鎌倉・江ノ電・湘南の記事一覧

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源頼朝の急死により武家政権に亀裂が。御家人同士の熾烈な権力闘争始まる
建久10年(1199)1月、初の武家政権樹立の立役者にしてカリスマ的な存在であった源頼朝が急死する。直後に嫡男の頼家が二代目の鎌倉殿に就任するも、若年で経験不足、何よりカリスマ性は頼朝に遠く及ばなかったことから、ほどなく実権を制限されてしまった。その後、鎌倉では血生臭い事件が立て続けに勃発したのである。
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地域の元気がもらえる湘南のグルメ&カフェ5選。通いたい、贔屓にしたくなる店をピックアップしました!
東海道の宿場町として栄えた藤沢は、今も変わらず大勢の人が行き交います。そんな活気あふれるこの街に彩りを添えるのは、個性豊かな良店の数々。そこで今回は、藤沢界隈の元気がもらえる絶品グルメ&カフェをご紹介します。
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自然体で凝り性の平塚ランチ7選。絶品料理とゆるりとした空間が待っています!
平塚は湘南界隈でも下町風情ある街だからか、店主たちは懐っこく話し好き。しかし、こだわりを聞けば妥協を許さぬ職人気質が顔を出す。そんな居心地のよさと珠玉の技が同居した6店を紹介するので、平塚の味を堪能しよう!
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湘南の、本に囲まれた素敵な場所2選
商店街の一角で、歴史あるお寺で。日がな一日、本に囲まれ過ごせる空間に遭遇。いずれもひとつのテーマを深掘りして選ばれた新刊&古書が揃い、唯一無二の棚が続く。心の栄養や充電が足りなくなったら、たっぷり時間を作って訪ねたい。
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大磯のおしゃれなランチ4選。時間を忘れる空間でのんびりまったりしよう!
のんびり空気が街に満ちている大磯では、せかせかは似合いません。風や光、草木を愛でながら、ゆったり手料理とお茶や酒を楽しんではいかがしょうか。心豊かになる大磯グルメを堪能できる店をご紹介します。
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養老孟司先生、「散歩」を語る~「知の論者」は散歩の達人でもあった~
今の時代こそ、自然に親しむ時間が必要だと論じる養老先生。もやっとした気持ちが晴れ晴れとする、生きるヒントを、普段の散歩道を一緒に歩き、源氏山の頂上でうかがった。
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【週末民話研究】江ノ島の弁財天に恋をした、五つの頭を持つ龍の話
江ノ島にある「江島神社」では、安芸の宮島、近江の竹生島と並ぶ「日本三大弁天」として弁財天を祀っています。この弁財天は「弁天様」と呼ばれ信仰される女神で、水神・海神としてだけではなく、芸能・音楽・知恵・福の神としても信仰されています。今回のお話の舞台はこの江ノ島と、鎌倉・腰越。主人公は五つの頭を持つ「五頭龍(ごずりゅう)」です。
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文武に優れた、異色の御家人・梶原景時の足跡と最期を追う
NHKのホームページにある『鎌倉殿の13人』の登場人物欄を見ると、中村獅童氏演じる梶原景時には“謎の武将”という肩書きが書かれている。というのも、その登場の仕方からしてミステリアスだからであろう。梶原氏は平安時代中期に坂東に下向し、武家となった桓武平氏の流れをくむ鎌倉氏の一族であり、石橋山の合戦で源頼朝の軍を討ち破った大庭景親とは同族なのだ。当然、この合戦で梶原景時は大庭軍に属していた。ところが敗走した頼朝一行の探索に加わっていた景時は、しとどの窟に身を潜めていた頼朝一行を見逃したのである。それまでは歴史の表舞台に出ていない景時が、一躍時の人となった出来事だ。その後、頼朝からの厚い信頼を得て、遂には「一の郎党」「鎌倉の本体の武士」と呼ばれるまでになった。まさしく謎多き人物である。今回はそんな梶原景時ゆかりの地を訪ねてみたい。
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進化する「シン・腰越」に注目! 「江ノ電自転車ニキ」ディランさんに、腰越のいいところを教えてもらいました
人気観光地の江ノ島、絶景の海が広がる鎌倉高校前。どちらも江ノ電の駅としては横綱級といえますが、実は両駅の間にある「腰越」も超アツいんです。
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江ノ電・長谷~江ノ島さんぽコース! 電車に乗っても眺めても、はしゃげる沿線
鎌倉には欠かせない、2022年で開業120年を迎える人気電車。その姿を見るだけで、乗るだけで心浮かれるのはなぜだろう。乗れば約18分で着いてしまう長谷~江ノ島間の7駅を、山から海から住宅地から、追っかけながらのんびり散策。
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江の島貝細工ものがたり ~小さな島に世界的な伝統産業があった~
昭和の海の観光みやげといえば貝細工を思い出す。でもあなどるなかれ、長く深い歴史があったのだ。江の島のみやげ物店の片隅に飾られた非売品の貝細工を探し歩きつつ、『寶月(ほうげつ)』のご主人に話を聞いた。
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鳩サブレー・豊島屋、128年の軌跡 ~今や全国区、鎌倉きっての愛されおやつ~
言わずと知れた鎌倉名物・鳩サブレー。その豊島屋が、明治27年(1894)に創業してから今に至るまで変わらず地元から愛される理由とは? 広報担当者にこれまでの歩みとその答えを伺った。
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目の前に広がるのは鎌倉の海!絶景の『稲村ヶ崎温泉』で、世界でも珍しいモール泉を楽しむ
遠くには江ノ島、天気がいいと富士山。美しい鎌倉の海を眺める露天風呂が評判の天然温泉。泉質は世界でも珍しいモール泉で、褐色がかった黄金色が特徴的だ。木をあしらった内装は重厚感があり、高級旅館のような風情があり落ち着いた雰囲気。朝はさわやかな潮風、きらきらとした海に落ちる夕焼け、海に浮かぶ月と、どんな時間でも素晴らしい風景が待っている。
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心地よい茅ケ崎のカフェ3店。朗らかムードで心の底からリラックスできる店ばかりです!
