義侠心にかられる置物
私は最近、各地の土産物店に赴いては、「その店で一番よくわからない置物」を購入してしまうことが多い。それは「私が買わなければ、もしかするとこの置物は永遠にこの店に置かれ続けるかも知れない、ぜひ救い出してやらねば」という、謎の義侠心に駆られてのことだ。
こうした気持ちで筑波山の土産物店を覗いていた際、ギラギラ光るカエルの置物と目が合った。
黄色の座布団に座った緑ラメの大カエルの腹には「宝くじ大当り」と大書され、背面には、購入した宝くじを収納できるポケットが付いている。いかに筑波山がガマガエルで有名であるからといって、これをこの地で土産に購入して帰る人がいるのだろうか。そう思った次の瞬間、私は大ガエルを手にレジへ向かっていた。ちなみにこのカエルを購入してから数年、一度も宝くじは当たったことがない。
貯金箱機能のある置物
このカエルの置物も含め、「よくわからない置物」は、貯金箱の役割を兼ねていることが多い。「ただの置物じゃないんですよ、役に立ちますよ」といったアピールであろうか。高尾山の土産物店にも、こうした貯金箱置物が多数陳列されていた。
天狗はまだ土産物として理解できるし、造形もサイズも普通である。
しかし、「少年老い易く学成り難し」という札を首から下げた学問地蔵や、
「満願成就」という大しゃもじを手にした狸地蔵は、なぜ高尾山でこの造形の土産物なのか、なぜ地蔵が角帽をかぶっているのか、なぜ狸と地蔵を混ぜてしまったのか……など、疑問が尽きない。
分福茶釜型貯金箱もまた、高尾山の土産物店で購入した置物だ。帰宅して箱を開けてみれば、平成4年の新聞紙に包まれていて、約30年の時を経て日の目を見たことになる。
これら「貯金箱型置物」は総じて、昭和の時代に造形がなされたのか、硬貨の取り出し口が小さめに作られている。500円玉など入れたが最後、割らなければ取り出せないだろう。
岩国で購入した銭壺山(いかにもお金が貯まりそうだが)の貯金箱に至っては、取り出し口すらないので、お金を入れる時には覚悟が必要だ。
役に立つ置物
貯金箱以外のはたらきを持つ「役に立つ置物」もある。これまた高尾山の土産物店で購入したライオンの置物は、温度計が付いていて800円というお値打ち価格であった。ここまで来ると、なぜ高尾山でライオンなのか、という疑問がちっぽけなものに思えてくる。
土産物としての役割はきっちり果たしつつ、絵柄で「よくわからない感」が出てしまっている置物も、時にある。錦帯橋近くの土産物店で購入した木製のトラックは、置物というよりは子どもの玩具として活用できるものであった。ところが荷台側面を見ると、片面は錦帯橋の図柄でまだわかるのだが、もう片方に「令和元年じゃあ!!」という吹き出しをつけられたドラえもんが……。
なぜこの図柄を付けようと思ったのか、令和2年になったらどうするつもりだったのか。製作者の意図を問いたくなる土産物である。
こうした「よくわからない置物」のトップにあるのが、冒頭に挙げたみうらじゅんが「金ピカ」と呼んだ、金塗装されたプラスチックの置物であろう。それは時に温度計やペン立てなどの「役に立つ感」を醸し出していることもあるが、その役割を差し引いても、やはりその存在意義がよくわからない。
一番よくわからなかった置物
私は東京近辺においては、浅草や東京タワーでこうした金ピカを入手するのだが、これまでで一番よくわからなかったのが、鏡張りの背景に金ピカの太田道灌像と東京タワーが配され、「努力」と書かれた東京土産である。
これをどのような人が土産に買うのだろうか、土産に買って帰った人は今でも部屋にこれを飾っているのだろうか……。思いは尽きない。
今後もこうした「よくわからない置物」の救済に務めていきたいと思うが、問題はこれらの置物が所狭しと並んだ自室が一番「よくわからないインテリア」になってしまっていることだろうか。
絵・写真・文=オギリマサホ