阿部 了 あべさとる
1963年、東京都生まれ。国立館山海上技術学校を卒業後、気象観測船の「啓風丸」に機関員として乗船。その後、シベリア鉄道で欧州の旅に出て写真に目覚める。東京工芸大学短期大学部(現在の東京工芸大学)で写真を学び、立木義浩氏の助手を経て、95年よりフリーランスに。作品に、友人とその部屋を撮影した「四角い宇宙」、ライフワークともいえるお弁当の撮影で、2011年からはNHK「サラメシ」にお弁当ハンターとして出演中。著書に『おべんとうの人』、写真集『ひるけ』(ともに木楽舎)など。16年より鎌倉女子大学主催「お弁当甲子園」の審査委員、20年より千葉県館山市の「写真大使」に。
阿部直美 あべなおみ
1970年、群馬県生まれ。獨協大学外国語学部卒業後、会社員生活を経て、現在はフリーランスのライター。夫・阿部了とともに、全国を回って弁当の取材を行う。2007年よりANA機内誌『翼の王国』で「おべんとうの時間」を連載中(単行本は現在シリーズで4巻まで。台湾、中国、韓国、フランスでも刊行)。夫婦での共著は『手仕事のはなし』(河出書房新社)も。写真家の芥川仁氏と日本の里山を巡り、暮らしや土地の魅力を伝える『里の時間』(岩波新書)や、自身の家族について振り返る『おべんとうの時間がきらいだった』(岩波書店)など。
月刊散歩の達人で2016年11月号から2021年4月号まで連載した「東京商店夫婦」が単行本化。東京でさまざまな商売を営む40組の夫婦の“暮らしと商い”を取材。書き下ろしエッセイも収録。
了 : 単行本のために出した写真の色見本を並べてみたら、商店それぞれの色と存在感があって、改めて「磁力」みたいもの感じたね。
直美 : 「磁力」とか、なんかかっこつけて言ってる。
了 : いやいや、たまたまその磁力にぴこーんって引きつけられていったわけだけどさ、商店ってそういう力があるじゃない。「最近行ってないわね」「今週毎日行っちゃったわ」とか、近所の人も無意識のうちに吸い付けられるように行くところがあると思う。そもそも、僕らも近所で買い物をしてるうちに商店の人たちの面白さを知っちゃったから、そこが出発点なんです。
日々の生活の中で、「商店」の面白さに気づいた
了 : 近所の商店街にあった八百屋さんが店を辞めちゃったんだけど、ある日、前を通ったら、だんなさんがシャッター半分だけ開けて、売ってるんだよ。何種類か野菜は置いてあるんだけど、置き場の半分くらいはトマトでね、トマトが好きなのかなって思った。
直美 : 表から見るとシャッターが閉まってるけど、横から見ると半分開いてて。らっきょうの時季になると、自家製のらっきょう漬けをずらっと並べて売ってるの。
了 : らっきょうの時は、シャッターが全開でね。
直美 : 店を辞めるっていうのは、すごい決断ですよね。単行本に“辞めどき”というテーマでエッセイを書いたけど、すごく名残惜しくて後ろ髪引かれる思いもあるんだなって、あの八百屋さんを見てると思って。辞めてみたけど辞めきれなかったのかな。
了 : 同じ商店街にあるとり肉屋さんによく行くんだけど、必ずご主人が「今日はいい天気だね!」「暑いね!」「寒いね!」って。毎回同じような会話なんだけど、そういうコミュニケーションが面白くて。
直美 : 商店街といっても、今は住宅地に何軒か商店があるっていう感じの場所です。
了 : そういうところが今は多いよね。越してきた頃には、豆腐屋、パン屋もあって。あの、卓球台が置いてあるところは何屋だったんだっけ?
