青山 誠(達人)の記事一覧

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『日比谷松本楼』で行われた日本初の女性弁護士、女性裁判所長の退官慰労パーティ【三淵嘉子の東京を歩く③】
「法服を彩る紅三点“女性の法律は女性が”—弁護士試験初の栄冠」というタイトルの記事が昭和13年(1938)11月2日の『東京朝日新聞』に掲載された。この年、嘉子は同じ明治大学法学部の出身者である田中正子、久米愛とともに高等文官司法科試験に合格した。
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松任谷由実「タワー・サイド・メモリー」、内山田洋とクールファイブ「そして、神戸」を聴きながら神戸を歩く【街の歌が聴こえる・神戸編】
松任谷由美が1981年(昭和56)11月にリリースしたアルバム『昨晩お会いしましょう』の1曲目に収録されている「タワー・サイド・メモリー」は、神戸が舞台の歌だ。横浜ではない。ユーミンには珍しく神戸なのである。
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神田学生街を闊歩する角帽の女子学生。 当時の感覚だと、これは “珍獣”か!?【三淵嘉子の東京を歩く②】
2024年前期朝ドラ『虎に翼』のモデルとして注目を集めている、日本初の女性弁護士の一人、三淵嘉子。その嘉子の東京での足跡をたどるシリーズ第2回。大正時代後期頃から女学生が急増、嘉子が女学生になった昭和初期には、高等女学校への進学率は15%以上を越えていた。この頃になると明治時代の女学生の定番だった袴にブーツといった折衷スタイルは完全消滅し、セーラー服など洋装の制服が主流になっている。朝夕の電車には、さまざまな制服を着た女学生があふれていた。
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青山と麻布。恵まれた教育環境で育った怖いもの知らずの少女時代【三淵嘉子の東京を歩く①】
2024年前期朝ドラ『虎に翼』のモデルとして注目を集めているのが、日本初の女性弁護士の一人、三淵嘉子。彼女が生きた戦前の東京はどんな街だったのだろう? 3回シリーズでお届けする第1回は、少女期に家族と共に暮らした東京の住宅地・青山と麻布編である。三淵嘉子さん写真=明治大学史資料センター提供
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SADS『忘却の空』を聴きながら池袋ウエストゲートパーク跡地を歩いてみた【街の歌が聴こえる・池袋編】
池袋は東京有数の大繁華街なのだが、そのわりに、この街を唄った歌は数少ない。駅の東西を巨大なデパートに囲まれて,ご当地ソング全盛期の昭和時代には、駅ビルばかり栄える「駅袋」などと揶揄されていた。それも一因だろうか?  新宿や渋谷に比べて、街の存在感が薄かった。だが、そんな池袋にも、日本大衆音楽史に燦然と輝く名曲がある。
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ブギーの時代は終わった。歌手・笠置シズ子もその役目を終えて……【笠置シズ子の東京を歩く4】
昭和32年(1957)の年明け早々、笠置シズ子は歌手廃業を発表。以後は芸名を「笠置シヅ子」に変えて女優業に専念することにした。この前年には「もはや戦後ではない」が流行語に。日本の経済規模は戦前の水準を上回り、人々の関心は食糧から冷蔵庫や洗濯機、テレビといったいわゆる「三種の神器」に移っている。闇市も消えて商店街となり東京の風景は一変、街で聴かれる流行歌も変わった。
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進駐軍占領下の東京、ブギーの明るいリズムに乗って、人々は〝戦後〟に向かってが動きだした。【笠置シズ子の東京を歩く3】
太平洋戦争末期には、東京各地が激しい空襲に晒された。終戦の1ヶ月前には有楽町駅に爆弾が直撃して、大量の死傷者が発生している。それでも、この界隈の状況は他の地域に比べて状況はかなりマシ。火災に強いコンクリートの建物が多く、それが功を奏したのだろうか。東京宝塚劇場や帝劇、日劇など大半の大劇場も健在。東京宝塚劇場は進駐軍に接収され、アーニー・パイル劇場に改称して兵士の慰安施設になったのだが。その他の劇場は国民の娯楽場の復活をめざして、終戦の日からすぐに活発に動いていたという。
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エンタメの新天地・丸の内界隈に君臨した〝スイングの女王〟だが、その栄華は短く儚なかった……【笠置シズ子の東京を歩く2】
昭和13年(1938)4月、笠木シズ子は新たに旗揚げされた松竹楽劇団(SDG)に移籍して上京する。SDGは松竹の洋画系映画館で上映の合間に催すショーを目的に結成された劇団で、少女歌劇とは違い男女の共演による本格的なミュージカルをめざしていた。
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ブレイク前夜の笠置シズ子と、エンタメの街・浅草【笠置シズ子の東京を歩く1】
NHK朝ドラ『ブギウギ』の主人公モデルとされる笠置シズ子。戦後初の東京のご当地ソング「東京ブギウギ」を大ヒットさせた彼女だが……イメージはコテコテの関西人。実際、四国生まれの大阪育ちである。そんな彼女と東京の、最初に縁が生まれた地が浅草だった。
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『蒲田行進曲』を聴きながら、かつてのキネマの天地・蒲田を歩く【街の歌が聴こえる/蒲田編】
列車のドアが閉まる寸前のタイミングで、聞き覚えのある発車メロディーが耳に入ってくる。「そうだった。ここも名曲の舞台だよなぁ」と、懐かしく哀愁をおびた曲調に誘われて、つい列車を降りてしまった……。
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