神保町交差点にある一見普通のオフィスビル。地下鉄から上がる階段周辺の彫刻のような意匠、正面玄関の煉瓦塀が持つ独特のリズム感が、あぁ、ここで映画を見るんだという高揚感を呼ぶ。10階の入り口に立つと、傾斜を持った壁に囲まれた客席が見える。ホールを囲む大きなガラス窓から、カーテン越しに神保町の日差しがロビーを包む。ホール内のスロープ、身体をしっくり支える絶妙な角度の座席、八角形の天井……。身も心も喧騒から遊離して、僕は「岩波ホール」と一体になる。
映画を見る喜びを教えてくれた恩師
1968年に多目的ホールとして開館した「岩波ホール」。講座や演劇、古典芸能も催され、本格的な歌舞伎も上演された。1974年、インド映画『大樹のうた』を皮切りに、国内外の埋もれた名画を世に出す運動、エキプ・ド・シネマを開始。大手興行会社が取り上げない作品を吟味して上映するスタイルは、ミニシアターの先駆けだった。各回入れ替え制という日本映画界では画期的なシステムも初めて導入した。
僕の「岩波ホール」デビューは1992年公開『歌舞伎役者 片岡仁左衛門』。子供の頃から見続けてきた者には、舞台を離れた名優の姿を見られるのがうれしかった。仁左衛門はほとんど目が見えないことも、この映画で初めて知った。そして羽田澄子監督を知り、絵師・岩佐又兵衛の名作を丹念に捉えた労作『山中常盤』へと導かれた。
「岩波ホール」の特別感は、シネコン全盛時代も一層輝いてた。スタッフの方々も含め、どこか美術館に来ている気持ちにさえなった。フレデリック・ワイズマン監督の『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を見終わった時は、そのまま『東京堂書店』に飛び込んで、この映画館が神保町にあって良かった! としみじみ思った。
最後の上映作品となったヴェルナー・ヘルツォーク監督の『歩いて見た世界 ブルース・チャトウィンの足跡』は、この映画館にふさわしいラストロードショーに感じた。世界を放浪した作家チャトウィンと共に、「岩波ホール」は旅に出たんだと僕は思うことにした。放浪の果てに、いつの日かきっとよみがえるに違いないと。
1970年代
2010年代
文=高野ひろし 撮影=鴇田康則(2010年代)
『散歩の達人』2022年9月号より