あの小説を手に、御茶ノ水駅へ
御茶ノ水駅に向かう電車内で、何年かぶりに後藤明生の小説『挟み撃ち』を読み返していた。主人公の赤木が上京した時に着ていた外套(がいとう)の行方を探して学生時代の下宿先などを訪れるのだが、過去の出来事や記憶が次々と差し挟まれて本筋から脱線し続ける奇妙な小説だ。この小説は、御茶ノ水駅周辺の描写から始まる。
「ある日のことである。わたしはとつぜん一羽の鳥を思い出した。しかし、鳥とはいっても早起き鳥のことだ。ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム。早起き鳥は虫をつかまえる。早起きは三文の得。わたしは、お茶の水の橋の上に立っていた。夕方だった。たぶん六時ちょっと前だろう。
国電お茶の水駅前は混み合っていた。あのゆるい勾配のあるアスファルト地帯は、まことに落ち着かない。改札口から出てきた場合も、その逆の場合も、じっとそこに立ち止まることができない場所だ。実際、誰も立ち止まらない。スタンドの新聞、週刊誌を受け取るのも歩きながら、ヘルメットをつけた学生諸君からビラを受け取るのもまた、歩きながらである。」—— 後藤明生『挟み撃ち』(講談社文芸文庫、1990年)p.7
取材のために久しぶりに訪れた御茶ノ水の駅舎は、2010年度からのバリアフリー化工事と2013年度以降の駅改良工事によって様変わりしていた。
駅の東端にある聖橋口から茗渓(めいけい)通りを西に歩き、駅の西端にあるお茶の水橋口まで移動する。『挟み撃ち』の主人公が降り立ったのは、お茶の水橋口だろうか。ゆるい勾配はほぼそのままだが、ヘルメット姿の大学生はもちろんいないし、新聞、週刊誌を売るスタンドもない。代わりにフラワーショップや美容サービスの店が入る駅ナカ商業施設「エキュートエディション」がある。この日はちょうど大学受験の日だったようで、改札の前で大学名の書かれたボードを手に立っている人が受験会場までの行き先を案内していた。
『挟み撃ち』の赤木は20年前に九州から上京してこの橋からバスで大学入学試験会場に向かった。そこで出題された問題が「次の和文を英訳せよ《早起きは三文の得》」だ。主人公は解答欄に「ジ・アーリィ・バード・キャッチズ・ア・ウォーム」と答えを書き込むことができず(「早起き鳥をつかまえることができなかった」)、それ以来二度とそのバスに乗ることはなかった。
取材当日はフリーランスの自分としては早い午前9時過ぎから始まったのだけど、これを早起きと言うのはさすがに「早起き鳥」に怒られるかもしれない。『挟み撃ち』の文庫本を鞄に入れ、取材先へと向かう。
外堀通りを進み、まずは江戸上水の仕組みを知る
地下鉄御茶ノ水駅からお茶の水橋を渡ってくる人の波に逆らいながら、神田川の北側へ渡り、外堀通りを西に進む。順天堂大学の脇にある油坂を上ると、左手に見えてくるのが『東京都水道歴史館』だ。
『東京都水道歴史館』は東京都水道局PR館のひとつで、江戸時代から続く東京の水道の歴史と、水道の技術・設備に関わる展示を無料で公開している施設だ。展示だけでなくイベントや講演会、連続講座なども定期的に開かれており、水道の歴史に関心があれば誰でも参加することができる。
近現代水道は1階、江戸上水についての展示は2階と分かれているので、今回は時代順に2階の江戸上水から見ていくことにした。
2階では神田上水や玉川上水といった江戸上水の仕組みを、当時使用されていた井戸や木樋(もくひ)、古文書などの資料とともに紹介している。前回この連載の取材で訪れた井の頭恩賜公園で神田川の源流と玉川上水を見たばかりなので、あの水が江戸市中まで流れてきていたのかと、想像しやすい。その場所に行って見たという経験は、本や博物館で記述、展示されている土地や河川の名前を見覚えのある、ぐっと身近なものにしてくれる。
