通りの名は一択

イギリスにも「商店街」がある。ロンドンのキラキラした目抜き通りではなく、いわゆるあちこちの町の繁華街。この国ではそれを「High Street (ハイストリート)」という。多くの店が並び、銀行や郵便局など生活に必要なものがなんでも揃う、町の中心であり、商いの拠点だ。

日本には約1万3000もの商店街があるとされるが、イギリスのハイストリートは約5400。人口を比べると日本が約1億2500万人でイギリスは約6700万人だから、比較的その比率は似ているといえる。

一方、大きく違うのはその名前だ。日本では地域の名前を頭につけたり、〇〇銀座と名乗ってみたり、はたまたサンロードといったカタカナを導入してみたり、あの手この手で独自の呼称を設けているが、イギリスでは、ハイストリート、この一択である。つまり同じ名前の通りが、国内のそこかしこにあるのだ。

ダンフリースのハイストリート。
ダンフリースのハイストリート。
ラナークのハイストリート。
ラナークのハイストリート。

この通り名の増殖&複製は、とりわけ19世紀に盛り上がった。この時代というと、18世紀に世界に先駆けて起こった産業革命を足がかりに、国が大きく発展していった頃。その象徴ともいえる鉄道の開通は1830年。国が豊かになり、新しい交通網が発展し、人口が増え、町が都市へと拡大し、町そのものも新たにできていく。そんなイケイケな世の中にあって、他の町に倣うように、新たなハイストリートは次々と生まれていった。

なお、地元の人は、こうした変革期の特徴を指すのに「ヴィクトリア時代」という言葉をよく使う。女王の在位は1837〜1901年。さすがにその時代をリアルで知る人はもういないだろうが、おばあちゃんからよく話を聞いた、といった調子で話す人は、普通に現役でこの21世紀を生きている。日本でも「明治期」と言ったりするが、そのニュアンスとよく似ている。

ハイストリートはバウムクーヘンの穴

ちなみにこの時代の産物は、町のそこかしこに今でもよく残っている。自分が部屋を借りて住んでいる家も、はっきりした築年数は不明ながらその部類だ。この建物があるのは、13世紀から商業地として栄えた町の、中心から少し離れたところ。つまり中世の町が周辺へと拡大する過程でできた、19世紀当時の新興住宅にあたる。元々は農場だったが、ある時、地主が一気に宅地開発したと近所の人に聞いた。

今暮らしている一軒家。近隣にも同じような住居が多数。
今暮らしている一軒家。近隣にも同じような住居が多数。

さらにここから中心地と逆方面へいくと、もっと時代が下った後にできた新しい住宅、さらにその外周に廃線跡、自動車道、大型スーパーマーケット……と、町の発展、いや国の歴史が、きれいなバウムクーヘンのように見られる。もっとも、より突き詰めれば、農業の変化、戦争、工場の参入と撤退など、政治や国の変化に伴う栄枯盛衰が複雑に絡み合い、そんな単純なものではないのは明らかなのだが、ひとたびその歴史の層というか輪っかのタイプがわかると、まるでシムシティのごとく町の発展の様子が見えてきて、散歩の面白味が増す。

話を元に戻すと、このバウムクーヘンの穴に当たる町の中心地の多くに、「ハイストリート」という名があてがわれている。商店街のお祭りよろしく、週末に催しが行われているのも大抵はここで、どんな町に行っても、まずはこの辺りをぶらぶらすれば基本楽しい。

気分はさながら歴史探偵

この「ハイストリート中心の原則」は、いろいろな形で応用することができる。

例えば大都市ロンドン。拡大に拡大を重ね、時に周囲の町をも取り込み広がって行った巨大都市は、東京に負けず劣らず何日歩いても見どころに尽きないが、あちこちに点在するハイストリート周辺こそ、散歩の醍醐味があるように思われる。ここでは単なるロンドンの一部、ではない、それぞれの町の特徴や生活が立ち現れる。いい本屋やカフェにめぐり逢えたりする。そこから一本入った路地裏など、町の隙間はたまらない。

マリルボンのハイストリート。ロンドン市内の北西。
マリルボンのハイストリート。ロンドン市内の北西。
バラのハイストリート。こちらはロンドン橋の近く。
バラのハイストリート。こちらはロンドン橋の近く。

また、町の歴史を紐解くヒントになることもある。

例えば北東、スコットランド第三の都市・アバディーン。原則に基づくと明らかに「ハイストリート」の顔をした通りには「Union Street (ユニオンストリート)」の文字。そしてなんと、ハイストリートは、はるか北の離れた場所にポツンとある。

大きな通りはユニオンストリート。
大きな通りはユニオンストリート。
ハイストリートは全く別の場所に。
ハイストリートは全く別の場所に。

なぜだかわかるだろうか?

