はんぺんと魚すじ

東京は古くから多くの魚が集まっている。江戸時代から昭和初期にかけては日本橋魚河岸、平成30年(2018)までは築地市場、そして現在は豊洲市場(東京都中央卸売市場)と、全国から集まるさまざまな種類の魚を取り扱っている。

一立斎広重著「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」国立国会図書館。
一立斎広重著「東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図」国立国会図書館。

冷蔵、冷凍技術が未発達であった時代、蒲鉾は市場で売れ残った魚を集めて作られていた。そのため、東京の蒲鉾職人は全国から集まる多種多様な魚を取り扱うノウハウを獲得しており、現在でも受け継がれている。

原料魚にはアオザメ、メジロザメ、ホシザメなどが含まれ、それらのサメ肉ははんぺんの原料にもなった。

東京のはんぺんは「浮きはんぺん」と呼ばれるもので、気泡を含んでいるため液体に入れると浮くことからそのような名前が付いた。サメ肉は気泡を含みやすく、山芋などを加えてお湯に浮かべて加熱することで、ふわふわの食感を作り上げている。

全国にも「はんぺん」と呼ばれる練りものはあるが、東京のものとは異なるものが多い。例えば、静岡の黒はんぺんはイワシなどの青魚を用い、東京のはんぺんに比べて固めの食感となる。広島など西日本では揚げ蒲鉾(さつま揚げ)をはんぺんと呼ぶ地方もある。東京のはんぺんに近いものに大阪のあんぺいがあるが、こちらはサメではなくハモを使用する。

梅素薫案「東京自慢名物会」(明治29年)に描かれている神茂:東京都立図書館。
梅素薫案「東京自慢名物会」(明治29年)に描かれている神茂:東京都立図書館。

現在では日本橋の神茂のみとなっているが、かつて東京でははんぺん製造のみを行う蒲鉾店が多くあった。最近はスケトウダラなどを用いるメーカーが増えたが、神茂ではアオザメとヨシキリザメを使用し、昔ながらの手法で製造している。

揚げ蒲鉾を主体としながらもはんぺんを手づくりする蒲鉾店もたくさんあった。東京都蒲鉾水産加工業協同組合(以下、東京蒲鉾組合。2022年解散)ではかつて築地市場に「サメ部」と呼ばれる施設があり、サメ肉を各店に提供していた。また、江戸時代から続くはんぺんの製造技術を研究し、東京の伝統の味を広めようとしていた。現在、はんぺんは全国に普及しているが、東京の蒲鉾職人たちの努力が身を結んだ結果ともいえる。

魚のすじも東京ローカルの練りものだ。はんぺんで使用するサメ肉の余った部分をすり身にし、整形して茹でたものだ。こりこりとした軟骨の食感とサメのうまみが詰まったすり身が味わい深く、おでんだけでなくわさび醤油をつけてそのまま食べてもおいしい。

サメの肉やすじを用いた魚のすじ。
サメの肉やすじを用いた魚のすじ。

かつては東京で「すじ」といえば魚のすじを指したが、西日本からやってきた牛すじに取って代わった。はんぺんと同様に手づくりするお店は減ってしまったが、現在も数軒が製造している。

現在は千葉県銚子産のはんぺんや魚すじがおでん種専門店に並ぶことが多い。はんぺんは嘉平屋、魚すじは糸川商店が有名だ。

ちくわぶ

東京ローカルのおでん種として、最も認知されているのがちくわぶだ。TVなどを通じてちくわぶ料理研究家の丸山晶代さんが紹介し、注目を集めている。

ちくわぶの発祥や由来を記す文献というのはほとんど存在せず、諸説が存在する。「ちくわの代用品」として生まれた説、魚のすり身を蒸してつくる「白ちくわ」の代用品だという説(参考:日本かまぼこ協会「ちくわは焼くだけのものに非ず」)、生麩を模してつくられたという説などがある。

小麦粉と塩、水のみで作られるシンプルな食材だが、ミルフィーユ状に巻かれた隙間に汁が染み込み最高の味わいとなる。また、煮込み具合によって食感が変化する奥の深い食材だ。

ちくわぶの由来の候補のひとつ、つと麩も東京発祥の食べものだ。つと麩は東京の生麩として江戸時代から親しまれており、日本橋弁松や令和2年(2020)に閉業した木挽町辨松の折詰弁当に入っていた甘煮が有名だ。つと麩の「つと」は「苞」と書き、これは「包む」と同語源になる。

