なぜこんなかたちになったのか?
多摩川沿いの県道と貨物線跡のさいわい緑道の間に広がる、約4・2万坪の河原町団地。東の1号棟から西の15号棟まで、9〜14階の住棟はみな南北方向に整然と並んでいる。
この地は、大正4年(1915)に日東製鋼、その8年後に東京製綱の工場があった場所。1968年の工場移転を機に、川崎市と神奈川県は跡地を買収し高層住宅を計画した。当時は人口の都市集中化に伴う住宅不足や住環境の悪化が問題視された時代。そこで共同で優れた住環境の市街地団地を整備しようと志したのだ。
工事は1969年度から着手し、70〜74年度に住棟を建設。総工事費162億円をかけ、住宅困難者向けを意識した市営約45%、県営約36%と、市・県住宅供給公社(分譲)約19%で構成する約3600戸の団地が完成した。
入居は、72年の市営1号棟と県営7〜9号棟を皮切りに、73年より市営2〜3号棟、74年より県営4〜6号棟、75年より市営12号棟、分譲13〜15号棟と、竣工順に順次始まったという。
そこで、気になるのがY字を逆さにした斬新な3つの住棟だ。なぜこんなかたちになったのか?
設計者は大谷研究室の大谷幸夫。丹下健三に師事し、数々の都市開発事業に携わった人物で、国立京都国際会館などの名建築を残している。
そんな彼が逆Y字型を採用した一番の目的は、日当たりだ。この団地建設における大きな課題は、空間を取りながら住宅の日照を確保することだった。高層住宅は建物の間隔が狭いと下の階の日照は妨げられがちだが、ベランダ部を階段状にせり出すことで、同じ日照量を保ちながら土地を効率的に利用できる。
地震に強い構造や通風、そしてせり出しの内側に生まれる大きな吹き抜け広場も重要な狙いだ。床にはゴム系シートを張り、住民のコミュニティースペースとしてはもちろん、子供が転んでも安全な遊び場とした。
ただ逆Y字型はコストが2割高であることから結局、全棟には採用されなかったものの、「戦後日本の公営住宅史上、一つの変曲点を示した高層集合住宅である。建設当時、従来の『均一』『均質』『大量供給』という公営住宅への批判を込めて提案された」といった評価もされている。
マンモス校までできた、人口過多の団地
そんな団地に暮らす人にはどんな思い出があったのだろう。13〜15号棟を管理する「河原町分譲共同ビル管理組合法人」理事長の内田章さんに話を聞いた。
「昔を知る方が言うには、団地ができた当時、川崎駅からこちらのほうを眺めて『あそこに入れるといいねえ』なんて話していたそうです。私が入居したのは80年ごろ。たまたま娘と通りかかったら不動産屋につかまって。分譲は2階建てみたいに階段があるメゾネットタイプの部屋だったので、娘が面白がったんですよね」
当初の入居者は30歳前後の若い世帯が中心で、子供もとても多かった。10号棟の建設を変更し河原町小学校を開校すると、数年で川崎一のマンモス校に。ピークは77年で児童数1906人。これ以上増えれば支障が出ると、児童を近隣の3校に分散させる事態にまでなったとか。
買い物には13〜15号棟の1階に商店街(現・はなも〜る商店会)を形成。郵便局、銀行、本、薬、金物、洋服、生鮮三品、喫茶、寿司、中華に蕎麦(そば)などの店が軒を連ね「ここで用が足りるほど何でもあって活況でした」と内田さん。ちなみに4、6号棟の下の「赤広場」(吹き抜け広場)には、毎日、八百屋さんや牛乳屋さんが自動車で売りに来たそう。
商店街は店が半分以上入れ替わり、今も続くのは酒店、花店、電気店、果物店、美容室、理容室、そして日本茶の『つな川』だ。本店は川崎大師だが、団地の誕生と共に支店を出店。店に立つ綱川まゆみさんも、まさにその頃ここで生まれたとか。
「昔はわんさかお客さんがいて、年末の店は人であふれかえるほど。幼稚園から帰るといつも家ではなくお店に直行していました。団地は遊び場としても最高で、場所には困らないし車は少ない。住居階の通路で“高鬼”をしたり、自転車で走り回ったこともありましたね(笑)」
しかし団地は半世紀を超え、住人の高齢化率も過半数に達した。川崎一のマンモス校は最少校となり2006年に閉校。その跡地には高齢者施設が生まれ、今後は特別支援学校の新設計画もあるという。
「かと思えば、建築を学ぶ東大生が研究したいと通ってくれたり、昨年(2024年)は『ガールズバンドクライ』というアニメの舞台になって、『孫から連絡が来た』って喜ぶ住人の方がいたり聖地巡りの若者が訪れたり、面白いところなんだなと気づかせてもらってます」と内田さん。
存在価値ある河原町団地、川崎に息づくモニュメントとしてこれからも見守りたい。
取材・文=下里康子 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2025年4月号より
参考資料=『グラフかながわ 1972.9』(1972年)、『かながわ昭和たてもの散歩』(2022年)、『かながわ建築ガイド』(2003年、神奈川新聞社)、『川崎市立河原町小学校 創立十周年記念誌』(1982年)、『わたしたちの町 さいわい』(1987年、川崎市立幸町小学校)ほか