実はこの都市、古くからあった2つの町と村が合体して発展、繁栄したのである。北の川辺に起こった町と南東の海辺の漁村のまさにユニオン(結合・合併)でできた都市。町は近代になり南にできた港を取り巻くように貿易の拠点として成長。ゆえに元々存在していたハイストリートは、その名を残しつつも、現在の中心の外れとなった。そして今やなんと、1495年設立という伝統校・アバディーン大学の敷地にほぼ取り込まれる形で、ひっそりと第二の人生を送っている。

石畳のハイストリート。両脇には大学の建物。行き交うのもほぼ学生。
石畳のハイストリート。両脇には大学の建物。行き交うのもほぼ学生。

ハイストリートが先か、町の発展が先か。そして今現在、都市の中でどんな立ち位置なのか。ハイストリートは、そのエリアの歴史を、静かに、それでいて如実に物語る。

ハイストリートのズレの正体

最後にもう一つ。北部の大都市・グラスゴーにふれて終わりにしたい。

まず、ハイストリートは中心地東側にあり、駅名にもなっている。その近くには大聖堂もあり、中世に村から町として成長したグラスゴーは長らく、この辺りが中心であったとされる。一帯のエリアの中ではかなり大きめの宗教施設で、宣教スポットとしての性格が割と強かったようだ。

なお、ハイストリートは一本のみ。大きな都市ではあるものの、ロンドンのように、たくさんの小さな町とそれに付随するハイストリートから構成されているわけでない。このことから、都市の発展の形が、同じ大都市でもロンドンとは異なることがわかる。

イーストエンドというエリアにあるハイストリート。
イーストエンドというエリアにあるハイストリート。

続いて注目したいのは、現在の市街地の中心が、アバディーンほどではないにしても、やや西にズレていることだ。2つのターミナル駅に挟まれたメイン通りは「Buchanan Street (ブキャナンストリート)」。耳なじみのない、英語らしくもない、ヘンテコな名前である。さて、なぜか。

いつも賑やかなブキャナンストリート。2つのターミナル駅をつなぐ。
いつも賑やかなブキャナンストリート。2つのターミナル駅をつなぐ。

正解は、この都市の歴史にある。長らく小さな町だったグラスゴーが劇的に発展したのは、ずばり近代の貿易と重工業。とりわけ新大陸との貿易は、やり手ビジネスマンに巨万の富をもたらした。鼻高々のそうした成金が、空いていた町のすぐ傍に、自ら建物を建て、道を作り、これ見よがしに自分の名前を使ったのである。当然、その新興地区は当時のベンチャー企業とも言える新たな貿易ビジネスの担い手が集まる場所となり、商業の中心として栄え、そして今に至る。「ブキャナン」のみならず、グラスゴーの市街地に一風変わった通り名が多く、また建物がバラエティ豊かなのも同じ理由。つまり、国際ビジネスに成功した名誉を、これでもかと通りの名前に採用した結果なのである。グラスゴーにおけるハイストリートと現在の中心地の東西のズレは、宗教色の強かった中世と、国際的な産業の拠点となった近代という、町の時代と機能のズレなのだ。

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しかしこの、自らの名を公共物に冠することを誉れとする考え方。果たしてどのくらいの人が賛同するのだろうか。通りの名前というと個人的には、けやき通り、すずらん通りの方がステキに思える。その中に突然、鈴木通りだの、太郎通りだのが現れたら、ちょっと動揺する。家康通り? うーん。乃木坂は乃木神社があるため、また別カテゴリーとして。

名が人口に膾炙することを是とする向きは、少し考えると英語圏ではいろいろある。有名どころでは、ジョン・F・ケネディ空港といった施設に始まり、電力の単位ワットも発見者の名前だ(ちなみにスコットランド人)。日本語にも「名をあげる」という表現があるように、有名になること=偉大さを誇示、承認欲求を満たす、といった意味は古今東西、共通であるのかもしれないが、なんというか、人間の圧がちょっと違う気がする。

例えば、英語の苗字には「〇〇の息子」という名も少なくなく(M(a)c〇〇、〇〇sonなど)、山田、田中といった現在の日本でメジャーな苗字と字面を雑に単純比較するだけでも、明らかにアイデアの矛先が、自然ではなく人間に向いているのがわかる(むろん職業系や森・野原系など、バリエーションはいろいろある)。こうしたちょっとした、それでいて大きな違いは、例えば宗教感(イエス由来のキリスト教か八百万由来の神道か)など、もしかするとかなり深いところまで掘り下げていけるのではないだろうか、なんて、美術館で宗教画を見たり、先日の新たな国王の戴冠式を見ながら、最近は思ったりもしている。

 

たかだか通りの名前と侮るなかれ。そこには壮大な歴史が隠されているかもしれない。そしてその通りの町における位置や周辺施設との関係も合わせて考えると、町が面として、厚みを持った時空間として、現れてくるかもしれない。これはイギリスのみならず、東京でもどこでもできる。名前がある道とない道があるのはどうしてか、番号の振り方はなぜこの順なのか。仮に名前がない道でさえ、楽しみ方はいろいろだ。徒歩はそんなことに気づいたり考えたりしたりするのに、ちょうどいい視線の高さとスピードのように思える。どんなところにいても散歩は楽しい。

 

文・撮影=町田紗季子