加藤俊徳先生が散歩を始めたきっかけは、5年ほど前に出席したアルツハイマーの国際学会で、中高年の運動不足は認知症につながるリスクが高いという発表があったことだった。

「朝、家を出て会社に行く、そうした日々の通勤だけでも、脳はいろいろな切り替えをしています。運動、記憶、視覚、聴覚、思考などですね。でもずっと家にいて、外に出ない生活が続くと、その切り替え回数が圧倒的に少なくなる。この状態は中高年だけでなく、コロナ禍でリモート生活が続いて、フラストレーションを抱えている多くの人にあてはまります」

加藤俊徳(かとう・としのり)先生
1961年、新潟県生まれ。医学博士、脳内科医。加藤プラチナクリニック院長。株式会社脳の学校代表取締役。MRI脳画像診断の専門家。「脳番地トレーニング法」提唱。主な著書に『脳にいい!通勤電車の乗り方』(交通新聞社新書)、『脳が若返る最高の睡眠』(小学館新書)など多数。

朝さんぽで昼と夜の脳活動のメリハリをつける

散歩マニアを自称する加藤先生は、散歩が体にいいことはもちろん、「朝さんぽ」を推奨している。その根拠のひとつが、人間に備わる“概日リズム”だ。昼に活動して、夜に休息するという24時間のリズムのことで、体内時計によって管理されている。

昼に活動、夜に休息。24時間の”概日リズム”。

夕方になると血圧が高くなり、メラトニンが分泌されて眠くなる。ノンレム睡眠(深い睡眠)に入ると血圧が下がり、コルチゾルも下がり、体温も下がる。朝、起きるためにコルチゾルが上がってくると、朝日を浴びることでメラトニンは下がり、血圧がだんだん上がってくる。というサイクルになっている。

【コルチゾル】

副腎皮質から分泌されるホルモン。ストレスを受けたときに分泌され、ストレスに対抗するはたらきをする。結果、血圧を上げる。

【メラトニン】

脳の視床下部から分泌されるホルモンで眠りを誘発する作用がある。体温を低下させ睡眠に適した状態に導き、光に当たると抑制される。

「昼と夜の脳活動のメリハリをつけるのが、朝の散歩だと思うんです」と先生は話す。体を動かすことで、脳のはたらきを切り替えるということだ。

「地球の自転によって1日は24時間というリズムがあります。人類はこの天体の動きに勝てないし、概日リズムは脳の中に遺伝子で組み込まれているんですよ。朝日を見ることは、地球が回っている時間の経過を意識することにもなります。時間の感覚は、脳の記憶系をすごく刺激するのでボケ防止にもなります」

とはいえ、朝起きるのはつらい。もうこし寝ていたい。

「朝、だらだらしていると、頭の中がずっと睡眠の連続のような状態で動いていて、いつ確実に覚醒したのかわからないまま一日が終わってしまう。午前9時までに脳を覚醒させることで、一日中ピークでいくことができます。脳に正しいリズムを刻むためにも、朝の散歩は効果があるといえます」

目が開いたからといって、必ずしも覚醒しているわけではない。外気に触れて、五感を刺激することで、脳も刺激され、確実に覚醒できるのだ。

「いつも同じ状態だと、脳には刺激が入りません。たとえば、赤をずっと見続けていても脳は刺激を感じないんです。赤を見た瞬間に刺激を感じて、そのままずっと見ているときは、あまり脳は活動していない。でも、赤が見えなくなると、またスイッチが入る。そうしたオンとオフがあります。朝さんぽは、すごく多くのオンとオフに作用する。脳を、まんべんなく使うことができるんです」

脳内科医の基本の散歩術とは

加藤先生自身は、どのような散歩をしているのだろうか。

「だいたい50分から1時間、歩いています。行く前に、ラジオ体操第一と第二をやって、出発するのは7時半くらい。夏はもうすこし早いです。距離は、おおよそ5㎞。僕は、ただ歩くだけじゃなくて、頭を整理しています。今日一日の課題を考えたり、昨日やり残したことを思い出したり。散歩に出かける前に、解決したい問題を頭の中に入れておくんです。四六時中、考えているわけじゃないんですが、歩いていると、ああそうかってひらめく。朝さんぽを、ひらめきタイムにしています。脳科学では、新しいことをどんどん発見していかなくてはならないので、すごく気づきが大事なんですよ」

散歩の道中は絶好のひらめきタイム

先生は道すがら、咲いている花や、飛ぶチョウなど、その日の風景や、途中で起こることに注意をはらっているという。といっても、見たものとひらめきの内容に直接関係はなく、ほとんど無関係だそうだ。

「呼吸も大切です。できるだけ腹式呼吸で歩くようにしています。息を吸う時間を短く、吐く時間を長く。ふつうは1分間に12〜13回だと思いますが、半分の6回くらいを目安にしていますね。そうしたほうが、感覚が研ぎ澄まされるような気がします」