つと麩をおでんに入れることもあるが、つと麩自体を見かける機会は少なくなった。現在は生麩やこんにゃくの専門店である大原本店や角山本店が製造販売している。

カレーボール

カレーボールは魚のすり身にカレー粉を混ぜて団子状にしたおでん種だ。東京では北区や荒川区などの城北エリア、葛飾区や江東区などの城東エリアで親しまれている。

カレーの豊かな風味がすり身とよく合い、おでんにせずにそのまま食べてもおいしい。親しみやすい味つけのため、子供にも人気のおでん種だ。

カレーボールは千葉県銚子の嘉平屋が開発したといわれる。千葉県銚子市西小川町にあった嘉平屋の工場(現在は移転)で、磯揚げ(揚げ蒲鉾)の原料となる魚のすり身にカレー粉を入れて作り出した。

カレー粉をすり身に混ぜるという発想は嘉平屋だけのものではなかったかもしれないが、販売開始当初は類似品はなく、先々代が最初に「カレーボール」と命名したと先代に伝えたのだという。

にくまん(フライ)

にくまんは荒川区南千住のローカルおでん種だ。にくまんから派生したフライ(フライ揚げ)も存在する。

南千住6丁目の「手打ちそば処 いし井」のにくまん。
南千住6丁目の「手打ちそば処 いし井」のにくまん。

にくまんは魚のすり身に衣をつけて揚げたもので、いわゆるフィッシュカツの部類に入る。にくまんの発祥は荒川区のジョイフル三ノ輪にあった神崎屋というおでん種専門店といわれている。足立区の西新井が発祥といわれるローカルフード、文化フライ(小麦粉とガムシロを練り合わせたものに衣をつけて揚げ、ソースをかけたもの)を真似て作ったそうで、肉が不足していた戦後復興期に子供を中心に人気を博したそうだ。

正式名称は「フライ」だったが、子どもたちが「にくまん」というあだ名で呼んでいたことにより、その名称が定着したといわれている。南千住の隣の荒川2丁目で営業する丸石蒲鉾店では「フライ(にくまん)」、北千住のマルイシ増英では「フライ揚げ」という名で販売している。

玉子巻(バクダン)

玉子巻(バクダン)は鶏卵を魚のすり身で包んだ揚げ蒲鉾だ。長崎県では龍眼、長崎県平戸市ではアルマドと呼ばれている。

発祥は定かではないが、東京蒲鉾組合が発行する東蒲新聞で業界関係者が「東京ローカル」のものだと言及していた。東京のおでん種専門店で見かける機会は減ったものの、目黒本町の柳屋蒲鉾店、阿佐谷南の蒲重蒲鉾店、東尾久の九州屋蒲鉾店などで現在も販売している。

東京揚げ

東京揚げは豆腐と魚のすり身を掛け合わせたソフトな食感が特徴の揚げ蒲鉾だ。歴史が浅く、製造する店舗の閉業が相次いだため知名度は高くないが、おでん料理店で提供されていたこともあり根強いファンが多い。

生大豆粉と魚のすり身を混ぜ合わせ、にがりや大豆油などを加えて揚げたもので、栄養価が高くソフトな食感を実現している。

築地の佃権や中野区弥生町の蒲泉商店で製造していたが、どちらも閉業したため東京揚げは一時期姿を消した。現在は吉祥寺の塚田水産が製法を引き継ぎ、目黒区中目黒のおでん料理店『鶏だしおでん さもん』(目黒区上目黒3-5-31)などに卸している。

とうめし

おでん種ではないが、おでんと一緒に提供される料理にも東京発祥のものがある。とうめしは煮込んだ豆腐を茶飯の上にのせたシンプルな料理で、日本橋「お多幸本店」が発祥といわれる。

甘辛い汁で煮込んだ豆腐は味が染みながらもつるんとした食感で、崩して茶飯と一緒に口に運ぶとこのうえなくおいしい。

「とうめし」は日本橋のお多幸本店の登録商標となっており、別経営の新宿店などでも提供されているが名称は異なる。TVなどで紹介され、自宅で調理されることも多い。

東京各店のオリジナルのおでん種

東京のおでん種専門店では創意工夫を凝らし、各店でオリジナルのおでん種を生み出している。

江東区三好の美好商店ではお店がある深川にちなんでアサリとネギを混ぜた深川揚げを販売している。また、ニラと椎茸、キクラゲが入ったにくらし揚げ(具材の名前の語呂合わせ)やカレー風味の黄金揚げなどオリジナルのおでん種が豊富だ。

吉祥寺の塚田水産もオリジナルのおでん種が多いが、吉祥寺の名店とコラボした商品を開発するなど地域色を出している。「ホープ軒チャーシューさつま」や「みんみんの焼き餃子巻」、「ケーニッヒのウインナーソーセージ巻」など創意工夫を凝らした変わり種が魅力だ。

こうしておでん種を集めてみると、意外に東京由来のものがあることに気が付かれるだろう。ぜひおでん種専門店で選んでいただき、東京のご当地おでんを楽しんでいただきたい。

取材・文・撮影=東京おでんだね