「ヌエの宮」青木神社

横浜市港南区にある上大岡駅の商店街のそばを流れる大岡川には、青木橋という橋がかかっています。

橋のたもとの青木神社は「ヌエの宮」と呼ばれている、不思議な話が伝わる神社です。

ずっと昔、青木神社は現在の場所ではなく、もう少し大岡川を遡った場所にありました。

ある年に大雨が降り続き、土砂崩れを起こして周辺の家や畑は大きな被害を受けたといいます。

雨があがって住民がほっとしたその時、これまであった場所から東の岸に青木神社がそっくりそのまま移動しているのを見つけ、人々は仰天しました。

自分たちの村の氏神が隣の村に行ってしまうと大問題なので、皆で相談してもとの場所に神社を戻すことにします。

何日もかけてもとの場所に神社を戻し、人々は喜びました。しかし次の日、なんと神社はまた東の岸に戻ってしまっているのです。

何度神社の位置を戻しても、夜が明けるとまた東の岸に戻る。不思議な現象に人々は首をかしげるばかり。

あんなに大きなお宮を一晩で動かすのはきっと妖怪「ヌエ」の仕業だと思い、村人たちは恐怖におののきました。

村の皆で相談し、もう神社を取り戻そうとするのはよそうと決め、青木神社は現在の場所に落ち着いたのだそうです。

フィールドワーク①上大岡駅から青木神社へ

横浜市営地下鉄の上大岡駅の6番出口から地上に出て、早速青木神社を探しに大岡川のあるほうを目指します。

上大岡駅の周辺にあるメイン通りは交通量だけではなく人も多く、にぎやかな印象。

駅前は特に、「ヌエが運んだ」と噂された神社がある土地とは思えない明るさです。

さて、ここで青木神社に伝わるお話の重要なキーワードである「ヌエ」について少し調べておきましょう。

ヌエは漢字で「鵺」「夜鳥」「奴延鳥」などと書かれる、日本に古くから伝わる妖怪です。

平安時代には存在が知られていたようで、『平家物語』にも源頼政によるヌエ退治の説話が登場します。

また、兵庫県芦屋市には川に流されたヌエを葬ったといわれる鵺塚(ぬえづか)があり、京都の二条公園には『平家物語』でヌエ退治をした源頼政が血のついた矢を洗ったとされる鵺池(ぬえいけ)があるなど、京都を中心とする関西地方にはヌエに関連する史跡が多く残されているようです。

文献によりその姿形は異なりますが、一説によるとヌエの顔は猿で、体はタヌキ、足は虎、尻尾は蛇の形をとっているとされ、大変気味の悪い声で鳴くそう。

大岡川に到着しました!

フィールドワーク②謎に包まれた神社の歴史

青木橋を探してみると、いま自分が立っている橋がまさにそれのよう。

もっと大きい橋だと勝手に想像していたのですが、実際はささやかでコンパクトな長さ・幅の橋でした。

そしてこの橋の向かい側にあるのが、ヌエが運んだと噂されてきた青木神社です。

こちらが青木神社。
こちらが青木神社。

小さな敷地に社務所、本殿、鳥居などがあります。

取材時はどうやら修復工事中だったようで、本殿には近寄れず。

青木神社の鳥居。
青木神社の鳥居。

現在のこの青木神社があるのは、港南区大久保という地域です。

資料によると、青木神社は港南区大久保と、隣町の港南区最戸の両方を鎮守する神様だそう。

かつては武蔵国久良岐郡多々久郷(現在の横浜市南区と港南区の一部に当たる地域)が分かれてできた弘明寺村、中里村、別所村、最戸村、久保村、引越村の六つの村の総社(複数の地域の祭神をまとめて祭った神社のこと)だったのですが、青木神社が総社となった年月や経緯の詳細ははっきりわかっていないとされています。

大岡川。
大岡川。

1786(天明6)年の洪水の際に大岡川の流れが変わってしまい、青木神社の本殿が上大岡側に取り残されたといわれていますが、青木神社はもともと対岸の山上にあり、大岡川の洪水による土砂崩れで社殿が押し流され、現在の場所に到達したという説もあるようです。

冒頭にご紹介した民話の「ある年に大雨が降り続き、土砂崩れを起こして周辺の家や畑は大きな被害を受けた」という話から察すると、後者の説のほうが有力なのかもしれないと個人的に想像しました。

調査を終えて

ヌエの話を聞いておどろおどろしい雰囲気の場所なのだろうかと思っていましたが、訪れた青木神社は冬のさなかだったこともあり、周囲にある大きな木々の葉はわりかし落ちていて、それほど暗いイメージは受けず……。

しかしそれでも、青木神社には独特の静けさというか、人ではない何らかの存在が居る気配というか、「不気味」とはまた違った張り詰めた空気を感じました。

大岡川のほとりに佇む青木神社。賑やかな駅から離れていないのにとても静かなその場所で、漂う謎の気配をじっくりと感じたひとときでした。

取材・文・撮影=望月柚花

 

【参考文献】

『港南の歴史』港南の歴史発刊実行委員会