オフィシャルな案内表示を補完する「野良サイン」
駅構内で出口や乗り場を示す案内表示には、オフィシャルに制作されたものの中に、駅職員が独自に手作りしたものが混ざっている。ちかくさんはそのような手作りの案内表示を「野良サイン」と呼び、鑑賞を続けている。
「大学生の頃、気になって写真を撮るようになりました。もともとオフィシャルな案内表示のデザインを見るのが好きで、高校時代から通学電車で『この路線はこういうフォーマットのサインなんだな』といったことに注目していたんです。大学ではデザインを学ぶ学科に所属し、サインシステムの専門書を眺めて楽しんだりもしていました。様々な駅を見て回るうちに、駅員さんが自由に作ったらしき手作りの案内表示の存在に気づくようになりました。
そのような手作りの案内表示はちゃんと記録されているわけではありませんし、鉄道会社が管理しているわけでもありません。誰も記録していないものだからこそ、写真で残したら面白いのではないかと思い、撮り始めました」
野良サインは、駅の構造が分かりにくかったり複雑だったりと利用者が迷いやすい場合、オフィシャルの案内表示を補完するように発生する。
例えば写真は、国会議事堂前駅の構内だ。乗り場や出口を示す様々な案内表示があるが、よくよく解読してみると、公式のサインと、駅職員が制作したであろう「野良サイン」が入り混じっている。
「ここは野良サインがいっぱいある場所で、勝手に『名所』だと思っています(笑)。手前の階段を登ると丸ノ内線のホームに行けるんですが、奥の階段を登ると出口に出てしまいホームにはつながっていないんです。結構迷う人が多いんだろうなというのが、野良サインから読み取れます」
上記の丸ノ内線の場合はオフィシャルなデザインに寄せた雰囲気だが、巣鴨駅の場合は勘亭流の書体が用いられたりと、駅によって雰囲気が異なるのが楽しい。
「勘亭流の書体が、巣鴨という土地柄を反映していますよね。巣鴨駅も構造が入り組んでいて、改札口や切符売り場の位置が分かりづらいんです。写真は2009年頃に撮ったものですが、そこから駅の構造が変わったわけではないので、今でも野良サインは形を変えて残っています」
人間味の漂う表現方法が魅力
時代が移り変われど、駅が迷いやすい構造をしている限り、野良サインは発生し続ける。バリエーション豊かなデザインから、必要な情報をどんな人にでも分かりやすく正確に伝えるための試行錯誤が読み取れる。
「他には、現物の案内表示を写真に撮って、原寸に近いサイズで出力して貼ったタイプもあります。時々、写真が暗くて見えづらいものや、丸い柱に貼られた表示をそのまま写真に撮って、さらに丸い柱に貼っているので歪んでいるものもあって。こういったタイプは割と好きですね」
このように、野良サインは制作方法にどこか人間味が漂うところが魅力の一つだ。
「既存の案内表示をそのまま写真に撮ってしまったり、目立たせようとA4サイズの紙を10枚くらい並べてあったり。オフィシャルなサインでは絶対にないだろうなという、人間味あふれる表現に惹かれてしまいますね。何枚も並んでいたりすると、つい視線が止まってしまいますよね。そうするしかなかったんだろうな、という試行錯誤を感じてしまいます」
銀座線の野良サインを3年おきに定点観測
ちかくさんは、野良サインの観察を始めた2009年から、3年おきに銀座線の野良サインを定点観測している。
「野良サインが気になり始めた当時、どこか路線を絞って集中的に観察しに行こうと考えました。銀座線は歴史が長く、駅の構造も古いため分かりづらさがあり、野良サインが多いのではないかと推測したんです。実際に見に行ったところ、予想は当たっていました。それ以来、1日乗車券を買って19駅すべての駅に降りて野良サインを観察する、というのを3年おきにやっています。
最初は1日で全駅回っていましたが、年々体力が衰えてきているので、最近は2、3日に分けて観察しています」
「例えば写真は、青山一丁目駅で見かけた野良サインです。2012年は筆書き。今はあまり見ませんが、昔の地下鉄は、このように筆書きで書かれた野良サインが多かったようです。一方最近になると、言葉ではなく直感的な図に移り変わっていっていますね。青いお知らせのボードは変わらず、また書かれている『大江戸線はこちら』という情報も同じですが、表現方法が変わっています。
駅員の方の代替わりが、この3枚で見えてくるようです」
「末広町も同様で、書いてある内容は基本的に同じですが、表現方法が年々変化しています。写真の改札口は、上野・浅草方面のホームには通じていますが、渋谷方面のホームにはつながっていません。また連絡通路で通り抜けることもできないので、一度間違った改札に入ってしまったら終わりなんです。
入場取り消しの手続きが発生しないよう、『連絡通路はありません』という野良サインで予め先手を打っているんでしょうね」
『出口A8』『D3閉鎖中』といった案内が、奥ゆかしいサイズで貼られたものもある。
「銀座線は、天井が低い駅が結構多いんです。天井に吊り下げられた案内表示と通行人との距離が近いので、小さくても読めるだろうということで、こんなサイズになったのか。銀座線の特徴を表しているようで面白いです」
このように、時代が経過しても、駅の構造が大きく変わらない限り、野良サインは発生し続ける。
「世代と駅との掛け合わせで、全く作風が異なります。そのときに駅で働いていた人の作風が反映されているんでしょうね。統制が取れていると思えばガラッと変化したりもして、一貫性がないところがユニークですね」
駅でよく見る「丸ゴシック体のサイン」の正体が判明!