江戸で最も早く整備されたと言われる神田上水は、井の頭池を源流に善福寺川と妙正寺川を合わせて、関口の大洗堰(おおあらいぜき)で分水され水戸藩上屋敷に通水された。そこから東の武家屋敷や神田・日本橋方面の町人街へ届けられた。
多摩川の水を江戸に引き入れるために作られた玉川上水は、羽村から四谷大木戸まで水路を掘り、四谷大木戸から先は地中に埋められた「樋(とい)」を利用し、江戸城内をはじめ四谷、麹町、赤坂など江戸の南西部一帯に給水された。庄右衛門、清右衛門兄弟が工事請負人となり、約43kmの距離をわずか8カ月で開削したと伝わっている。
江戸市中の人口増とともに神田上水、玉川上水の他に、新たに亀有(本所)、青山、三田、千川の四系統の上水が設置される。当時の市内人口は100万を超えていたが、上記6系統の水道が下町方面と山の手の一部に給水されたことで、市内人口の60%に水道が普及していたと言われている。
新たにできた4上水は八代将軍吉宗の治世下で突然廃止されてしまう。その理由のひとつとして、吉宗の政治顧問で儒学者の室鳩巣(むろきゅうそう)が提出した建議が原因だとも伝えられていて、その建議とは、地下の上水道が江戸の地脈を分断し火災を起こりやすくするという、易の思想に基づくものだった。現在の感覚では上水がなぜ火事を誘発するのか理解しかねるが、ともかく4上水は廃止され、それまで水道を使っていた地域では、井戸を掘ったり水屋から水を買ったりして不便を補ったという。
当時水道管の役割を担っていた樋は、木や石で作られていて、展示では実物を見ることができる。木樋には水に強い松や檜(ひのき)の木が使用され、ふたの合わせ目を舟釘で留めたり、隙間に木の皮を詰めるなど、漏水を防ぐ工夫がなされている。よく腐らずに残っているなと思ったが、台地に埋設されていた木樋は腐食しやすく、現在残っているのはほとんど低地のものだそうだ。
神田上水が神田川を越えるために設けられた「神田上水掛樋」の模型も展示されている。掛樋のそばには鰻屋「もりやま」の店舗がある。当時は神田川で鰻が獲れたというから、今の風景からは想像がつかない。掛樋は木造なので腐食しやすく、十数年ごとに掛け替えられていたという。
2階の江戸長屋コーナーでは、共同の井戸が設けられていた長屋の一角が再現されている。木樋によって市中に運ばれた水は、上水井戸に供給され、各家は上水井戸から水を汲み、水桶などに溜めて使っていた。長屋と長屋の間を通る蓋をされた細い下水には、使い終わった水が流れるようになっている。
圧巻の水道管模型も!近現代水道の歩み
1階では明治以降の近現代水道の導入や、水道局の取り組みについて、実物大模型や映像資料などで知ることができる。
明治に入り、江戸時代以来の上水は木樋の腐朽や都市化による汚染などが問題となり、水道設備の近代化が検討されるようになる。明治31年(1898)、東京近代水道最初の浄水場として現在の西新宿に淀橋浄水場が造られ、同年から市内への通水が開始された。
近代水道が開通しても、多くの家庭では専用の水栓を引くことができなかったため、複数の住戸で共同でつかう共用栓が各地に設置された。東京市の初期の共用栓は水の出口に龍が象られていたため「蛇体鉄柱式共用栓」とよばれ「蛇口」の語源となったと言われる。
展示室で目を引くのが「馬水槽(ばすいそう)」だ。市電や自動車が普及する前は交通・輸送手段として牛や馬が活躍していたため、牛馬が水を飲むための馬水槽が設置されていた。展示されている馬水槽はロンドンの牛馬給水槽協会から東京市へ寄付されたもののレプリカで、正面上部に牛馬用、下部に犬猫用の水飲み場があり、裏側に人間の水飲み場が設けられている。本物は今でもJR新宿駅東口広場に設置されている。