直美 : そこは荒物屋さんだったんだよ。うちのトイレが詰まったときに、「すっぽん」ってやるやつを探してて、買ったのはそこ。いつの間にか辞めちゃって、気づいたら、商品がいっぱい置いてあったところに大きい卓球台がボン、って一つ置かれてて、ご夫婦が卓球してるの。私たち、なんだかんだ言ってあそこの商店街に行ってるよね。証明写真もここの写真館で撮ってもらってるし。
了 : なんで俺に撮ってもらわないんだろうね。
直美 : 商売って、周りから見ていても「このお店、なんでやっていけてるんだろう」っていうのが見えてこないところがありますよね。取材をして、魚屋さんやパン屋さんが保育園や施設に卸していると知って、「そうか、商品をお店に並べて売るだけで成り立っているんじゃないんだな」というふうに、世の中のつながりが見えてきた。電気屋さんを取材した後に突然、“街の電気屋さん”が実はたくさんあるんだってことに気がついたり。見えていなかったんです。
了 : 例のとり肉屋さんも、観察してるとずっと肉を切り続けてる。午前中に自転車で通った時、奥で何かやってるなと思ったら、夕方帰ってきてもまたやってる。ずっと何かやってる。どこかに卸したりしてるからだよね。
東京はおしゃれな場所でも特別な場所でもない
直美 : 商店の取材をしてきたけど、私自身、今のところに越してくる前は肉屋で肉を買ったり、魚屋で魚を買ったりとか、商店で買い物することがなかったんですよね。いつも時間がなくて、スーパーでぱぱっとまとめて買うのが普通で。東京に出てくる前、群馬にいた頃は、商店っていうものがほとんどなかったし。
了 : いやいや、あるよ。
直美 : 地元を離れて、外に出ることしか考えてなかったから、見てなかったのかも。母の買い物に付いていくこともなかった。母はスーパーの総菜売り場で働いてて、そこで買い物して帰ってくる、みたいな感じだったので。
了 : 僕は東京の東長崎(豊島区)で育って、母方のじいちゃん、ばあちゃんと3世代で住んでた。商店は行くっていうより、当時は、酒屋や米屋は御用聞きに来て、その後届けてくれたんです。昔って、そうじゃない? 正月前になると、魚屋も届けてくれたと思う。うちのばあちゃんが新潟出身だから、「氷頭なます」を作るのに「鮭の頭とっておきますよ!」とか。地元商店街がすべてというか、東長崎ですべて完結するのよ。池袋の西武とか東武なんて、一年に1回行くか行かないかで、行けば家族で大変なことになってさ。ちゃんとした服着て、駅前の『タカセ』とかでエビフライとか食うわけよ。
直美 : 私とは全然違う! 『東京商店夫婦』は東京に絞って取材をしましたけど、19歳で出てきたばかりの頃は、東京にいいイメージがなかったんです。人が冷たいとか、自分は田舎から出てきて周りが素敵に見えちゃうとか、イメージ先行で居場所がなかった。就職後は毎日が職場と家の往復。個人商店の人と直接やりとりをするってこともない。
それが私の場合は、結婚して子供ができてから、半径何メートルの世界が突然見えるようになって。自転車や徒歩圏内の交流ができて人と出会うようになって、はじめて東京が身近になった。人が見えてきてはじめて地域も見えてくるっていうか、東京がようやく自分の土地になったんです。
その頃から取材で日本全国に行くようになって、東京の人も地方の人も変わらないなあと思ったんですよね。東京の商店を取材してみると、その人たちもいろんな地域から来ている。東京はおしゃれな場所でも特別な場所でもないし、日本ってそんなに地域差がないなって思ったんです。
私が東京に来たのはバブルの時代で、お金があって、贅沢することが素晴らしいことっていう価値観で。流行りのスポットやデートスポットみたいな情報こそが、「東京」だった。でも、年をとるうちに、そうじゃない東京が見えてきたわけですよね。この東京っていう土地で代々商売をしてきた人たちのことを知りたくなった。自分自身が変わったからこそ、その面白さに気づいたと思うんです。
夫婦でいることと、商売をやることは違う
了 : 商売だから当然波がある。苦労するなかで喧嘩したり、お互いに向き合って言葉にしてるからこそ、インタビューしててもいろんな話が出てくるのかなと思った。そういうのを聞いてると、僕ら夫婦も力をもらう部分もあって。
直美 : 普通の取材だと、だいたいは店主が出てきて店の看板メニューのことをPRする。聞く方もテーマに合わせて書くべきことが決まっているから、お互い思い描くものが同じで取材が進んでると思うんですよね。でも、この夫婦の取材は「何を知りたいの? どんな話すればいいんだろう?」というところから始まる。取材は夫婦揃ってお願いします、って頼むんですが、だいたいどちらかがよく喋るんですよ。役割分担とか、そういう二人の関係性も見えてくる。普通の取材と違って、相手が二人いることでどう転ぶかわからない面白さがあったと思う。