地名の知名度の高さは抜群。けれど、気負う様子はゼロ。自然体で生きる人が多い茅ケ崎界隈に降り立てば、肩の力がふっと抜けます。そんなおおらかな街には自由で、楽しい時間が味わえる店がたくさん! 今回は心地よさ抜群の3店をご紹介するので、時間を忘れてくつろぎましょう。
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湘南で買う&食べるなら!おすすめしたいグルメ5選。店主の渾身のアイデアが炸裂しています!
湘南といえば海のイメージですが、どっこい、畑も田んぼも、果実実る山もあります。米、野菜、果実など、多岐にわたって生産され、色ツヤ、ハリが抜群。地場野菜の料理、加工品も目白押しです。そんな湘南でおすすめしたいグルメ4選をご紹介します。
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源氏の物語でもっとも悲しい事件。頼朝と義経の兄弟対決を伝える地を巡る
源氏による武家政権誕生の話をする場合、避けて通ることができないのが源頼朝・義経兄弟の確執と、悲劇的な結末であろう。多くの伝説に彩られた義経は、天才的な戦いの才を発揮して平家討伐における最大の功労者となったにもかかわらず、最終的に兄頼朝の怒りを買い、討ち取られてしまう。大河ドラマでも、すでに悲しい最期を迎えてしまった。今回はそんな義経の、鎌倉における足跡を追ってみることにしたい。義経は幼少の頃に鞍馬寺に預けられ、その後は諸国を放浪し、奥州の藤原秀衡の元に身を寄せている。それだけに、鎌倉にはゆかりの地が多いわけではないが、どこも印象的な場所ばかり。ということで、まずは鶴岡八幡宮へ足を運んだ。
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功臣・上総介広常の死。鎌倉に残る足跡は、悲しいほど少ない
鎌倉幕府の黎明期は、陰謀や粛清など、悲劇的な事件が思いのほか多かった。その最初の犠牲者と言えるのが、上総介平広常(かずさのすけ たいらの ひろつね)であろう。房総平氏惣領家の頭首という立場で、その支配地域はほぼ上総一国(房総半島中央部、千葉県)であったと考えられている。広常は、もともと鎌倉を本拠地としていた源義朝の郎党であった。保元の乱では義朝軍に属し、平治の乱では義朝の嫡男である義平に従って奮戦している。言うまでもなく義朝は頼朝の父、義平は兄だ。義朝が平家との戦いに敗れると平家に従うが、頼朝が挙兵した頃は平清盛との間に確執が生じていた。
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頼朝大敗の合戦地・石橋山。頼朝を助けた、いくつもの幸運とは? 奇跡を生んだ現場を訪ねる
治承4年(1180)8月17日、平氏追討の兵を挙げた頼朝は、緒戦で伊豆の目代・山木兼隆と、その後見人であった堤信遠を討ち取った。その勢いをもって鎌倉を目指し、東へと向かった頼朝軍の前に、相模の実力者・大庭景親が立ちはだかる。両軍は相模国の石橋山で激突するが、頼朝軍は奮闘むなしく大敗北を喫してしまう。普通ならば、ここで命を落としたであろう。ところが頼朝は、不思議なことに生き残る。今回は、頼朝が武家政権を確立するための最初の試練、石橋山古戦場とそれに関連する地へ、足を運んでみることにした。
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源氏山はなぜ「源氏」と名付けられたのか?頼朝ゆかりのパワースポットとは?~鎌倉幕府の黎明期が見えてくる!扇ガ谷まるごと散策コース~
治承4年(1180)8月17日、頼朝はまず伊豆で挙兵する。だが8月23日には石橋山での戦いに敗れ安房国に逃走。そこで再起を図り、源氏の嫡流という権威を武器にして多くの東国武士団から支持を獲得する。そして自らの拠点を先祖伝来の地・鎌倉と定め、10月6日には鎌倉入りを果たしたのである。その源氏ゆかりの地一帯が、今の扇ガ谷だ。11月には和田義盛を、御家人の統率と軍事指揮を職務とする侍所別当に任命。さらに八幡宮の東側に位置する大倉の地に、政治の中枢となる御所(政庁)を置いた。こうして内乱中にもかかわらず、頼朝は新たな支配体制の足場を、着実に固めていった。
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源頼朝が鎌倉に作った御所。その大きさはどれくらいだったのか? 大倉幕府跡と若宮大路幕府跡を巡り、鎌倉の歴史に触れる
源頼朝により日本史上初の武家政権が樹立され、鎌倉がその中枢の地として選ばれた。なぜ鎌倉が選ばれたかについては、この散歩シリーズの第1回目で触れているので、ぜひ参照してほしい。現在も鎌倉に足を運べば、過去の歴史を伝える遺構や遺物とともに、人々が暮らしている光景と触れ合える。それだけに、街中のいたる所で当時の姿を思い起こさせてくれるのだ。同じように市中に多くの史跡が点在する京都と比べると、鎌倉は見どころが集約されているのもうれしい。今回は、そんな鎌倉らしいコンパクトな史跡巡りを、堪能してみることにしよう。
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