地域のオアシスのようなレトロな喫茶店へ
中野エリアは、サブカルチャーの発信地として外国人観光客にも広く認知されている。1966年に駅の北口側に開業した複合商業施設「中野ブロードウェイ」は、その象徴と言えるだろう。
中野ブロードウェイの2階、中央階段の近くに昭和レトロな喫茶店がある。1971年7月のオープン以来、この場所で営業し続けている『さかこし珈琲店』だ。
「最近は外国人のお客さまが増えて、多いときは6割が外国の方という日もあります」と語るのは、店主の坂越朗恵(さかこしあきえ)さん。レトロブームの影響もあってか、店内には若いお客さんの姿も少なくない。一方、昔からの常連客のほとんどは近所に住んでいる人たちだという。
「常連さんの中には、親子3代で来てくださる方もいらっしゃいますね。学生のときに来ていて『まだやっていたんだ』と懐かしんでくれる方もいますし。常連の皆さんは『今日はいいお天気ですね』とか、店員とのちょっとした会話を楽しみに来てくださる。そういうコミュニケーションは大事だと思うんですよね」
まさに地域のオアシスのような存在である『さかこし珈琲店』をオープンした経緯を坂越さんに聞いた。
「昔、私の兄が中野ブロードウェイの2階で喫茶店をやっていたんです。そちらのお客さまが増えてきた頃、ここがたまたま空き物件になっていて、喫茶店をやらないか、と。当時、私は会社勤めをしていましたが、小さい頃からコーヒー店をやりたいという漠然とした思いはあったんですよ。それで兄がいろいろ教えてくれて、妹と2人でこのお店を始めました」
お兄さんからコーヒーについて教わる過程で、坂越さんは出身地の静岡県にあった喫茶店に連れて行ってもらった。そこで飲んだコーヒーの味が今でも忘れられないという。
「そちらのようなコーヒーを出したい、という思いがずっとあって、うちはネルドリップで一杯ずつ淹れているんです。自分で納得できるコーヒーを淹れるのは難しいので、いつまでも勉強なんですよね」
ネルドリップで淹れる自家焙煎のコーヒーにほれぼれ
『さかこし珈琲店』では、ネルと呼ばれる布製のフィルターで抽出したコーヒーを味わえる。1種類の豆を最適な煎り具合で提供するストレートコーヒー800円~や、生クリームを使ったコールドコーヒー730円など、メニューは多種多様だ。これらのドリンクと一緒に、常時10種類ほどあるケーキから好きなものを選んで注文する人が多い。
今回はケーキセット(ブレンドコーヒー+サンマルク)1250円~をオーダーした。ドリンクはブレンドコーヒーのほか、アイスコーヒー、紅茶、アイスティーの中から選べる。ちなみに単品で注文した場合の値段は、やわらかいコーヒー(ブレンド)700円、サンマルク650円で合計1350円。これがケーキセットなら100円引きの1250円になる。
ブレンドコーヒーの豆は、コロンビア、モカ、マンデリン、グアテマラの4種類を自家焙煎したもの。「私の兄が静岡で焼いてくれているんです。兄は私にとって厳しい先生でもありますね」と坂越さんは笑う。
コーヒーを淹れる際のお湯の温度は85℃前後。熱すぎると、コーヒーがきちんと出なくなったり、酸味が強くなったりするそうだ。そのため沸騰したお湯は、ヤカンからポットに移して少し冷ます。
ネルのフィルターはペーパーに比べて抽出に時間がかかる。それでも坂越さんは「ネルドリップの何とも言えないやわらかい感じが好き」だという。
「とくにネルドリップの場合は、淹れる人の個性が出ます。その人がせっかちだと薄めの物足りない味になったり、反対に時間をかけすぎるとしつこい味になったり。そこがすごくおもしろいと思いますね」
淹れ立てのブレンドコーヒーは香り高く、苦味と酸味のバランスがよい丸みのある味わいだ。マイルドなテイストなので、フルーツ系からチョコレート系まで、各種ケーキともよく合う。
セットのサンマルクは、バニラとチョコレートのムースを重ね、上部をキャラメリゼしたケーキ。香ばしいキャラメリゼの風味に、バニラ&チョコムースのほどよい甘さがマッチしている。口の中でスッと溶けていくムースの食感にも思わずうっとり。
そして今回は、坂越さんがおすすめするコールドコーヒーも注文してみた。イタリアンロースト(極深煎り)のアイスコーヒーに生クリームを注いだスイーツのような一品だ。上品なほろ苦さとミルキーな甘さが調和した、奥深い味わいがたまらない。
ネルドリップのコーヒーとケーキを交互に口に運びつつ、ホッとひと息入れる。そんな心落ち着くひとときを過ごせるから、地域のオアシスとして長年親しまれてきたのだと実感した。
大好きなコーヒーを淹れられることに毎日感謝
半世紀以上にわたって『さかこし珈琲店』を切り盛りしてきた坂越さん。今の思いを尋ねると、オープン当初から一緒だった妹さんのことを語ってくれた。
「うちの妹が2011年に亡くなったんですね。妹といろいろ相談しながら、ケンカもしながら一緒に頑張ってやってきたお店を潰すわけにはいかない。私1人になったら潰しちゃった、なんていったら妹に対して申し訳ないな、と思って。だから売り上げがあまりなくても頑張っていきたいんです」
実際にこの店を続けてこられたのは、坂越さんの思いを理解してくれるお客さんやスタッフさんたちの支えがあったからだ。
「すごく応援してくれた常連さんや一緒にやってくれるスタッフたちには、本当に感謝しています。何か一つでも欠けていたら、やってこられたかどうかわからないので。毎日こうして大好きなコーヒーを淹れられることに、いつもいつも感謝の気持ちでやっていますね」
最後に今後の展望について伺うと、思いもよらない答えが返ってきた。後を継いでもらう予定だった姪御さんが2025年に亡くなったというのだ……。
「後継者がいなくなってしまって、これからどうなるかはわかりません。けれど、やれるだけ頑張っていけたらいいな、と。お客さまが『おいしかったよ』『また来ますね』と言ってくれて、いいスタッフに恵まれていることが、私の最高の喜びです。今も楽しくやれているのは本当に幸せだなと思います」
笑顔でそう締め括った坂越さんが、これからも元気にコーヒーを淹れられるよう、応援せずにはいられない。
取材・文・撮影=上原 純