近代水道では水道管に鉄管が用いられるが、展示室には明治から現代までの鉄管の実物や実物大模型も展示されている。口径2900mmの水道管は圧巻の迫力だ。
神田上水の遺構がこんなところにも
水道歴史館に隣接する本郷給水所公苑の敷地内では、移築・復元された神田上水石樋と神田上水白堀を見ることができる。
神田上水石樋は1987年に文京区本郷1丁目先の外堀通りで発掘された神田上水遺構の一部だ。元々は蓋石をのせられた状態で地中に埋まっていた。先ほど模型で見た神田上水掛樋に至る直前の部分だという。
神田上水白堀は文京区小日向で発掘された。「白堀」は蓋のない水路を指すが、明治時代に入ると「巻石」と呼ばれるアーチ状の蓋がされたという。現在も「巻石通り」という地名が文京区水道に残っている。
水道歴史館の公式YouTubeチャンネルがあり、今回取材で案内してくださった学芸員の金子さんがわかりやすく展示を説明してくれている。より深く知りたい方はぜひこちらも見てほしい。
地域で継承されてきた震災復興と営みの記憶
水道歴史館を出て、順天堂大学7号館の裏手の道を西に進む。右手に『トーキョーアーツアンドスペース本郷(TOKAS)』の建物があって、ここで行われていた展示を何度か見に来たことを思い出した。さらに進むと、正面にベージュ色の3階建ての建物が見えてくる。旧元町小学校を再整備した複合施設『元町ウェルネスパーク』だ。
ウェルネスパークの隣、外堀通りに面した傾斜地に元町公園がある。外堀通り側の入り口から大階段を上ると正面にアーチ模様の壁泉、さらに左の階段を上ると水階段(カスケード)が見えてくる。
関東大震災の後、不燃化・耐震化された鉄筋コンクリート造の校舎に避難施設の役割を持たせた公園を併設する、震災小復興公園が東京市内に52カ所に設置された。元町公園もそのひとつで、2022年から公園整備事業が行われ、昨年2025年12月にリニューアルオープンしたばかりだ。
震災復興小学校として元町公園とセットで建設されたのが元町小学校だ。元町小学校は明治45年(1912)本郷2丁目の三河稲荷神社前に開校するが、関東大震災で校舎が焼失、校地を現在地に移転し復興小学校として昭和2年(1927)に建設された。1998年に閉校し近隣学校の仮校舎などに使用されていたが、2019年から元町公園との一体的活用事業がスタートし、校舎の一部を保存再生して2025年4月に複合施設『元町ウェルネスパーク』としてオープンした。
ウェルネスパーク内には建築当時の教室を復元した「歴史展示室」があり、元町小学校で使用されていた建築部材や校舎模型、デジタルアーカイブなどを見ながら元町小学校の歴史を知ることができる。
映像コーナーでは元町小学校の思い出を語る卒業生の話を聞くことができる。歴史展示室のある建物は旧校舎を保存再生したもので、廊下や階段からも当時の雰囲気が感じられる。
校舎の歴史やそこで過ごした生徒たちの記憶をこうした形で残すことができるのは、なにより元町小学校、元町公園が地域で大切にされてきたからだろう。私も卒業した小学校の校舎が建て替えのために近年取り壊されたが、その事実すらだいぶ後に知ったくらいなので、このように展示室として校舎の歴史が継承されていることがうらやましく感じる。
神田川から水道橋、そして再び御茶ノ水へ
『元町ウェルネスパーク』から外堀通りに出て、水道橋駅方面へ歩く。途中神田川沿いに「神田上水懸樋(掛樋)跡」と記された碑がある。先ほど水道歴史館で模型を見た、あの掛樋があったところだ。かつてここから神田上水が神田川を越えて神田・日本橋方面まで流れていた。今は対岸を中央線の電車が走り、その下の護岸にも掛樋の痕跡などは残っていない。
