602)に小田切重好(おだぎりしげよし)と眞譽龍湛上人(しんよりゅうたんしょうにん)によって現在地に転地後再建され、重好の法号にちなんで正光寺と改められた。
本尊の阿弥陀如来は、奈良を中心として活躍したた春日仏師の作であると伝えられ、観音堂に安置されている観音像は頼朝公守本尊といわれ、行基の作と伝えられている。
荒川の氾濫や疫病から逃れるため、地元民が金品を出し合って建立した大観音
本堂横に立つ高さ10mほどの岩淵世継大観音は明治3年(1870)の建立。荒川が「荒ぶる川」と呼ばれていた頃、人々は度重なる洪水や洪水の後に起こる疫病に悩まされていた。
大観音は、水害や疫病から逃れる祈願と、亡くなった人を供養するために、地域の住民たちがが金品を出し合って造ったものだ。寄進されたものには、銅鏡が100枚余のほか、銀のかんざしや金の指輪もあったという。
本堂焼失の後、法然上人八百年大遠忌を記念して本堂再建
鎌倉時代から約800年の歴史を刻む正光寺。岩淵地区で一番古い寺で、かつては縁日の植木市で賑わった。
しかし、昭和54年(1979)にホームレスの失火により本堂を焼失。以後、しばらくは再建されなかったが、2010年に浄土宗開祖の法然(ほうねん)上人八百年大遠忌を記念して本堂建立が決まり、2011年に本堂をはじめとする諸堂が再建された。
したがって現在の建物はすべて近年のものである。焼失という厳しい歴史を乗り越えたからこそ、現在のような美しい姿が守られているのだと思う。
取材・文・撮影=塙広明