東京都慰霊堂[両国]
1930年竣工
関東大震災による犠牲者の遺骨を納めるため建てられた。のちに東京大空襲などによる殉難者も合わせ、約16万3000体の遺骨が眠る。慰霊堂のある都立横網町公園を含む一帯は、震災当時被服廠跡と呼ばれていた。広大な空き地だったため多くの人が避難に集まったが、周囲から迫る延焼と猛烈な火災旋風により、わずか1時間で3万人以上の命が奪われた。
東京復興建築案内
堅固と優美は首都の誇り
瓦礫と化した跡地に、過去の教訓を活かすだけでなく、後世にまで届けと言わんばかりに粋を凝らした建造物たち。幾世代も乗り越えた、造り手の心意気と美意識を潜ませた世界観を見せてもらおう。
まずは『東京都復興記念館』に行かねば、話が始まらない。風格あるたたずまいに、思わず頭を垂れて入館する。「被害だけでなく、復興とその後の生活を伝えたいんです」と学芸員の森田介さんが教えてくれる。当時の小学生の作文を、同じ学校の現在の生徒が朗読するという映像展示も、改修工事後にはお目見えするという。
両国から蔵前橋を渡り、商店街全域が復興建築という『おかず横丁』の看板建築を愛で、上野仲通りへ。よくぞ残してくれました『黒沢ビル』。四季を表現したステンドグラス、洗面所の鏡や階段の手すりなど、細部への心配りも素敵。「建設当時は不忍池が見えたんです」という屋上にある、かつて治療室だったガラス張りの小部屋に、今も日差しが注ぐ。絶え間ない補修あればこその現役ビル。
すらりと伸びた脚の聖橋を渡って塔屋がかわいい本郷エチソウビルの急階段を上る。本郷通りの喧騒を忘れる『珈琲FARO』のしっとりとしたたたずまい。「元雀荘の床を剝がしてみたらいいフローリングが出てきたんです」とお隣の設計事務所「ファロ・デザイン」の住吉正文さん。むき出しのコンクリの壁と柱もそのまま。これに惚(ほ)れた大谷さんが、内観を変えずカフェを始めた。「ここをゆっくり楽しんでほしい」と、調度品もシンプル。「建物を大切にしてくれる人が来たんです」と笑う住吉さん。
防災意識は木造家屋にも。神田多町に残る『松本家住宅主屋』の、見るからに堅固な和風建築の粋な風合いに、江戸から続いた青果市場のDNAを感じたあと、震災で崩壊しなかった日本橋を渡って兜町へ。
日本橋川沿いに立つ日証館のスイーツショップ『teal』でひと息。「内装は剝がしたままですよ」とはチーフパティシエの眞砂さん。建物に刻まれた長い時間に価値を見出したに違いない。
「今まで兜町に来たことがない人に、この街の空気に触れてもらいたいんです」。
生み出される新しい美味と変わらぬ雰囲気。両方ともごちそうさま。
残す選択に潜む建物への愛と使命感
そうだ、『WALL STREET』も川沿いではないか! 復興建築で最も大切で難しいメンテナンスをきっちり続ける第2井上ビルのオーナー井上賢一さんの、エネルギーと知識に脱帽する。「昭和12年になると資材の統制が始まるので、それまでに建てられたビルはガッチリしてます」と教えてくれた。「ここは人の手がこしらえたビルなんです」。無数の梁、太い柱、そして隅々にコテの意匠が施される。残せるものは残し、直せるものは雰囲気を維持して直す。川面を眺めつつ、ランチと建物を堪能する。
さて、隅田川復興第一号の永代橋を渡って深川に向かおう。元加賀公園が遊具の少ない広場なのは、防災拠点たる復興公園だからか? 当時の面影は隅っこの壁泉だけ。解説板もないのが切ない。なので現役で頑張る『深川東京モダン館』に行こう。リノベしても、モザイクタイルや丸窓はそのまま。「近所の人の利用がほとんどですよ」と副所長の龍澤潤さんのひと言に、かつて公衆食堂だった頃の役割が令和流スタイルで続いてることを知る。スペースの貸し出しも「まずは受けます。やってみないと分かりませんから」との大らかさ。地域に開かれた利用こそ、復興建築の役割だ。
清洲橋が見えてきた。隅田川に架かる橋はどれも個性的で美しく、自信にあふれている。その全てが復興事業なのだ。日常に近過ぎて、先人の思いに気づかず使ってしまう。それだけしっかり造った証しなのに。だからこそ、もう一度立ち止まって考えてみなくては! と改めて思う100年目。
