私が中学に上がる頃には本格的な作業も手伝わされるようになり、年末年始が近づくたび憂鬱になった。あの厳かで非日常感ある年末年始の空気の中、鍋を囲んで紅白歌合戦を見たり、好きな人を誘って初詣に行ったり、そんな機会が今後自分の人生には訪れないのかと思うと寂しい気持ちになった。

今でも年末年始は必ず帰省し家を手伝っている。年始は神主の装束を着てお祓いをするなどいかにも神社然とした仕事が多いのに比べ、年末は仕事のほとんどが肉体労働だ。しめ縄を作る。山に入り松や竹を切り出してきて飾り物を作る。脚立にのぼって飾りつけをする。どれも特別楽しい作業ではないが、なかでも個人的に最も気の進まない作業が「餅作り」だ。

神社では行事があるたび米や野菜、果物、海産物などを神前へお供えする。普段ならスーパーで売っている餅で済ませたりもするが、新年は手作りの餅を供えるため自分たちで餅を作らねばならず、私はこれが億劫で仕方がない。

ここ10年くらいは父親と私、また父の友人である尾崎さんの3人で餅作りをおこなっている。毎年朝7時半など無駄に早い時間から作業が開始され、まずその時点で意味がわからない。また作業をおこなう部屋には暖房器具がなく非常に寒い上、よくわからない本や梅干しの瓶、段ボールなどがそこらに散らばっていて居心地が悪い。

わずか3時間の工程が

餅作りは大まかに言って「餅をつく」「餅を丸める」のふたつの工程にわかれる。はじめにせいろで蒸したもち米を電動餅つき機の中に入れスイッチを押すと、蟻地獄のような形状の鉢の底についたプロペラが回転しもち米をかき混ぜ始める。そのまま5分くらい待てば餅ができる。続いて、できたて熱々の餅をでっかいしゃもじ2枚で挟んで持ち上げ、机の上の大きな板にのせる。餅がくっつかないよう、板には片栗粉が満遍なくまぶされている。このしゃもじで餅を持ち上げる作業のとき、毎回父親が「はよせんかい」と異常に急せかしてくる。別に10秒20秒くらい余計にかかったところで餅が固まるわけでもないのに、なぜそこまで急かされないといけないのか。ストレスは感じるものの、今ここで急いで餅を持ち上げる必要性について父と話し合い、説得できたところではたして何の意味があるだろうか。年に何度もするわけじゃないし、と自分に言い聞かせ作業を続ける。

そうして板の上にのった餅を父がちぎって小分けしていく。それをろくろを回すように両手で包んで丸く整える。餅の形を整える際、父や尾崎さんは絶えず下から餅を搾り上げ、筒のようにどんどん高くしていく。そうしないと餅が垂れて平べったくなってしまうからだという。しかし私はそこまでしなくても餅が冷めるまでの間たまに手を加えていれば最終的に綺麗な形になると経験上思っている。むしろ餅を搾り上げ過ぎると裏面がどんどん中に食い込んでいって汚くなるし、後々カビが生える原因になることもある。また私は片栗粉のキュッとする感触が大の苦手で、触るだけで鳥肌が立つので不必要に触れたくないのだ。と私にはそのような意図や理由があるのだが、ふたりからは私が単にサボっているように見えるのか、父は「尾崎さんみたいにもっと搾り上げんかい」と何度も注意してくる。いつまでも子供扱いしてくるが、こっちだって子供の頃から何十回も同じ作業をしているから要領は得ているし、むしろ今は自分の捏(こ)ね方の方が正しいと思っている。だが説明するのが面倒だし、「餅を丸める」というニッチな作業において我を通すメリットをあまり感じないため、なんとなく言われたとおりのやり方をまねするフリをしてその場を収めている。

一度せいろでもち米を蒸すにつき、鏡餅で2〜3個、小餅だと20個くらいになる。それを6ターンほど繰り返し、作業はおよそ3時間で終了する。それほど重労働でもないのに私はなんでこんなに餅作りが億劫なのか。それはきっと、言われたことに対して頭の中でいろいろと理屈を考えてしまうからだ。それを自分ひとりで溜め込み、ただ不機嫌な顔で作業している。

たとえば同じ神社関係の作業でも境内の掃除などにはあまり苦痛を感じない。掃除は決められた範囲においては自分の裁量でおこなうことができるからだ。もし餅作りにおいても自分ひとり、あるいは自分が先導しておこなうのならそんなに辛くない気がする。

思えば私の場合、労働に苦痛を感じる理由のほとんどは「意義を納得できないまま他人に従わされている」ことに尽きるかもしれない。昔勤めていたバイト先でもなぜか店長目線で働く人がたまにいた。「何でお前が売り上げを気にするんだよ」と反感を抱いたりもしたが、ああいう人たちは決まって楽しく働いているように見えた。当事者意識を持ち、作業の意義を感じながら働けば、確かに勉強になることが増え、やりがいも感じやすいのだろう。

言われたことに納得できないならちゃんと自分の意見を表明すればいいのに、「その場がしのげればいいや」とただ受け流す。そんなものぐさバイト精神だから苦痛がふえ、最終的に自分が窮地に追い込まれるのだ。

やがてまた年末年始がやって来る。まずは今年、私が餅を搾り上げない理由について説明することから始めてみようかとも思うが、実行できる自信はあまりない。

湯島天神下の老舗甘味処『つる瀬』にて撮影。吉田が食べているのは玉子ぞうに。「上品な味でおいしいす」。
湯島天神下の老舗甘味処『つる瀬』にて撮影。吉田が食べているのは玉子ぞうに。「上品な味でおいしいす」。

