ここは、好きな場所のひとつ。東京タワーはやっぱり東京の象徴ですからね」屋台バーを始めてもうすぐ14年になる神条(かみじょう)昭太郎さんが、夜空を見ながらゆっくりと静かに話す。その日の場所が決まったら、箱みたいな屋台の側面を開き、30分ほどかけてバー空間に設えてゆく。準備を整え、SNSで場所を発信。幾つもあるキャンドルを一つひとつ灯ともし終えた頃、一番客がカウンターにとまる。
掲げた理想を求めて漂う
長野県の山間で生まれ育った神条さんは、横浜の大学を卒業し、銀行で約2年働いた後、フリーターを経て衆議院公設秘書を5年ほど経験した。やがて、「独立して何か1人でできることを始めよう」と離職。模索し始めた。「この時、3つの理想を掲げました。自分ならではの世界観を表現すること。自由度が高いこと。ちゃんと食べていけること。考えるうちに、すべて満たすには規模を小さくするしかないと思い至って、屋台の構想が生まれました」。夜開くバーを選んだのは、フリーター時代にバーテンダーを経験したからだ。
屋台は、南千住にあるリヤカー専門の町工場に発注。神条さんが落書きした絵をもとに、職人が造り上げた。木製のボディは、神条さんの立ち位置がアール型に凹んでいるなど、細部まで凝っている。2006年、外苑前のいちょう並木で開業。3年ほどは定位置にいたが、ある時、「手引き屋台の最大の魅力は好きな場所に移動できることではないか」と悟り、移動を開始した。同時にこの営みを「冒険」と称し、日数をカウント。この夜は3348日目だった。
当初はビールやワイン、炭酸や氷も積んでいたが、今はハードリカーを1、2種のみ。「23年もののラムとカルバドスがあります」などと口頭で説明し、仏製の高級クリスタル「バカラ」に注ぐ。常時20客ほど用意していて、どんなモデルで供されるか楽しみだ。また、「来てくれた人が感じた価値を値段にして」との思いから、値段設定はなく、お客自身が決めるスタイルを貫いている。最近、「バーというより、コンテンポラリーアートだね」との感想を耳にした神条さん。それは、独立時に掲げた理想、世界観が表現できている十分な証しだろう。
今宵も、どこかで、冒険は続く。
『TWILLO』店舗詳細
取材・文=松井一恵(teamまめ) 撮影=金井塚太郎