升席に座るとなぜか心が静まる。国技館はほぼ真四角で、観客は四方から土俵の1点を凝視する造りだ。照明もテレビ映えするが力士の精神集中の邪魔にはならない角度に調整されている。以前、体操競技が開催されたが、何種目も同時進行するためかあまりそぐわなかったとか。ましてや相撲自体、古くから神事の要素もあった。国技館も年3回の場所ごとに土俵を作り替え、行司が儀式を行う。独特の聖なる空気が詰まっているのかもしれない。
相撲の聖地が、東京五輪ではボクシング会場になる
ところがここは、案外ボクシングやプロレスにも使われる。「国技館は東京場所の45日間しか大相撲をしないので」と相撲博物館の中村さん。もっともボクシングと相撲は縁がある。日本初のボクシングは黒船の上で大関と船員が闘った。『日本アマチュアボクシング連盟50年史』によれば明治以降、靖國神社や明治神宮外苑の相撲場で、何度もボクシング大会が開催されている。同書をさらに見ると戦前戦後から「後楽園」の名が現れる。といっても当初は「囲いと簡単な椅子のバレーボールコート」だったりする。
何しろ1964年のオリンピック会場も「アイススケート場」なのだ。当時を知るのは渡邊政史さん。日本アマチュアボクシング連盟補助役員として、外国人選手を選手村から会場へ案内した。ご自身も「大学で科学的にスポーツを」と法政大学ボクシング部に入部したものの「社会全体が栄養バランスなど考える余裕もない時代でした」という。
ところが外国人選手は無駄な減量をせず栄養を考え、トレーニング方法も全然違った。「知りたかった外国が向こうからどっさり来て」青年は興奮した。以来、渡邊さんは「科学的な」後進の育成に貢献してきた。やがてプロボクシングがテレビで人気に。輪島功一に憧れた、日本ボクシング連盟副会長・菊池さんも、長じて後楽園ホールでの大学リーグ決勝戦に出場。アマチュアボクシング界の聖地だけに「緊張で試合中は頭が真っ白でした」と笑う。
菊池さんは女性にもぜひ興味を持ってほしいという。「ボクシングはそれほど危険ではありません。女子と子供はヘッドギアを付け、アマチュアは特に防御の訓練を積みます」。この夏、両国国技館という日本情緒あふれ、歴史深い聖地でゴングが鳴り響く。真剣勝負、メダルを狙え!
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則