国衆とは

国衆、あるいは国人といった言の葉を皆は聞いたことがあるかのう。

これは皆が大河(ドラマ)や物語で戦国時代に触れる折にはじめの方につまずく概念であると聞いておる。

国衆は一言で申せばその国、その土地に根差した勢力のことである。

じゃが!!

いわゆる戦国大名との違いは?と問われるとなかなか答えづらい位置にいるのがこの国衆という存在じゃ。

この国衆の存在が戦国の世を大いにややこしくした。

無論これは意味的な話ではなく、国を支配する上でもこの国衆の扱いが実に難しかったのじゃ。

これよりは国衆がいかなる存在であったのかを深掘って参るで、確とついて参るが良いぞ!

先ずははじめにも申した通り、国衆とはその土地に根差した勢力のことである。

先祖代々その土地を守り、自らの領土を中心に独自の勢力を築き上げた者たち、この定義で申せば、国衆の対義語は守護大名であるわな!

守護大名は幕府の命で派遣されてきたいわば名目上の領主のこと。これに対して実質の領主を国衆と呼んだのじゃ。

鎌倉時代の地頭制が大まかな起こりとなってその後江戸時代を迎えるまで日ノ本中に数多くの勢力が存在しておった。

じゃが、両者は何も敵対しておったわけではない。

基本的には守護大名に従属する形で、京から来て土地勘のない守護大名はその地に詳しい国衆に土地の支配を任せる形で共存しておった。

これがややこしくなるのは戦国乱世、室町幕府の支配体制が崩壊すると領国の境界は曖昧となり、土地の奪い合いが日ノ本中で始まったのじゃ!

して、先に申した通り国衆とは土地に根差した勢力である。

例えば、守護大名の代表格・今川家は桶狭間の戦いにて尾張を失い、続けて松平元康(徳川家康)殿の謀反によって三河を失ったわな。

大打撃に変わりはないが、残った駿河や遠江にて力を蓄え反撃に出ることも叶うし、三河を諦めて反対方向の相模や甲斐国へ領土を広げることも考えられるであろう。

じゃが!!

国衆は自らが代々受け継ぐ土地が全てである。

その地を失ったらばそれで終い、故に自らの土地を守ってくれる者を見極めて都度乗り換える必要があったわけじゃ。

故に各大名と国衆は従属関係にはあれど、完全な上下関係にあったわけではなかったのじゃ!

国衆は自らの領土を守ることを条件に大名に協力をする。

代々その土地を守り知った地の利や人間関係は、大名からしても重要なものであった。

現世で例えるならば戦国大名が大企業、国衆が中小企業といったところであろうか。

お得意先ではあっても上司ではないわけじゃな。

そして、大名が国衆の土地を守る力を失ったら取引は中止、別なる力ある大名や勢力と契約を結び直すといった次第じゃな。

これに加えて、我らの時代はいくつかの大名に両属する国衆も少なくなくてな。例えば東濃の国衆・遠山家は織田家と武田家と斎藤家に属しておったりも致す。

そもそも二君に仕えずといった現世の者が思う忠義や武士道といった武士の考え方は、太平となった江戸時代に社会規範の為に広まった概念であって、実力主義の戦国の世は自らを守るための両属や離反はむしろ至極当然の行いであったわけじゃ。

故に、大名はこの国衆の扱いに実に苦心しておった。

大河ドラマ『豊臣兄弟!』において秀吉と秀長が鵜沼城主・大沢次郎左衛門や川並衆・蜂須賀小六の説得を試みる場面が描かれておったであろう。

斯様に如何に境界地の国衆を取り込めるかが戦の鍵であった。

特に美濃は交通の要地で戦が活発であったことや、斎藤道三様が下剋上から覇権を握られたことも相まって独立性の高い国衆が数多おってな、それ故に信長様は美濃攻めに時間をかけられたのじゃ。

して、国衆の特徴でもあり大名からすれば難儀するのが一枚岩ではないということ。

これまで話してきた通り、その土地に根差し独立性が高いがために大名からすれば領土を広げたとて抱えた国衆たちの統率が難しかったんじゃな。

これは家臣団にも言えることではあるが、それぞれの利を満たしながらも版図を拡大するのは中々に労力であろう。

故に信長様は版図を広げる中で信頼のおける古くからの家臣に国を与え、支配を任せることでその地の国衆の権力を抑え、動きやすい体制を取られておったといえよう。

じゃが、決して在地領主を軽んじたわけではない、例えば我が前田家では、越前や能登の勢力を家臣に登用し、現地支配の中心を担ってもろうて不満のでぬ支配体制を整えておった。

消えゆく国衆

鎌倉時代から長きにわたって日ノ本中に存在した国衆であるが、戦国時代の終わりと共に姿を消すこととなる。

国衆は何処へ消えたのであろうか。

国衆の進路は大きく分けてふた種類、戦国大名となるか、その家臣となるかじゃ。

我ら織田家もかつては国衆的存在であったし、毛利家、龍造寺、尼子、長宗我部といった大大名は国衆から成り上がっておる。

加えて真田家や井伊家も現世でも国衆あがりの大名家として有名であろうか。

真田家は武田家に属したのちに徳川、上杉、北条の大大名に囲まれながらも見事な立ち回りを見せ、江戸時代には10万石を超える大名となっておる、その反面、井伊家は今川や武田、そして徳川家に囲まれ、時流に恵まれず実権を失っただけではなく領土も失っておる。じゃがその後に徳川家に仕えて家を再興し、徳川四天王の一角として譜代大名最高の地位を与えられるに至っておる。

手本のような国衆であった両家は大河ドラマ『真田丸』や『おんな城主 直虎』にて主役となりて、小勢力の悲哀や大大名を欺いて生き残る強かさが描かれ人気となったわな!

元々はあまり知られておらんかったこの国衆という言葉が随分現世に広まったのは、この二つの大河の影響が大きいようじゃ。

そして、大名となれなかった国衆たちはその独立性を失い、大きな勢力の家臣となった。

我らが前田家も信長様に従い、元の領地であった荒子から北陸に移った折にその言わば国衆性を失ったとも言えるであろう!

さまざまな地のさまざまな家で、大なり小なり斯様なことが起きて、秀吉や徳川殿による大規模な大名の国替を持って終焉を迎えたといった次第である。

終いに

此度の戦国がたりはいかがであったか!!

なんとも難しい話をして参ったわな。

なんども申すが、国衆には明確な線引きはない。

かなり実像がはっきりとしない言の葉であるが、同時に戦国を語る上では避けては通れぬものじゃ。

なんとなく頭に入っておればこの先の大河や歴史物の絵巻の理解が容易くなろう!

特に秀吉は古くからの家臣がおらぬ分、得た領土の武士たちとの付き合いが重要であって、豊臣家の重鎮となる武将たちとの出会いがこの先もきっと描かれるであろうから、本年の大河ドラマを楽しむ助けとなったらばこれ幸いである。

さて、長くなったが此度の戦国がたりはこの辺りで終いといたそう!

これよりも楽しみにしておるが良い。

それではまた会おう。

さらばじゃ!!

文・写真=前田利家(名古屋おもてなし武将隊)