先ほどの元町公園や神田上水掛樋跡と目と鼻の先にある高校に通っていたにも関わらず、当時はその存在を全く知らずに過ごしていた。江戸東京の歴史を身近に感じられる環境だったのに、もったいない。
水道橋を渡り、再び御茶ノ水駅を目指して、今度は神田川の南側を歩く。錦華通りから猿楽通りに入ってそのまま進むと、左手は駿河台の台地だ。猿楽通りの北側に位置するとちのき通りは猿楽通りから10数m高いところを通っている。
坂の途中にある標識の解説によると、猿楽町と駿河台の境にあるこの崖地にはもともと通路がなく、関東大震災後の復興事業により男坂と西側にある女坂の2本の坂が整備されたそうだ。アプリ「スーパー地形」でこの辺りの標高を調べると、猿楽通りが7m前後、男坂を上ったとちの木通りが21mくらいなので13mほどの高低差がある。平坦な低地で暮らしているので、こうした地形のダイナミズムを感じる風景に出合うといつも新鮮に驚く。
男坂を上り切り、猿楽通りを東に進む。途中『散歩の達人』を発行する交通新聞社の前を通り、高校時代のバイト先があった場所を横切り、再び御茶ノ水駅の前まで来た。先ほどはお茶の水橋を渡って本郷方面に向かったが、今度は聖橋の方に回ってみる。
聖橋は関東大震災後の復興橋梁として建設され、昭和2年(1927)に完成した。構造設計を成瀬勝武、装飾デザインを山田守が手がけた、鉄筋コンクリートアーチ橋だ。橋の北側に湯島聖堂、南側にニコライ堂(日本ハリストス正教会教団東京復活大聖堂)という2つの聖堂を結ぶことから聖橋の名がつけられたと言われている。2018年に躯体の補修と躯体表面を新たな保護コンクリートで覆う長寿命化工事を終え、創建時に近い姿が蘇った。
聖橋の中ほどには人が何人かおり、丸ノ内線と総武線、中央線快速の交差の様子を見ようとしているようだった。橋を渡る途中でちょうど3路線が一度に見られるタイミングに遭遇したので、私も慌てて動画を回す。
そのまま聖橋を渡りきり、橋北詰の階段を下りて外堀通りへ出る。アーチ橋のフォルムとディテールは見ていて飽きない。リズミカルに並ぶパラボラアーチは山田守の初期代表作「東京中央電信局」にも用いられた特徴的なデザイン要素だ。
江戸幕府を開いた徳川家康は、本郷台、湯島台と地続きだった神田山を切り崩し、日比谷入江を埋め立てた。その後神田川が開削され、駿河台は本郷・湯島台と切り離され、独立した台地となる。
高校時代、水道橋の校舎に通い御茶ノ水でアルバイトをしていた私は、そんな歴史を意識することもなく、人工的に作られたこの地形をあたりまえの風景として眺めていた。だから地理や歴史に興味を持つようになった……のであればいいのだけどそんなことはなく、そのような関心を抱くのはもっとずっと後になってからだ。
見慣れているはずの土地を久しぶりに訪れたものの、見慣れているどころか何も見えていなかったのだなと気づいた取材だった。
取材・文・撮影=かつしかけいた
【参考文献・URL】
後藤明生 著 『挟み撃ち』. 講談社, 1998年4月.
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“町名由来板:駿河台(西)(するがだい(にし))た「家康」だった?(キャンパス編)”. 千代田区, 2025年3月, https://www.city.chiyoda.lg.jp/koho/kurashi/volunteer/chomeiyuraiban/choumei/surugadai-nishi.html ,(参照 2026年3月13日).









