粗削りの芸の中に原石あり!? 浅草に駆け出し芸人が活躍できる劇場を
浅草六区通りの名物風景といえば、若手芸人によるチラシ配りだ。手に取れば『浅草リトルシアター』の「爆笑! お笑い六区」出演者たちがキャラ炸裂(さくれつ)の似顔絵で一堂に介している。
早速、狭い階段を上がると、日がな一日お笑いが見られる小さな劇場が口を開けていた。毎時ジャストのオープニングトークに始まり、芸人が入れ替わり立ち替わり登場して、毎時50分ごろのエンディングトークでひと区切り。1日に平均3〜5回の出番で毎回ネタを替える芸人が多く、たとえ初見が微妙でも、次で腹をよじることもあって、1回転だけ見て帰るなんてもったいない!
この小屋を作ったのは浅草に暮らす演劇プロデューサーの山口六平さんだ。「本業で大失敗して、再起をかけて一人芝居や二人芝居の芝居小屋を作ろう思ったの。そこで見つけたのがココ。でも演劇でロングランするのは至難の業でね」。そんな時、近くの五差路で歌う芸人に出会った。聞けば、駆け出し芸人たちに立てる舞台はないという。
「浅草は芸人の町でしょ。俺、芸人好きだからさ」と、ノルマなし、ギャラなし、呼び込みは自分たちで、という決まりにして、2008年に浅草に殴り込み。初回は3組の芸人のみだったが、ひと月後には15組に増え、今や約100組が登録。のべ1000組以上が舞台を踏んでいる。
「最初の頃は若手芸人のための劇場なんて、鼻でヘッて笑われてましたよ」。ところが、深夜のお笑いテレビ番組『あらびき団』が人気を博し、荒削りでも、斬新でユニークな芸が世間に認知され、面白がる人が増えたという。「あの番組はありがたかったね。うちはうまくなるために場数を踏み、客の目にさらして、認めてもらう場ですから」。
芸人はみな同期や先輩の紹介などで門戸を叩(たた)く。舞台に上がるには、養成所卒業かプロダクション所属が条件だ。「うちはあくまで劇場。芸人の心得を学んでいることが前提です」。
音響も照明も運営も、芸人の手で行う修練の場
多忙を極める山口さんの片腕として芸人たちも自ら動きだした。ピン芸人のくりぼーさんは、増え続ける芸人の舞台スケジュールを取りまとめる運営の要。「MCができない若手のため」にオープニングトーク、エンディングトークに抜擢(ばってき)したり、音響、チラシ配りなど、当日出演の芸人たちで舞台を回す算段を行う。
最終回特別の基本6組前後による団らんトークに選抜するのは「今日がんばった芸人たち」だ。同じくピン芸人のゴト珍さんは「ここは出会いと挑戦の場。チラシを手渡した人が、別のライブにも顔を出してくれるようになったりしますから」とにっこり。
若手の奮闘を楽しみに客は全国から集う。かくいう担当編集のN島は「チラシを受け取った小学生の時から、折々に地元名古屋から父と通ってました」と白状。すると山口さんは「遠方から家族で通う常連さんは少なくありません」と目を細めた。
芸はどれも荒削りながら、M-1予選を勝ち抜くため、出番のたびにネタをブラッシュアップするコンビもいて、舞台は挑戦に満ち満ちている。しかも、日を変えれば顔ぶれが変わり、笑い飛ばした爽快感もあってクセになる。推し芸人が見つかれば、もうトリコ。彼らが芸達者になるその日まで、ずっと見届けたくなる。
芸人たちに聞く! あなたにとって『浅草リトルシアター』とは?
ながたけんさく
「何回も何回も叩きのめされるけどあったかい」
梅田元気よく
「いろんな芸人さんともお客さんともつながれて地元っぽい」
おなご
「めっちゃ楽しいとこ。芸人仲間とも出会えて、ここにきて成長できた」
ひょんひょろ
「成長していける場。いろんな形の笑いがあって勉強になる!」
取材・文=林 さゆり 撮影=山出高士
『散歩の達人』2025年12月号より






