銚子電鉄

大正12年(1923)営業開始。銚子駅~外川駅を結ぶ6.4km、10駅の単線路線。全線が銚子市内を走り、沿線には飯沼観音、犬吠埼灯台、屏風ヶ浦など見所が多い。各駅舎も見どころ。

お話を伺った、鉄道部・運輸課長の鈴木一成さん。
お話を伺った、鉄道部・運輸課長の鈴木一成さん。
鈴木一成さんのおすすめは、「銚電ラーメン」(3食入り702円)。
鈴木一成さんのおすすめは、「銚電ラーメン」(3食入り702円)。

路線存続のためなら「ぬれ煎餅」もみずから作るサバイバー

――「ぬれ煎餅」「まずい棒」とヒット商品を世に出していますが、食品製造販売を始めたのはいつごろですか。

鈴木 1976年のたい焼きです。当時『およげ!たいやきくん』(1975年発売)がヒットしていて、そのブームに乗ったんです。わたしは生まれていませんが、企画会議もなく始めたと聞いています。このときに、自社の直営製造販売を始めました。

――そのときも、経営が厳しかった?

鈴木 銚子電鉄は、開業当初から鉄道一本なんです。ほかのローカル鉄道会社さんは、バスやタクシー、不動産なども手がけていたりしますが、うちは鉄道だけで逃げ道がないんですね。開業時から四苦八苦です。当時、お客さまの割合としては、地元の方が約3割、観光のお客様が7割、今では85%くらいが観光です。とはいえ、銚子には観光・娯楽施設がない。東京に比べると気温が低く、夏に海水浴に来ておいしいものを食べて帰る避暑地のような土地なんですが、車が普及して鉄道に乗らなくなるんです。

――でも夏にたい焼きはあんまり……。

鈴木 夏は売り上げが落ちます。結局、たい焼きでは赤字を止めることができず、話題になるおみやげもない。そこで次に、ぬれ煎餅です。事務所のなかで、銚子といえば醤油、ぬれ煎餅発祥の地だって話から、企画が始まりました。このときも会議なんかない。ただの会話が現実化したんです。

――社員の方は、ぬれ煎餅の作り方を知っているわけではないですよね?

鈴木 ぬれ煎餅発祥のお店は、銚子の柏屋さんなんです。そこで多少は伝授していただいたんですが、企業秘密のことはもちろん教えてもらえません。米の種類、煎餅をどのタイミングで、どれくらいタレに漬け込むか、失敗をくり返しながら地道に開発したのは我々社員です。どうにか完成して発売したのが、1995年9月でした。

救世主「ぬれ煎餅」。青は薄口、赤は濃口、緑は甘口と、種類も豊富。各5枚入り500円。
救世主「ぬれ煎餅」。青は薄口、赤は濃口、緑は甘口と、種類も豊富。各5枚入り500円。
経営状況がまずい「まずい棒」。パッケージは日野日出志先生描き下ろし。最新は、めんたい味。10本入り410円。
経営状況がまずい「まずい棒」。パッケージは日野日出志先生描き下ろし。最新は、めんたい味。10本入り410円。

――鉄道会社の社員が、ぬれ煎餅の開発に力を注いだんですね。

鈴木 ありえないですよね。鉄道会社で煎餅つくるっていうのは、ちょっと違うんじゃないかと思いましたよ。でも経営が逼迫(ひっぱく)してますから。銚子の観光の目玉としても、地元の足としても、路線を残さないといけない。廃線になったら二度と復帰できませんから。

――設備投資をしているから、売り続けないとですよね。

鈴木 そうです。製造だけでなく、袋詰めの機械もありますが、選別は人間の手。わたしも作業していたことがあるし、配達もやりました。とにかく、何でもやらなくちゃいけないんです。
わたしは一応、鉄道部で事務をやっていますが、広報の窓口にもなってますし、予備運転士でもあります。保線や車両の整備・補修のときに応援にも行きます。人員が少ないのでほとんどの社員が何かしら兼務しています。