東京都復興記念館[両国]
思わず背筋が伸びる重厚と静謐
1931年竣工
関東大震災の災禍と復興事業を後世に残すべく、東京都慰霊堂と同じ伊東忠太が携わった施設。1階は震災の発生から復興を、2階は震災絵画と復興模型等および東京空襲に関する資料を展示。2023年9月をめどにデジタライズした展示エリアが公開される。
・9:00~17:00(最終入館は16:30)、月休。
・☎03-3622-1208(横網町公園管理所)
黒沢ビル[湯島]
ステンドグラスが導く昭和ロマン
1929年竣工
旧小川眼科病院として建てられた。幌状のひさしがかわいい白亜の外観と共に、建築主の実弟にして日本初のステンドグラス作家・小川三知の、和の風合いを持った作品が随所に設置。月1回の一般公開日あり(HP参照)。施設保存のための寄付として、見学料5000円。
おそらく海外で買い付けたパーツを組み合わせた天井のランプ。
珈琲FARO(エチソウビル)[本郷]
ゆるやかな時の流れに身を置く
大正末期ごろ竣工
糸物商の自社ビルとして竣工し、昭和初期に塔屋付き部分を増築したテナントビルの2階で営業するカフェ。むき出しの躯体そのまま、その雰囲気を邪魔しない家具と設えに、建物への思いがあふれている。
・11:30~17:30LO(土・日・祝は12:00~)、月休。
・☎03-6240-0287
松本家住宅主屋[淡路町]
元やっちゃ場の復興町家
1931年竣工
幕府の御用市場から始まる青果市場があった多町大通り沿い、現存する下町の復興町家としても貴重な木造店舗兼住宅。がっちりした深い軒と、窓の少ない羽目板の側面が印象的。メンテナンスも万全で、かつての日本一のやっちゃ場の繁栄を物語るかの風格。
teal(日証館)[茅場町]
金融の中枢においしい風を
1928年竣工
旧渋沢栄一邸跡に建てられた日証館をリノベーション。その1階に実力派パティシエ眞砂翔平さんと大山恵介さんがオープンしたチョコレート&アイスクリームショップ。年季の入った店内とスイーツの対照の妙。
・11:00~18:00(イートインは17:00LO)、水休。
・☎03-6661-7868
WALL STREET(第2井上ビル)[茅場町]
美しく守り続ける川沿いの世界観
1927年竣工
亀島川沿いに建てられた白亜の和洋折衷建築の第2井上ビル、1階の『WALL STREET』でランチを。自家製パンチェッタのカルボナーラは1380円。
・11:30~13:30LO・16:00~22:00LO(金と祝前日は~23:00、土は夜のみ営業、~22:00)、日・祝休。
・☎03-5695-1599
元加賀公園[清澄白河]
火除け地兼防災拠点の要衝
1927年竣工
被災した元加賀小学校と共に作られた。火災の延焼防止、防災拠点になる公園整備は復興事業の要。隣に鉄筋コンクリート造の小学校も配し、地域コミュニティー化する構想もあった。校舎は1974年に建て替えられたが、公園内には当時の壁泉がモニュメントとして残る。
深川東京モダン館[門前仲町]
近隣住民が集うDNAは健在
1932年竣工
被災した市民に安く食事を提供する公衆食堂の一環で建設された東京市深川食堂。公共施設を経た後にリニューアルして開設した江東区の文化観光の拠点。6つの丸窓と壁一面の連装窓が、正にモダンそのもの。
・10:00~18:00(金・土は~19:00)、月休。
・☎03-5639-1776
清州橋[清澄白河]
優美にして堅牢、帝都の華
1928年竣工
対岸を結ぶ船の渡し場だった場所に、復興事業として永代橋と共に建設された鋼鉄橋。震災後最初に完成した永代橋が重厚にして男性的なのに対し、ドイツケルン市の吊り橋を参考にしたといわれる、優雅で繊細なその姿は、震災復興の華と謳(うた)われた。
取材・文=高野ひろし 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2023年9月号より