歩くときに、何か音楽がほしい人もいるだろう。

「歩きながら音楽を聴くのもいいですが、ラジオもおすすめです。最近、脳の画像研究をしてわかったのですが、パーソナリティの言葉を自分なりに考えようとすると、脳の記憶系の神経細胞が集まる場所を刺激するんですね。じっと聞くだけでなく、歩きながら聞くということは、より刺激があってよいと思います」

加藤先生の基本コースは、白金台→恵比寿ガーデンプレイス→目黒川沿いを南下→雅叙園→坂を上がって目黒駅、というものだ。これを約50分で歩く。歩くスピードは一定ではなく、意図的に変えている。

「スピードをあげようとすると、自分の脳にスイッチを入れなきゃいけない。速く歩くように自分に命令することですから。散歩も終わりに近づくにつれて、つらくなってくるでしょう?だからどちらかといえば後半のほうが脳を鍛えると思っています」

また、歩くコースも毎日変えている。

「コースを変えることで、自分で選ぶじゃないですか。それがモチベーションになります。たとえば、家族がパンを食べたいと言ったら、店の開店時間に合わせて行ったり。久しぶりのコースにしたら、建物がすっかり変わっていたりする。一本、道路を変えるとまったく違う光景になってびっくりします。目黒川沿いを歩いていても、 一本西側の山手通りを歩いてみると風景が一変する。そういうのも楽しみながら歩いています」

ときどき、家族を誘ってみることも。

「息子を誘って、一緒に歩きます。子供たちって、朝はぼーっとしてますよね。でも不思議なことに、歩き始めて15分もすると雄弁になってきますよ。会話がはずむ。家族のコミュニケーションツールとしてもいいと思います」

雨にも負けず仕事量にも負けず

自分の散歩術を細かいところまで話してくれた加藤先生。さらに驚くのは、それが年中無休ということだ。

「雨が降っていても傘をさして行きます。僕は新潟の、年の半分は雨か雪という悪天候のところの出身なので、天候によって行動を変える習慣はないです。横なぐりの雨で傘が折れるような状況では無理ですが、雨だから行かないという論理は存在しない。でも、天候によって変わる人の行動を観察するのは楽しいです。時間帯によっても変わりますね。散歩の時間が30分違うだけで、人通りがまるで変わる。天候と時間帯の違い、不思議です」

忙しいからと休むこともほぼない。

「朝の散歩ができるように、午前中が忙しくならないように、前日までにいろいろなことを準備します。それでも追いつかないときがあって、そんな日は十字架を背負ったような残念な気持ちになります。不健康な生活をしていると感じてしまう。そうならないようにするためにも、朝の散歩の位置づけは僕のなかではとても大事です」

朝さんぽの回数が減ってくると、一日のリズムだけではなく、一カ月のリズムが落ちてくるのがわかるという。やむを得ず、夕方に歩くこともあるが、朝の充実感にはかなわない。

「測ったわけではないですが、朝さんぽはドーパミン(うれしいと感じるときに作用する覚醒物質)が出ている気がします。体が動きやすくなっ てるんですね。その勢いで、散歩から帰ってきたら片づけします。片づけって、ものすごく脳を使うので、全身のアクティビティを上げていないとできません。僕はもともと苦手で物を捨てられないので、全部やろうとせずに場所を決めてやってます。朝さんぽを片づけをするためのスイッチにしています」

散歩を通して自分の体と対話する

「散歩はいろいろなことを僕に教えてくれる」と加藤先生は続ける。季節の移り変わり、天候や時間帯によって街が違う顔を見せること、横道に入るだけで風景が変わること。長く歩いていると、体のコリや痛みに気づくこともある。右足のほうが歩幅が狭いなど、歩かないとわからない変化にも気づける。散歩の時間は、自分の体と向き合う時間でもある。

「普段はクリニックにいて、人は出入りしますが、僕は座っ ていることが多い。だから頭だけでものを考えないように、歩く口実が必要なんです。経験を積むためには、散歩はなくてはならないものです」

散歩は人間が健康に生きていくために大事なものであることを、先生は理論的に説明する。さらに自らが実践することで、朝さんぽの効用を示す。なんとなく体に良いだろうという、あやふやな感覚をみごとに裏付けてくれた。

「人間は二足歩行で進化してきました。現在のように動かずに情報を得て、情報をまわすというのは、この二足歩行の上に成り立っている脳の構造に合っていないんです。歩かずに頭だけで情報を得るのは、脳の仕組みとしてはいびつなので、人間の精神が健康でいられるわけがない。多くの人たちはこの前提を忘れているんです。進化すればするほど、足腰、目や耳をつかう時間を減らすのは問題だと僕は思っています。散歩を楽しめるというのは、大事な能力ですし、人間が柔軟であることのひとつの要素だと思うんですね。散歩でどれだけ自由に行動できるかを、自分の脳で発想してみてください」

取材・文=屋敷直子 撮影=加藤昌人 イラスト=オギリマサホ
『散歩の達人』2020年8月号より