池島から少し離れた無人島の排気口を見る
「廃なるものを求めて」池島編は、5回にわたって紹介してきました。周囲約4kmの小島には炭鉱や歓楽街の遺構が凝縮し、一度に紹介しきれないほどです。この島の魅力にはまり、何度も訪れる人が多いのも、実際に島へ行くと納得です。「廃なるものを求めて」ではまだまだ紹介してきたいのですが、ひとまず今回の空撮編で締めとします。
池島の空撮は2022年に実施しました。私はドローンではなく小型機(セスナ機)やヘリコプターからの空撮がメインの写真作家で、長崎県内の鉄道と端島(軍艦島)などを撮影するついでに池島も記録しました。
池島の場所は西彼杵(にしそのぎ)半島の西側、「外海(そとめ)地区」に存在します。長崎市内からは少々離れており、端島から佐世保へ向かう途中に寄りました。当日の天候は晴れ、セスナ機の飛行には支障ありません。端島から北上しながら飛行すること10数分、池島上空へ到着します。陸路と航路の併用ではかなり時間がかかりますが、飛行機は海上をまっすぐ飛行できるので、あっという間です。
さっそく、半島と島を結ぶフェリー「かしま丸」の出港が見えます。この船が島のライフラインのひとつですね。私はこのときまだ池島へ訪れたことがなく、地上よりも先に空から島を観察しました。本来だったら下見をしてから空撮へ挑むところ、池島はいずれ訪れようと思っていたら、先に空から見ることになったのです。
一周する間に、機体が西側へと旋回するタイミングで、蟇島へ寄ります。飛行時間はものの数十秒で、池島との間には五島灘の海原が広がっています。蟇島は切り立った海蝕崖が荒々しい無人島で、ここまで寄り道するのは何があるのかと言うと、僅かな平地に海底炭鉱の換気塔設備「蟇島排気立坑」遺構があるからです。
池島から続く海底炭鉱の坑道は約10kmに及び、池島での排気坑だけでなく、1976年に蟇島に立坑を掘削して、坑道の換気を行いました。蟇島は無人島のため換気用の電源は海底の坑道を経由して送電され、池島内の集中監視室で操作されました。
炭鉱の閉鎖によって換気立坑も閉じられ、錆びた2本のダクトが台地に横たわっています。これらのダクトにはファンが内蔵されていて、坑内の空気を吸い出していました。ダクトの先は建屋が撤去されていますが、立坑跡の穴がコンクリートで塞がれています。
20数年前まではこの換気立坑が活躍していました。ついこの前のように思ってしまいますが、蟇島に残された遺構は錆びるに任せており、あっという間に朽ちつつあります。こうやって上空から観察できるのも、空撮ならではの自由度です。
島の崖上に建設された街と炭鉱の遺構を見る
池島へ戻ります。紺碧の海原の底には坑道が繋がっているのだろうなと思っていると、池島の西端に到着します。切り立った崖の上に第二立坑の姿が確認できます。その背後は団地群のアパートが所狭しと建ち並んでいました。炭鉱開発される前、団地群の場所は田畑が広がっていました。それが炭鉱開発で一気に街となり、小島は大きく栄えていきました。
繁栄の痕跡は草木に没しつつ、白亜のコンクリート壁面が陽光に反射して、くっきりと姿を見せています。一瞬では数えきれないほどのアパートの数々、青々とした沈殿池と錆びて朽ちかけている選炭場、無数の穴が開いた屋根が連なる工場跡。それらが島の崖上に存在し、島の大きさには不釣合いで異様な姿にも見えました。前回まで地上の姿を紹介してきましたが、鳥の目線になると、炭鉱の遺構群は崖上の限られた場所にあるのだと、あらためて理解できます。
上空からの遺構は、くっきりと余すことなく私たちの目に映ります。ズームで寄ってみれば、アパートは緑の一部へと同化しかけています。あと10年もすれば蔦だらけになる建物もあるでしょう。人っ子一人居ない道は、20数年前までは住民が行き交い、挨拶が交わされ、銭湯は賑(にぎ)わっていました。その光景は空撮の一瞬の出会いでも想像できます。
願わくは、賑わっていた頃に同じ角度で空撮したかった。いや、閉山前の池島へ訪れておきたかった。20数年前、私は炭鉱跡を記録し始めていたのだから、もう少しアンテナを伸ばすべきでした。と、後悔しています。
池島の空撮は、他に巡るところが目白押しだったため、数分の短い時間でした。その僅かな時間でも、島にこれほどの団地群と炭鉱の遺構が残され、ひしめき合っていることが分かりました。密集度合いは端島の右に出る島はありませんが、池島も島を覆い尽くすかのように遺構が点在し、独特な姿を見せています。
前号までに記したように、池島の炭鉱ツアーは2026年度で終了となります。アパートにも入れなくなるため、気になる方は早めの来島をお勧めします。
取材・文・撮影=吉永陽一







