元親殿は幼き頃、か弱く嫋(たお)やかであったことから「姫若子」と呼ばれ、成長した後には「鬼若子」と呼ばれるようになった。
其々でも十二分に箔のある名であるが、二段の構えを持つ日本史史上屈指の異名、四国征伐の話の章題にもなっておったわな。
ということで、これよりは儂選りすぐりのかっこいい異名を三つ紹介いたすで、確と覚えて参るが良い!
いざ参らん!!
雲州の狼
一番槍を任せるは謀略に秀で、一時は日ノ本有数の勢力を誇った山陰の覇者、雲州の狼・尼子経久殿である。
異名の王道、「地名+動物」の組み合わせである。
甲斐の虎、越後の龍、肥前の熊などなど、多くの異名がこの形であるわな。
雲州とは尼子経久殿が治めた出雲国から来ておって、謀略を用いて勢力を拡大したこともあり、賢く狡猾な印象から狼と名付けられた次第である。
この経久殿、活躍した時期が三英傑の時代よりも少し前であることから、大河ドラマを含めた戦国物語では描かれることが少ないが、京に近く情勢が不安定な山陰を治めたその実力とその謀略とは対照的な、優しき人柄によって歴史好きからは人気の高い人物である。
経久殿の人柄を伝える逸話にこんなものがある。
経久殿は気が良い人物で、家臣に褒められたものをあげてしまう癖があったそうじゃ。
家臣としては主君の機嫌をとるためにおべっかを使いたいところであるが、刀を褒めると刀を贈られ、甲冑を褒めると甲冑を下賜される有様では中々褒めることも憚られたわけじゃな。
じゃが、とある日、家臣がこれは大丈夫じゃろうと植えておった松の木を褒めたところ、なんと経久殿は松の木を掘り起こし、これを贈ろうとしたのじゃ。
慌てて止めるも、経久殿は木を切って薪にして送ってしまったそうじゃ!!
さらには着ておる衣装を家臣に与えすぎて、自らは冬にも小袖一枚で過ごしたという話も残っておって、天下一の無欲者として語られておる。
いささか話を盛りすぎな気も致すがこの家臣思いのところも、群れを成し家族を大切にする狼に通ずるところではなかろうか。
中国地方はその情勢の難しさから調略に秀でた武将が多く、経久殿や宇喜多直家殿が「謀聖」、毛利元就殿が「謀神(はかりがみ)」といった異名でも呼ばれておる。
天下が懐く仁将
続いては三好家の天下を支えた瀬戸内海の覇者、天下が懐く仁将・安宅冬康殿である!
この『さんたつ』をよく読んでくれる者は聞き覚えがあるやもしれん。
安宅冬康殿は信長様の前に天下を取った三好長慶殿の弟である。
本年は『豊臣兄弟!』ということで戦国武将の兄弟仲が良く描かれておるわな。
戦国時代で有名な兄弟といえば島津四兄弟や三本の矢で知られる毛利三兄弟、北条家五兄弟や長宗我部三兄弟であるが、三好家はこれらの兄弟に勝るとも劣らない優秀な兄弟であった。
この四兄弟は其々異名がつけられており、
長男・三好長慶殿は「智謀勇才の天下を制す器」
次男・三好実休殿は「国家を謀る謀将」
四男・十河一存殿は「大敵を挫く勇将」
そして三男・安宅冬康の「天下が懐く仁将」である!
四兄弟が其々異なる秀でた才があったことが三好家の天下に繋がったわけじゃな。
中でも人徳のある人物としてこの異名がつけられた冬康殿は、血気にはやる兄・三好長慶殿に鈴虫を送り、夏虫でも大切にすれば冬まで生きると諌めた話が残っておるようじゃ。
猛々しい異名が数多ある中で優しき人柄につけられたこの異名は戦国屈指のものじゃと儂は思うておる。
天下の飾り物
元は小さき国衆でありながら、現世で戦国一の人気を誇るは真田家である。
人気なだけあって真田家はかっこいい異名の宝庫でな!!
真田幸村こと信繁は「日ノ本一の兵」「紅蓮の鬼」、徳川の大軍を二度も挫いた父・昌幸殿は「表裏比興の者」「甲斐の虎の両眼」、そして祖父・幸隆殿は上杉謙信殿に「我、知謀は七日の遅れあり」と称させておる!
じゃがそんな中で此度紹介いたすのは、信繁(幸村)の兄にして真田家当主・信幸殿である!
その名も「天下の飾り物」である。
聞いただけでは滑稽であるいは悪口にも聞こえるが、歴とした褒め言葉である。
華々しく散り、戦国時代の終焉と共に消えた弟・信繁(幸村)とは対照的に、信幸殿は実に長く生きた。
信幸殿が世をさったのは関ヶ原の戦いから58年後、93歳の超長寿であった。
じゃが驚くべきは91歳まで現役であったこと、すでに江戸幕府将軍は四代・家綱殿になっておった。
信幸殿は現役のまま、家康、秀忠、家光、家綱の4人の将軍に使えることとなったのじゃ。
17世紀も中頃になるとほとんどの者が大坂の陣以降の生まれとなり、戦を知る者がおらぬ中で、秀吉の天下統一前から戦に参陣し続け、徳川殿の大軍を打ち破ったこともある信幸殿は日ノ本一の武辺者として全ての武家から尊敬されるような存在であった。
老齢となって隠居を申し出るも幕府からこれが許されず、結局晩年まで政務を執り続けることになった。
特に家綱殿は幼少で将軍職を継ぐことになったために、戦を知る数少ない武士として家綱殿を支えてほしいと声が掛かったわけじゃな。
そしてようやっと隠居が叶ったときに家綱殿からつけられた異名が「天下の飾り」であったわけじゃ。
天下の飾りと称されるほどに日ノ本中から大切に思われておったということ、信幸殿は弟、信繁とは真逆の方向で日ノ本に名を轟かせたのじゃ。
終いに
此度の戦国がたりはいかがであったか!!
やはり現世の者が歴史を触れるに、かっこいい華があるというのは欠かせぬ要素であろう!
その中でもその武士の生き様を端的に示す異名はわかりやすくて良いものじゃと思うておる。
此度は三つ紹介して参ったが、信長様の「第六天魔王」、伊達政宗の「独眼竜」、立花道雪殿の「雷神」、長宗我部元親殿の「鳥無き島の蝙蝠」などなど、お主好みの異名を見つけてみてはどうじゃろうか。
文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)