了 : 「これ何の取材だったっけ?」ってなることが多かったよね。夫婦の取材なんだけど、先代とか先々代の話、生まれ育った地元の話、商品を卸してる地域の話も出てくる。家族の話、なれそめの話とかいろいろ聞くんだけど、「これは書かないでくれ」と言われることは、ほぼなくて。何を書いてもいいですよ、っていう感じも、いろいろ乗り越えてきた夫婦の関係性あってこそ成り立った取材というか。
だから写真も、なるべく素のままに向き合いたいなと思った。「笑ってください」って言うのは簡単だけど、「その場に立ってください」というのが、肖像写真の原点みたいなところがあるし、みんな、すごくいい顔してるしね。
直美 : 「夫婦」といっても婚姻関係にある必要はないと思っていたし、たまたま連載の中ではめぐり会わなかったけれど、男・男、女・女でもよかったんです。親子やきょうだいでやっている商店もあるけど、夫婦は「もとは他人」。
親子は反発するのが当然、合わないのはよくあること。でも、取材をしながら、夫婦がドンパチしてたらお店としては成り立たないだろうなってすごく思って。「口をきかない夫婦」は険悪だけど、子供がいたりすると家族として成り立ったりしますよね。でも、商店はそうはいかない。険悪な空気感が店にも商品にも出てしまって、やってられないだろうなと。夫婦でいることと、商売をやることっていうのは違うんだなと思いました。
了 : 夫婦は他人であって、その違いを認め合わないと成立しないと思うんですよ。僕も僕だし、彼女は彼女だし。その違い一つ一つを共有できるかできないかっていうところにあると思うんですけど、他人同士で一つの目的を共有して商いをやってる、その面白さってありますよね。
直美 : 結婚してたまたまその商売をすることになっても、「支える」のとは違う。『中華こばやし』の友子さんが「何もできないだろ」って言われて悔しくて調理師免許を取ったり、布団屋の廣子さんが「布団の学校に通いたい」って言ったり。対等にやっていこうとする人たちなんですよね。
了 : 取材先のご夫婦が「もとは他人、の暮らしと商い」という連載の時のキャッチコピーを見て、「そういえば、他人だったね」みたいなことをよく言ってたけど、そういうことを忘れちゃうくらい、いろんなことがあるんだろうなと。
目の前にいる人と向き合って、変えてきたから今がある
了 : この本の夫婦の話には、ものを作っていくこと、生活していくことについてそれぞれの力強さが詰まっていて、難しい時代からこそ、何かヒントになるものが感じられるかなという気はします。僕ら自身が一つ一つの取材から、いろんなことを感じられたから。
直美 : 私は取材をして、「人って、自分が思いもしない方向に行ってもけっこうすんなりとやれちゃうんだな」っていうことが大きな驚きで。その中でも面白さや小さな喜びを見つけて、楽しめる人が商売をやっていけるんだな、とすごく思いました。
儲かる・儲からないも大事だけど、商売の面白さっていうのが勝つんだろうなって。周りから見てわからなくても、それを作り続けること、やり続けることに本人たちが面白さを感じられる。結婚してる・してないにせよ、「よかったね」「大変だね」というのを分かち合える人がいて、それを毎日毎日積み上げていく。自分は商人には向かないタイプだと思うけど、幸せってこういうところにあるんだろうなと感じられたのは、私にとっては新しい発見でした。
了 : 身近な人たちの話だからこそ面白いし、世界が広がるよね。
直美 : ほとんどのメディアは「ぜったいにハズレがない」「この人はキャラが立ってる」みたいなことに確信を持ってから取材をする。どんな人にも魅力があると考えないから、“普通の人”には目がいかないんですよね。
了 : 素のままの一言や、日常そのものに魅力があるんだけどね。
直美 : 今の社会は、市場調査をして、「ターゲットは?」みたいな発想でものごとを考えている人がすごく多いと思うんですが、取材した商店の人たちは、目の前にいる人と向き合う中で、会話一つから「こういうのが必要なんだ」って情報を得て商売をしてきたから今がある、とても頭が柔らかい生き方をしてる。それでちゃんとやっていけてるっていう、すごく大事な部分を教えてくれるんです。
撮影=阿部 了 構成=『散歩の達人』編集部
『散歩の達人』2021年7月号に一部加筆