文=吉田靖直 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2024年1月号より

実家が神社をやっている影響で、子供の頃の私は近所の人たちから割と丁寧に扱ってもらっていた。道を歩いて老人とすれ違うと「あんた神社のとこの子やんな。はよお父さんやおじいちゃんみたいに立派な神主にならんといかんで」と声をかけてもらうことが多々あった。親の命令により毎日学校に行く前に神社の階段を掃除させられていたことも近所で知られており、「あんたは偉いなあ」とよく知らない人から褒められたりもした。半面、私は古典的なマンガに出てくる悪ガキ的ないたずらをして、近所の雷親父から「コラー!!」と追いかけまわされるようなキャラクターにちょっと憧れていた。しかし、もしいたずらをした相手が私を神社の息子だと認識していたら、過去に「立派な息子さんやなあ」と神主の父にお世辞を言ったことなどを思い出し、𠮟りつけるのを躊躇して気まずい空気になるのではないか。そんな心配のせいであまり大胆にピンポンダッシュもできず、サザエさんのカツオのような天真爛漫なやんちゃ坊主とはかけ離れた自分のキャラ設定を歯がゆく思った。年に一度、神社が主催する恒例のバスツアーがあった。30人程度でバスを貸し切り、ほかの地方の有名な神社を回る。神主である父親はそのバスツアーの先導役であった。私はあまり神社を巡りたくはなかったが、毎年3日ほどは小学校を休み、バスツアーに参加させられた。神社の跡継ぎとして期待され、高齢者ばかりの旅に参加する唯一の子供であった私は、みんなに可愛いがられた。人見知りで無口な子供だったため小学生としてはあまり可愛げがなかったように思うが、他に比較対象がいないおかげでツアーのマスコットキャラクター的な注目を一身に集め、ことあるごとに「これ食べな」とおやつを貰ったり、「学校は楽しいか」と話しかけられた。私はイメージを壊さないようできるだけ努力して振る舞いながらも、学校でのキャラクターとは違う丁寧な扱われ方を息苦しく思った。大学2年の時、上京していた私のもとに父親から電話がかかってきた。昔私が参加していたバスツアーで、新橋のちょっといいホテルに来ているらしい。「美味いもん食わせてやるから仲がええ友達何人でも連れてこい」と父親は言った。今や典型的ダメ大学生と化した自分が、信心深い氏子さんたちの集まる場に顔を出すのは多少抵抗もあったが、その頃金欠であまりいいものを食べていなかったせいもあり、「美味いもん食わせてやる」という父親の誘いは魅力的だった。サークルのたまり場で友人たちに話してみるとみんな「面白そうじゃん、行ってみようぜ」と乗り気な様子だったので、そのまま友人たち3人を引き連れ新橋へ向かったのである。
たぶん私は人よりも多めに怒られてきた方だと思う。しかし怒られても適当にごまかしてその場を取り繕おうとするので、間近で怒声を張り上げられるような、いわゆるブチ切れられた経験はあまり多くない。そんな数少ないブチ切れられた経験として真っ先に思い出すのは、中3のある初夏の日のこと。当時私は給食委員をしていた。風紀委員、体育委員、生活委員などクラスの全員が何かしら役職に就かなくてはならず、比較的楽そうだった給食委員に立候補したのだ。私と尾崎さんという女子が担当となった。給食委員の仕事は毎日給食の時間になると棚からウェットティッシュを取り出し教卓の上に置くだけ。そのウェットティッシュも使う者はほとんどおらず、実質あってもなくてもいいような仕事だった。ただ、どんなにくだらない仕事だとしても、与えられた役割を忠実にこなす大切さを学校側は学ばせようとしているのだろう。そう頭では納得していても意義を感じにくい仕事はつい疎かになってしまう。私はほぼ毎日ウェットティッシュを出し忘れていた。決してサボっていたわけではない。うっかり忘れてしまうのだ。私の代わりに尾崎さんが毎日ウェットティッシュを出してくれていた。さすがに申し訳なく、明日こそは忘れないようにしようといつも思った。午前の授業中にふと思い出し、よし今日こそウェットティッシュを出すぞと決意するのだが、給食の時間になると不思議なほど忘れてしまう。尾崎さんばかりが給食委員の仕事をしていることに気づいた担任教師が「おい、お前忘れるなよ」と軽く釘を刺してきた。口調は優しかったが、この担任は授業中に金八先生のビデオを頻繁に見せてくる熱血漢タイプで、前触れなくいきなりブチ切れる場面を今まで何度も目撃してきた。あと何度かウェットティッシュを出し忘れたら教師の逆鱗(げきりん)に触れる可能性も高いだろう。不安に襲われつつも、給食の時間になるとやっぱりまた忘れてしまう。「お前また忘れとるやないか」と言う担任のこめかみには血管が浮き始めていた。
知人の飲み会で一度だけ会った文芸誌の編集者から連絡があり打ち合わせをすることになった。コーヒーをすすりながら「最近は何やってるんですか」「実家にはよく帰るんですか」と世間話のような質問に答えていたら数十分が過ぎていた。相手は私に仕事を頼むつもりだったのに、私の返答のレベルが低すぎたせいで「やっぱこいつダメだ」と見切られてしまったんじゃないか。そんな不安がよぎり始めた頃、編集者は突然「吉田さん、小説を書いてみませんか」と言った。私は虛をつかれたような顔をして「小説かあ……いつか書いてみたいとは思ってたんですけどね。でも自分に書けるかどうか」などとゴニョゴニョ言いながら、顔がニヤつきそうになるのを必死にこらえていた。本当は打ち合わせを持ちかけられた時点で小説の執筆を依頼されることに期待していたのだ。「まあ……なんとか頑張ってみます」と弱気な返事をしつつ、胸の内は小説執筆への熱い思いで滾(たぎ)っていた。