たぬきの油でコクが増す郷愁のつゆ『そば谷』[板橋本町]

そば並320円。むじな130円(継承)、げそ天210円(新作)。
そば並320円。むじな130円(継承)、げそ天210円(新作)。

漆黒だった。東十条にあった老舗「そば谷」のつゆは、沈んだ麺が見えないほど濃かった。

板橋の仲宿で新『そば谷』を継いだ店長・二階堂透さんは、旧店の黒つゆの大ファン。
「注文は、いつもきつねにゆで玉子の追加。店主の高城さん兄弟は競馬好きで、新聞を広げて、みんなでよく予想をしていましたね」

火事のときも、変わらぬあの味は心の支えに

二階堂さんの家が火事で燃えた際も、夕ご飯のために毎日通い、心の平穏を取り戻した「そば谷」。その第二のホームも2014年に閉業してしまう。しかし2019年に、同じく常連だった同級生・齋藤勲さんからある言葉をかけられる。
「立ち食いをやりたい。そば谷の味を一緒に復活させない?」
現オーナーの齋藤さんの言葉で、時計の針が再び動き出す。

ただ、味の継承は難航した。閉業から時が経ちすぎて、高城さんがどこにいるのか分からなかったのだ。
「東十条で高城という名字の表札を探したり、近隣商店に聞き込みをしたり。すると、地元不動産会社のつてで居場所が分かり、お会いできることになったんです!」

15年近く旧店に通っていた二階堂さん。2020年2月に新『そば谷』をオープンさせた。
15年近く旧店に通っていた二階堂さん。2020年2月に新『そば谷』をオープンさせた。

断られるかもしれない緊張感のなか、ふたりで会いに行くと高城さんから「俺は50年近く店を休まなかった。やるからにはちゃんとやってくれよ!」と激励のエールが。
その言葉を胸に、出汁を徹底研究。東十条のかつお節店『満大(まんだい)』から同じソーダとサバ節を仕入れ、試飲を重ね、あの黒つゆを復活させた。麺も同じ埼玉の興和物産の麺だ。

旧店はかき揚げのみだったが、新店ではげそ天や五目かき揚げ210円など天ぷらが充実。
旧店はかき揚げのみだったが、新店ではげそ天や五目かき揚げ210円など天ぷらが充実。

旧店時代からの名物・むじな(きつねとたぬきのそば)を注文し、つゆをすすると色の濃さの割に塩辛さは無く、甘みがあってコクも深い。
「クセになる味でしょ? なにより僕自身がこの一杯を、また食べたかったんです」。

『そば谷』店舗詳細

住所:東京都板橋区仲宿53-1/営業時間:5:00~9:00・11:00~20:00(土は15:00まで)/定休日:日/アクセス:地下鉄三田線板橋区役所前駅から徒歩10分

丼から立ち昇る強烈なかつお出汁の香り『さかうえ』[志村坂上]

かけ350円。紅生姜天140円(継承)、もずく140円(新作)。
かけ350円。紅生姜天140円(継承)、もずく140円(新作)。

かつおの厚削りが生む濃厚出汁は、店の魂

先代が作り上げたつゆへの敬意は、『さかうえ』店主の中島斗三之(とみゆき)さんも変わらない。
「旧店の屋号は『おくちゃん』。前を通ると強烈なかつお出汁の匂いが手招きしてきて、いつも入店を抗えなかった(笑)」

志村坂上でバーを営んでいた中島さんだったが、ちょうど店舗の契約更新の時期に地元商店街の会長から、ある相談が。
「おくちゃんが店を辞めるんだけど、継ぎ手がいなくて……」
あのつゆの虜(とりこ)だった中島さんは継承を決意。店主の奥村さんと半月間働き、イロハを学んだ。
「出汁は奥村さんの親戚の営むかつお節店の厚削り。この出汁は絶対に変えません」

麺も、昨年(2022年)まで同じ商店街にあった「志村製麺所」のものを使っていたが、昨年に店主が逝去。今は用賀の『むらめん』から白・黒2色の麺を仕入れており、どちらか選ぶことができる。

ややコシのある白麺と、そば殻が多く入った黒麺を選べる。特盛り(2玉)にして両方頼むツワモノも。
ややコシのある白麺と、そば殻が多く入った黒麺を選べる。特盛り(2玉)にして両方頼むツワモノも。

黒麺を頼むと、カツオ出汁に負けないそばの風味が。新店からの名物・シャキシャキのもずくは、深い出汁と抜群に合う!
「そのもずくそばが好きな、小学生の常連もいるんですよ」

味のバトンは小学生へ。その子が大人になったら、店を継いでくれないかな――。かつおのフレグランスを纏(まと)いながら、勝手な妄想にひたるのだった。

2018年に同じ場所で店を継承。もずくは、奥様の沖縄の友人から良質なものを仕入れる。
2018年に同じ場所で店を継承。もずくは、奥様の沖縄の友人から良質なものを仕入れる。

『さかうえ』店舗詳細

住所:東京都板橋区志村1-35-10 /営業時間:8:30~17:00/定休日:月/アクセス:地下鉄三田線志村坂上駅から徒歩2分

取材・文=鈴木健太 撮影=井上洋平
『散歩の達人』2023年6月号より