和食の匠がつくる“イモの煮っころがし”

おばちゃんの作る“イモの煮っころがし”の真髄に近づくには、まず実際に作ってみなければ…。そんな計画に際し、その道のプロに調理をお願いした。和食ひと筋40年、元有名ホテルの総料理長にして、現在、浅草で『和食 季(とき)』を営む吉田昌弘さんである。

取材にご協力いただいた『和食 季(とき)』ご主人・吉田昌弘さん。
取材にご協力いただいた『和食 季(とき)』ご主人・吉田昌弘さん。

さっそく調理にかかってもらう。まずは材料。一部では「ジャガイモではないか…」という説もあるが、一般的に考えてここはサトイモを使用。今回はとくに産地やブランドにはこだわっていない。おばちゃんもきっとそうしたことだろう。

おばちゃんも冷凍モノは使ってなかっただろうな~。
おばちゃんも冷凍モノは使ってなかっただろうな~。

次に皮をむく。「おそらくおばちゃんはここまで丁寧にむいていないでしょうね」(吉田さん)と、ここは板前らしく六方剥きにする。

おばちゃんは、丁寧に六方剥きをしていただろうか?
おばちゃんは、丁寧に六方剥きをしていただろうか?

むき終わったら、さあ煮付けかと思いきや、そうではない。

「一般の家庭ではこのまま煮ちゃうのではないでしょうか」という吉田さんは、すぐにはサトイモを煮ずにまず下茹でをする。

「こうすると煮崩れせず、ほどよい歯応えが残るんです」

下茹でというひと手間で、グンとレベルアップします。
下茹でというひと手間で、グンとレベルアップします。

また、下茹ですることで、その後の煮付けの時間が10分ほど短縮できるという効果もあるとか。店に家庭に何かと忙しいおばちゃんのこと、ましてや電子レンジなど無い環境で、こんな時短テクニックを駆使してたとしても不思議じゃない。

寅さんは濃い目がお好き

さて、串がスッと通るくらいに茹で上がったらいよいよ煮付け。味付けは、鰹出汁に、濃い口醤油、砂糖、みりん。

「地域からすると、味付けは濃い目だったんでしょうね」

と、吉田さん。葛飾区のお隣、足立区綾瀬で生まれ育っただけに地元の味の嗜好を熟知している様子。団子職人のおいちゃん、印刷工の博ら準肉体労働者向けに、腹持ちのいいスタミナ食であっただろうことを考えると、味は濃い目で間違いなさそう。また寅さんも関西風の薄味が口に合わず、せっかくの料理に躊躇なく醤油をかけたりしていることからも(第27作)、濃い目の味付けが寅さんにとってのお袋の味、ふるさとの味でもあると推察できる。

調理中、鍋からは深いコクを含んだ香りが立ち上る。煮汁はやけに少なめで、鍋の中で転がすようにサトイモに煮汁をからめつつ水分を飛ばしている。そうなのだ。これはたっぷりの汁でグツグツ煮る“イモ煮”ではなく“煮っころがし”なのだ。

転がしながら水っ気を飛ばす。これが煮っころがし!
転がしながら水っ気を飛ばす。これが煮っころがし!

恥ずかしい話だが、これまで何度となく「男はつらいよ」シリーズの“イモの煮っころがしシーン”を観てきた者ながら、“イモの煮っころがし”と“イモ煮”とを同一視していた。この愚かなマニアをゆるしてやっておくんなさい。

“煮っころがし”には理由がある!

「別に映画のシーン的には“煮っころがし”でも“イモ煮”でも変わらないじゃん」という声もあろうが、それも違う。

吉田さんは言う。「基本的にお総菜は汁からダメになるものなんですよ。その点、“煮っころがし”は鍋で転がしながら汁っ気を飛ばすわけで、そもそも味付けは濃い目。つまり日持ちする料理と言えます」

「イモの煮っころがし」出来~。光沢ある照りが「イモ煮」との違いでありプロの技。
「イモの煮っころがし」出来~。光沢ある照りが「イモ煮」との違いでありプロの技。

おおー、なるほど。そう言えば、「とらや」において家庭用の冷蔵庫の存在は確認できない(店に飲料用のものは有り)。まあ、少なくとも先進の家電製品が極端に似合わない家庭ではある。これじゃあ、残り物の保存に困る。

また、冷蔵庫の有無はさておき、昭和40~50年代の一般家庭じゃ、残ったオカズの類いは冷蔵庫に入れず、茶箪笥なんかに入れておくことが多かったような気がするなあ。

「さあお食べ。昨日の残りだけどね」なんて具合に、翌日の食卓に並んだり…。そうした状況では、ほとんど汁気がなく日持ちする「イモの煮っころがし」は、多忙なおばちゃんにとって重宝するメニューだったハズだ。

おばちゃんの「イモの煮っころがし」と同じかはさておき、味が上品で食感が心地よくて美味です。
おばちゃんの「イモの煮っころがし」と同じかはさておき、味が上品で食感が心地よくて美味です。

以上の情報を総合すると、「とらや」における“イモの煮っころがし”は、「寅ちゃんの好物」であると同時に、

・時短調理で忙しいおばちゃんに好都合
・腹持ちがよく、濃い味が昭和の労働者の家庭のスタミナ食に最適
・汁気が少なく濃い目の味付けで、そこそこ日持ちする

という点を見事に具有している一品と言える。

「貧しいねぇ」(第10作)なんて言っちゃあいけねえよ。

“イモの煮っころがし”には、寅さんにとって、「とらや」にとって、また作品の時代背景として、大きな存在理由があるのだ。

 

【箸休め】 所帯持つなら“イモの煮っころがし”的女性?

好物の“イモの煮っころがし”から、ふと寅さんの恋愛観を空想する。

“煮っころがし”を筆頭に“がんもどきの煮たの”や“おから”“焼き茄子”などなど、日常「とらや」の食卓を彩った品々。これらは決してごちそうではないが、レトルトでもなく、冷凍食品でもなく、おばちゃんが食す人の気持ちを慮りつつ、制約の中こしらえた日常のメニューだ。

その一方で、毎度毎度寅さんが憧れ惚れフラれる美人たちは、料理に例えれば特別な“ごちそう”。おいちゃんに言わせれば「ひと月かふた月に一度、大騒ぎして食べる」(第17作)ウナギみたいなもので、目移りはすれど、毎日食えたもんじゃない。リリーも、ゴクミも、毎日食ってりゃ、そりゃあ飽きる!

結局そのことに気づかず、多くの場合、寅さんの恋は結実しないのは周知のこと。

……寅さん、“ごちそう”より「とらや」の食卓のような女性のほうがお似合だったんじゃないの?

“イモの煮っころがし”を目の前に、つい問いかけたくなる。

こんな日常の味の魅力に寅さんが気づいていたら…。
こんな日常の味の魅力に寅さんが気づいていたら…。

取材・文・撮影=瀬戸信保

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和食 季(とき)
この道40年の料理人による本格的和食が居酒屋料金で堪能できます。“イモの煮っころがし”をご所望の場合は予約を。
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