――社員のポテンシャルが無限大。

鈴木 自分から何でもやりますって言って入社したんですよ。実家の山形から東京に出てきて短大に通っていたときに地図で銚子電鉄を見て、こんな短い路線があるのかと思って乗りに来てみたら、ここで働きたいと思って。駅の事務所に行って、採用してくださいってお願いしたんです。

銚子電鉄本社がある仲ノ町駅。ヤマサ醤油の工場が隣接し、醤油の香りに包まれている。
銚子電鉄本社がある仲ノ町駅。ヤマサ醤油の工場が隣接し、醤油の香りに包まれている。
木製のベンチや窓口など、歴史を感じる。
木製のベンチや窓口など、歴史を感じる。

――旅行のはずが、就活に!

鈴木 はじめは断られましたが、入れてくれるまで何度でも来ます、土下座でもなんでもします、ここしかないんですってアピールして。やっと4回目になって入れてもらいました。入社は1999年4月1日、20歳のときです。

――執念が実ったんですね。

鈴木 だから何でもやるのはいいんですけど、ここまでとは。やっぱり鉄道会社なので、また来たいと思ってもらえるような細やかなサービスを提供したいと思ってます。ただ乗るだけの鉄道ではなくて、うちの路線でしか味わえない良さを実感してもらいたい。夢と現実はかけ離れていますけど。

明日は見えないが前を見て歩いていく

――今年、6年ぶりに黒字転換したんですよね。おめでとうございます!

鈴木 わたしは黒字だと思っていません。決算報告書では黒字ということになってますけど、副業も含めてですから。鉄道だけみたら赤字です。煎餅がなかったら、鉄道はないんです。鉄道路線を維持していくためには、電車修理代や線路の補修など、ほんとうにお金がかかる。ぬれ煎餅が、鉄道会社を運営してるんです。

――……浮かれてすみません。

鈴木 何千万の黒字ならいいですけど、21万ですからね。今回1回、たまたまかもしれない。テレビ番組や新聞の報道で、わたしの顔も出たので、近所のスーパーで声かけられたりして……説明に困ります。できればそっとしておいてもらいたいなって。

――……ごめんなさい。でも黒字になった経緯は、ありますよね?

鈴木 いろいろなことをやってきたので、どれがきっかけかはわからないですが、岩下の新生姜さんとコラボした「ピンクニュージンジャー号」や、アニメの『アイドルマスターSideM』とのコラボ企画は、引き金になったかもしれません。とくにアニメとのコラボは、若年層のお客さまが増えたように感じます。

きゃりーぱみゅぱみゅさんとのコラボトレイン。車両はどれも50年以上活躍している。
きゃりーぱみゅぱみゅさんとのコラボトレイン。車両はどれも50年以上活躍している。
各駅にはネーミングライツを取得した企業による副駅名がある。駅名より目立つ。
各駅にはネーミングライツを取得した企業による副駅名がある。駅名より目立つ。

――来年は開業100周年。新たな企画を考えていますか。

鈴木 明日どうなるかわからない会社ですが、100年といえば1世紀ですから、ここはやはりクリアしたいですよね。現状よりも少しでも良くなるような企画を起案して、安全輸送はもちろんのこと、知名度を上げてもっと愛される鉄道を目指したいという目標はあります。ですが、乗りに来てくださいとは言えない。そこはお客さまが決めることですから。来たいと思ってくださるような企画を立てていきたいです。

――そこは控えめに。

鈴木 何かを買ってください、お願いしますっていうのは、もう無理です。2006年に「電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。」とHPに掲載して、ぬれ煎餅を多くの方に買っていただき、廃線にならずにすみました。
そのことに対して、うちの会社ができることは、路線の存続しかないんですよ。鉄道を続けていかないと、応援の意味がなくなってしまう。そのためにできることを、考え続けています。

――23年前に土下座も辞さない勢いで入社して、後悔はしていないですか。

鈴木 してないですね。今回いろいろ言いましたが、プラス面もマイナス面も混ぜて話すことで、銚子電鉄の素の姿を知っていただきたいんです。わたしがこの会社で学んだことはたくさんあるので、後悔はしていないです。

取材・文=屋敷直子 撮影=井原淳一
『散歩の達人』2022年10月号より