様々な駅で野良サインを鑑賞してきたちかくさん。記録をはじめた当初から、駅でよく見かける「丸ゴシック体のサイン」が気になっていたという。
「野良サインを見始めた頃から、パソコンで使えるフォントではなさそうな、駅でしか見かけない丸ゴシック体があることが気になっていました。少しアンバランスな、味わいのあるところが魅力で。
気になり始めて10年ほど経ったころ、『よし、調べてみよう!』と思い立ったんです。おそらく業務用の機械があるのではないかとあたりをつけてネットで色々と調べてみたところ、『マックス』という事務用品メーカーが出している『ビーポップ』というサインプリンタの機器で出力した書体だということがわかりました」
通販サイトの画像で、機器が吐き出す書体を見て、「これだ!」と特定したというちかくさん。なんと、自身で機器まで手に入れたという。
「1990年代に発売開始した機器で、業務用として、工事現場など様々な会社で導入されているようです。専用の印字ソフトを使ってパソコン上で文字やピクトグラムを配置し、USBでつないで、シートとインクリボンの色を選んで印刷するといった仕組みです。
この機器の存在を知ったことで、今まで気になっていた書体はビーポップで作られたものだったんだ、とわかりました」
「印刷には、専用のシートやインクリボンを用います。ビーポップでしか使えない純正品で、値段も高いので、『この駅は青ばかり使っているな』『この駅はシートのバリエーションが充実しているな』といったことまで見えてくるようになりました。機器を自分でも手に入れたことで、解像度がグッと上がりましたね。自分でも少しずつシートやインクリボンを買い足していくうちに、家がビーポップだらけになってしまいました(笑)」
機器を手にしたことで、ビーポップで作られた書体が「見える」ようになったというちかくさん。駅だけでなく、街中にもビーポップで作られたと思しき書体が潜んでいるという。
「ビーポップという商品自体、駅だけでなく、工場の生産ラインなどバックヤード向け全般で活用されているようです。街中だと、公共施設や郵便局、あとなぜかクリーニング店で、ビーポップの書体をよく見かけます。
また、『この自治体はビーポップを使いこなしているな』といった地域性も見えてくるようになりました」
このように、野良サインからはじまって、特定の書体を掘り下げるにまで至ったちかくさん。
「いまの時代、どんなフォントでも気軽に買える時代ですが、『この機器でないと使えない』という書体があることに惹かれるものがありますね」
最後に、これから野良サインを楽しんでみたいという人に向けて、見つけて楽しむためのコツを伺ってみた。
「『野良』か『公式』かどうかに関わらず、案内表示自体、特段気に留める人はそこまで多くないのではないかと思います。まずは実用性ではなく、見た目の面白さといった観点で案内表示を見てみると、少し違った角度から楽しめるのではないかと思います。気になったサインがあれば、たとえば周囲を見渡してみて、『なぜこんな見た目になってしまったのか』を考えて、背景を想像してみると面白いのではないでしょうか。
また野良サインだけでなく、その周辺にも面白いものが結構あります。例えば『散歩道場へようこそ』に登場した中だと、駅の矢印や路線図、ポスター跡やカラーコーンなどは、野良サインの周辺でよく見られるもの。周囲のものにも注目してみると面白いですね。
まずは、ご自身が普段使っている最寄り駅を違った視点で見てみるのがおすすめです」
取材・構成=村田あやこ
※記事内の写真はすべてちかくさん提供