取材・文=井上麻子

京都生まれ古書店育ちのライター。2012年よりフリーランスとして、お店から農家まで日本全国の食と酒を各種媒体で取材。5000円あったらコスメよりもリッチなランチが食べたい。

ボタニカルが育つ豊かな“自社森”

育成中のジュニパーベリーの木に囲まれて。代表の松崎裕大さん(右)と弟で蒸留長の翔大さん。
育成中のジュニパーベリーの木に囲まれて。代表の松崎裕大さん(右)と弟で蒸留長の翔大さん。

ジンを純国産で造るのは難しい。必須の原料であるジュニパーベリーを栽培している人が、国内には少ないからだ。「ならば自分たちで育てよう!」と思いついたのが、川越市中福で明治20年(1887)に創業した酒販店『マツザキ』の5代目・松崎裕大さん。なぜなら母屋の裏には、約2000坪の森があったから。

「小さい頃は遊び場でしたが、家業に入って改めてこの森の豊かさに気づきました。ここで育った原料でジンを造れば、土地の魅力を伝えられるし、他にはないジンができると思ったんです」と裕大さん。ジュニパーベリーは生育が遅く、ジンに使うまでに十数年はかかる。裕大さんが初めて苗木を植えたのは15年前。現在は150本までに増え、やっと緑色の実をつけ始めていた。

こちらがジュニパーベリー。ジンには通常、黒く熟した実を乾燥させて使う。若い緑の状態でも青くみずみずしい香りの中に、ほのかに特有のスモーキーな香りが混じり合う。
こちらがジュニパーベリー。ジンには通常、黒く熟した実を乾燥させて使う。若い緑の状態でも青くみずみずしい香りの中に、ほのかに特有のスモーキーな香りが混じり合う。
裏の森は「みらいくの森」と呼ばれ、一般開放されている。
裏の森は「みらいくの森」と呼ばれ、一般開放されている。
母屋には松崎家の歴史を感じる品がごろごろ。2代目・松崎良助さんの写真には「大志を抱いて家業に専念する」との言葉が。
母屋には松崎家の歴史を感じる品がごろごろ。2代目・松崎良助さんの写真には「大志を抱いて家業に専念する」との言葉が。

ジュニパーベリー育成大作戦と並行して、炭小屋を蒸留所に改装。2020年から「棘玉」のジン造りをスタートした。もちろんジュニパーベリー以外のボタニカルも、ほとんどが自社森育ち。樹木や柑橘、春夏にはハーブもすくすく育つ。

森には柑橘、ショウガ、サンショウ、お茶、ハーブなど多彩なボタニカルが育つ。実験的に植えているクスノキも、清涼感のある香りを放つ立派な原料になる。
森には柑橘、ショウガ、サンショウ、お茶、ハーブなど多彩なボタニカルが育つ。実験的に植えているクスノキも、清涼感のある香りを放つ立派な原料になる。
森は近隣の方々や子供たちが憩えるよう、整備している。裏手には不老川が流れ、向こうには富士山! 川越にこんなところがあったとは。
森は近隣の方々や子供たちが憩えるよう、整備している。裏手には不老川が流れ、向こうには富士山! 川越にこんなところがあったとは。

妥協できない酒販店の息子たちによるジン造り

「棘玉」のラインアップ。ユズや河越茶、サンショウなどを使った緑の「スタンダード」4950円(700ml)のほか、樽で熟成させた「カスクシリーズ」、カカオやバニラビーンズが香る「フォンダンショコラ」などの限定バッジもリリースされている。度数はどれも47%前後で、ロックやソーダで割るだけで、濃厚な香りが花開く。
「棘玉」のラインアップ。ユズや河越茶、サンショウなどを使った緑の「スタンダード」4950円(700ml)のほか、樽で熟成させた「カスクシリーズ」、カカオやバニラビーンズが香る「フォンダンショコラ」などの限定バッジもリリースされている。度数はどれも47%前後で、ロックやソーダで割るだけで、濃厚な香りが花開く。

「棘玉」のすごさは、なんといっても濃厚でピュアな香り。それは、とんでもなく手間隙のかかる製造方法から生まれたものだった。蒸留を担うのは元料理人の弟・翔大さん。まずは収穫したボタニカルを一種ずつベーススピリッツに浸漬して、香りを抽出するのだが、翔大さんはこの行程に7日間もの時間をかける。

「それぞれ漬ける時間と温度を変えているんです。高温でやれば早いけど雑味が出るので、低温でじっくり。幸い食材には詳しいので、ベストな抽出時間も大体分かるんですよ」

留器は国産の200ℓサイズの特注品。
留器は国産の200ℓサイズの特注品。
マネージャーの及川さんと共に日々実験を繰り返す。
マネージャーの及川さんと共に日々実験を繰り返す。

ちなみにジュニパーベリーは通常の3倍以上の量を惜しげなく使う。蒸留もボタニカル別に複数回行い、最後に裕大さんが原酒をブレンドする。「棘玉」は香水のように、香りを組み合わせる“調合型ジン”なのだ。「僕は酒販店、弟は料理人として、鼻と舌は相当鍛え上げてきましたから。トップノート、ミドルノート、ラストノートと香りの変化を設計するのは楽しいですよ」と裕大さん。ボタニカルを知り、酒を知り尽くす。チーム棘玉は、最強の兄弟だった。彼らが夢見る“100%川越産ジン”が爆誕する日はそう遠くない。

「今年は1タンクだけでも全量自家製のボタニカルで仕込んでみたい。熟す前のフレッシュなジュニパーベリーや枝も使ってみたいですね。飲めばこの川越の森を感じてもらえる、そんなジンに仕上げたいです」

蒸留液は段階で見た目も香りも違う。「棘玉」に使うのは真ん中のみで、感性を研ぎ澄ませてそのタイミングを利き分ける。
蒸留液は段階で見た目も香りも違う。「棘玉」に使うのは真ん中のみで、感性を研ぎ澄ませてそのタイミングを利き分ける。
住所:埼玉県川越市中福547/アクセス:西武鉄道西武新宿線本川越駅から西武バス「新所沢駅東口」行き12分の「中福」下車、徒歩14分

取材・文=井上麻子 撮影=鈴木奈保子
『散歩の達人』2026年2月号より