僕がこの雑誌を立ち上げたのは1996年、すでにバブルは弾(はじ)けていたけど、まだ雑誌業界に勢いがあった時代です。散歩雑誌を作ろうと思ったのは、個人的に街歩きが趣味だったのと、なによりも東京が大好きだったからです。東京ほど雑多な人やモノが集まった多様性に富んだ都市は日本中どこを探しても見つかりません。日本一スタイリッシュなものと日本一ダサいものが同居していて、光と闇、希望と絶望が隣り合わせなところが東京の最大の魅力なのです。とはいえ当時はバブルのなごりもあってか、雑誌やテレビが東京を取り上げる際は、生活感をできるだけ排除し、キラキラした部分にだけスポットライトを当てるのが常識となっていました。もちろん華やかさも東京の魅力といえますが、本当の東京はそれだけじゃないはずですよね。
それで、もっとリアルでクソったれな“素顔の東京”をみんなに知ってもらいたくて作ったのが初期の『散歩の達人』なのです。ドブの中に自ら手を突っ込んで変わったカタチの石コロを拾い上げ、ちょっとだけ泥をはらって「ほら、こんなステキなものを見つけたよ!」って、みんなを驚かせるような雑誌が作りたかったのです。そのために僕はキラキラ系の情報は排除して、以下のような“逆張りコンセプト”を雑誌に課すことにしました。
(1)新しいスポットよりも、失われゆくノスタルジーな風景に注目する。(2)よそいきのショッピングタウンよりも、生活感漂う商店街に注目する。(3)高級店よりも、安い居酒屋やB級グルメ店に注目する。(4)風俗街や労働者タウンなど、負のイメージを抱かれがちな街にも目を向ける。(5)インタビューにはタレントや著名人ではなく、名も無き市井の人たちに登場してもらう。
こうやって改めて挙げてみると、マイナー臭が強すぎて売れる要素がまったくありませんよね。案の定、創刊したものの売り上げは低迷。社内から編集部は総スカンを喰(く)らってしまいました。売れ行きよりもやり玉にあがったのは混沌(こんとん)とした誌面でした。社内会議では「懐かしい街並みや、人情が息づく下町風景を紹介します」と調子の良いことを言っておきながら、フタを開けてみたら、ホームレスや刺青(いれずみ)者、電波系、オンボロ長屋、山谷、赤線などなど、ジャンクな記事のオンパレードでしたからね。非難されて当然です(汗)。
とはいえ同好の士はいるもので、読者の方からは応援の手紙をたくさんいただいたし、同業者からの評判も意外に良くて、いろんな雑誌や新聞が好意的に取り上げてくれました。そしてなによりうれしかったのが、「この雑誌で仕事がしたい」というライターさんやカメラマンさんが、ものすごい人数、売り込みにきてくれたこと。今も『散歩の達人』は外部スタッフさんの情熱で支えられていますが、当時からすでに彼らの協力がなければ成り立たない雑誌だったのです。あれから30年、『散歩の達人』も変わったし、東京の街も変わりました。でも変わり続けるのが東京の宿命であり最大の魅力です。雑誌も時代とともに変わっていってこそ意味があります。読者のみなさま、変わり続ける『散歩の達人』を今後も応援いただけると幸いです!
文=中村宏覚
『散歩の達人』2026年4月号より一部抜粋。






