池上本門寺
案内してくださったのは、本門寺の歴史に詳しい執事の酒井さん(2016年10月の取材当時)。「地域に根ざした文化の継承を担いつつ新しい時代に相応しい寺のあり方を模索してます」。

法華経を唱えて乱世の救済を説いた日蓮聖人が人生最後の20日間を過ごした入滅の地。当時の郷主・池上宗仲の館裏山にあった一棟を法華経の道場として聖人自らが開堂し、後に池上氏が法華経の字数69834字にちなんで寄進した7万坪の土地に寺の礎が築かれた。「基礎を作ったのは本弟子の日朗(にちろう)聖人で、700年以上も前の事。現在の形になったのは江戸開府の時です」と歴史を紐解くのは執事の酒井智章さんだ。

江戸初期、新しい時代にふさわしいお寺にすべく、加藤清正や徳川秀忠などの寄進や小堀遠州による造園など現在に至る大伽藍(だいがらん)が形成。

「幕府の西の砦という立地で、陣屋として徳川の歴代正妻から多くの寄進があったそうです」。江戸後期には法華信仰が高まり、日蓮聖人の法要「お会式(おえしき)」は多くの庶民でにぎわいを見せた。

不思議な逸話がある。先の戦災で総門、五重塔、経蔵、多宝塔以外の全てが焼失したが「日蓮さんの生身祖師(せいしんそし。生き写しと言われる木造)だけは助かったんです」。4月15日の城南大空襲時、生身祖師のために作った防空壕に小僧さんたちが納めようとすると、いつもスッポリ納まるのがなかなか入らない。仕方なくそのまま抱えてよそに避難。一夜明けるとその防空壕は焼夷弾で壊滅していた。「その場にいて、当時をよく知る大埜上人が、不思議なことがあるもんだと生涯語ってました」。法華経も伝説も絶え間なく引き継がれる、まさにパワースポットである。

此経難持坂(しぎょうなんじざか)は法華経にちなんだ段数

熱心な法華経信者だったという加藤清正が1606年、母の七回忌に寄進した石段。『妙法蓮華経』の偈文(げもん)96字にちなんだ96段。

朱色まばゆい、全国でも最大級の多宝塔

日蓮聖人が荼毘(だび)にふされた場所に立つ宝塔。境内多宝塔としては類をみない大きさだ。2010年、国の重要文化財に指定された。

満願成就の証し、関東で最古の五重塔

後に徳川2代将軍となる秀忠の病気平癒を祈願した乳母が満願の時に寄進するとし、見事復活した秀忠が将軍となり建立した仏塔。

小堀遠州が造った格調ある松濤園

駿府城を大改修した際に活躍した小堀遠州の作庭とされる。大名庭園の祖型となった。園内には茶室もあり、年に数日開放する。

法華経信者の守り神が御座す長栄堂

本門寺の守護神、長栄大威徳天(ちょうえいだいいとくてん)。佐渡島流刑中の日蓮聖人が法華経を読誦していると現れ、聖人を生涯守護した。

池上本門寺名物、人気の精進アイス

九州の大豆を使った製造特許のとうふアイス。TOFU・黒ごま・黒みつきな粉・ほうじ茶など7種類のほか、季節限定ものもある。

地域の文化振興の場、朗子会館

お寺の礎を築いた本弟子日朗聖人にちなんだ、地域に密着した学びの場。朗子鼓笛隊、朗子野球部などがあり、総称は「朗子クラブ」。

現代仏教建築として評価の高い本殿

空襲で焼失した釈迦堂を再現し、1969年に完成した鉄筋コンクリートの仏殿は凜(りん)とした佇まい。著名人などの法要が行われる。

西郷隆盛と勝海舟の両雄会見碑発見!

隆盛の弟西郷従道が揮毫(きごう)した碑。戊辰戦争の末に江戸城を無血開城へと導いた会見が松濤園の東屋でも行われたとか。
隆盛の弟西郷従道が揮毫(きごう)した碑。戊辰戦争の末に江戸城を無血開城へと導いた会見が松濤園の東屋でも行われたとか。

『日蓮宗大本山 池上本門寺』詳細

住所:東京都大田区池上1-1-1/営業時間:境内自由/定休日:無/アクセス:東急池上線池上駅から徒歩10分

取材・文=常田カオル 撮影=金井塚太郎、塙 広明
『散歩の達人』2016年10月号より