岡田商店

菓子・玩具・花火の卸として台東区で1948年に創業、2022年に本社を足立区に移転。駄菓子だけでも約100社、玩具や花火などと合わせると約120社の商品を扱う。
駄菓子文化を愛する3代目の岡田さんは駄菓子マイスターを名乗り、駄菓子を扱いたい人の相談にも応じている。

風格すら漂う木造倉庫には、天井に届くほど荷物が詰まる。
風格すら漂う木造倉庫には、天井に届くほど荷物が詰まる。

2度のビンラムネ復活劇、その背景とは

ビン形最中(もなか)にストローを刺して吸うと、粉ラムネが口中へ押し寄せてゲホゲホむせる。吸い続けると、ストローに詰まって吸うに吸えない。甘いけどもどかしいビンラムネは、昭和30年代に墨田区のメーカーが考案。関東でヒットを飛ばしたが、過去に2度、終売危機があった。

最初は昭和の終わり。高齢による廃業だ。3代目の岡田政隆さん曰く「父親が踏ん張りまして」と、なんとか引き継ぎ先を見つけたが、2018年、そのメーカーも廃業。あきらめかけた3年後、運よく引き継ぎ先が見つかった。
「製造復活の際には、多くの方に喜んでいただきました」

3代目の岡田さん。ストローはおしりの方が刺しやすい。「ゆっくり吸ってみて」。
3代目の岡田さん。ストローはおしりの方が刺しやすい。「ゆっくり吸ってみて」。

ならば他の駄菓子も、引き継がれる可能性はあるんじゃないだろうか。

「ビンラムネは、作り方や原料メーカーなどのすべてを、考案者から先代が直(じか)に教えていただいたんです。あとは作るだけ。でもそこが一番、難題で」
駄菓子メーカーは、自宅兼工房で1社1品の製造が主流。しかも、考案レシピに合わせて製造機械、金型、手仕事用道具など、独自にカスタマイズしていて、「機械や道具が壊れたら、そのまま終売になるケースも多いんです」。

たとえ運よく機械が壊れていなくても「俺と同じ味になるわけがない」と、引き継ぎを拒むケースもある。

そんな中ビンラムネは、粉ラムネ同様に万全な湿気対策が必要な、きな粉を扱うメーカーと、アイスのコーンを作るメーカーが協力し合って復活。かなりレアなケースだったのだ。

ビンラムネ。パッケージは、初代の日本昔ばなし風ウサギを元に、平成に替わった。
ビンラムネ。パッケージは、初代の日本昔ばなし風ウサギを元に、平成に替わった。

昔も今も童心にヒットする、駄菓子の遊び心

駄菓子はロングセラーこそ多いが、近年はヒット作が乏しいという。深刻な職人不足だが、反対に、駄菓子屋を始めたいとの相談は今もある。とはいえ、こどもの客単価は100〜200円。粗利3割に、人件費、家賃などが嵩(かさ)み、原料高騰で値上げの嵐。駄菓子は何十年も単価が上がらなかったため、「当然な話です」と苦笑しつつも、「駄菓子だけで生計を立てることは、正直、難しいです。でも、雑貨店や飲み屋に取り入れるなど工夫すれば」と、岡田さんは駄菓子屋が秘めるポテンシャルを熱弁する。

「こどもはギャンブラーですからこれが大好きですよ」と推すクジ付き菓子は、スーパーやコンビニでは取り扱えない商品。イカ串など対面販売でしか出合えない味もある。食べ方に工夫がいり、ネーミングやパッケージもユニーク。

「食べて楽しい駄菓子には遊び心がたっぷり詰まっています。あとは駄菓子屋もメーカーも、時代に合ったやり方で、若い世代が後に続いてくれたら」と、目を細めた。

取材・文=佐藤さゆり 撮影=村上悠太
『散歩の達人』2023年5月号より

昔ながらの駄菓子屋さんが減少する中、どっこい、新たに始める人も増えている。さらに、往年の店すら大胆にリニューアルして、人気急騰中だ。なぜ今、駄菓子屋なのか。小銭を握りしめ、駄菓子界の新風をめぐり歩いてみた。