「さんたつ」を読んでいると、飛び込んでくる文字全てがすごくお洒落なのです。なので、普段からこんなに粋で知的で、豊かなものに触れている読者の皆さんが「サビでなわとび跳ばなーーーい!!!」なんていう粋の反対勢力、無粋、秩序の欠落みたいなネタをしている私がエッセイを通して交わることができるのか……?という点はかなり不安ではあります。

「さんたつ」読者は、コーヒーは深煎りのブラック。カーテンじゃなくてブラインド。家に虫が出ても殺生せずに玄関から逃してあげてそうというイメージがあります。あと相槌一つとっても「そうだね!」じゃなくて「……そうだね。」みたいな、そんな大人の落ち着きを感じるのです。本当に私で大丈夫なのでしょうか……!

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しかし、考えました。

ただ急に「跳ばなーーーい!!!」と叫んだら誰だって訳が分かりません。しかし、これは時間の許されたエッセイです。言葉を尽くして、少しずつ私のことも知ってもらえれば最後に「ああ、だからサビでなわとびを跳ばなかったのか……。」と理解してもらえるかもしれません。

ですので今回は「街と私」と大きくテーマを構えて「新井薬師前」からスタートした初めての東京生活や、芸人のスタートラインに立つまでを書けたらと思います。わ!そんなこと宣言して本当に器用に出来たらかなりかっこいいですね!有言実行できるよう頑張って書きますので、よろしくお願いします。

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私が、新井薬師前に住み始めたのは18歳の頃、大学に通うためでした。

実家が埼玉なので通えない距離ではなかったのですが、当時の私には「脚本家になりたい!」という夢があって、それを叶えるには片道2時間の通学は遅れを取るように思えたのです。

新井薬師前は大学のある高田馬場まで一本で行けるのと、あと「なんか名前に“薬”って入っててかっこよぎる……」という点に惹かれて決めました。よく漫画で、これから始まる未来に期待が高まって「すべてがキラキラと輝いて見えた」と例えることがありますが、こう振り返るとこんなにもアホらしかったとは震えます。

そうして、半ば勢いで両親を説得して決めた一人暮らしでした。

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引越しの日のことはよく覚えています。

業者に頼まず、実家の車に荷物を詰めて、家族に協力してもらって引越しをしました。途中インターチェンジに寄ってお昼ご飯を食べ、「夜に食べるように」とパンを買ってもらいました。みんなで力を合わせて運び込んで引っ越しが終わり、家族が帰っていった夜……。

初めての東京の夜は物凄く静かでした。さっきまでの賑やかさが、今の自分の1人を引き立てました。まだ何もない部屋にお昼のパンだけがあって、ただのパンなのに親からの最後の愛情の化身みたいに思えて、もうこれを食べてしまったら本当に1人の生活が始まるんだ……と悲しさが込み上げました。

まさかインターチェンジのパンが独り立ちのメタファーになるとは。あと、分かりやすくパンと書きましたが実はチュロスみたいなかなり陽気なパンでした。なんかもっとかっこいいやつが良かった……。そうして泣きながらパンを食べ、私の東京生活はスタートしました。

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住んでいたマンションは、中野通りに面していて、桜が満開でした。

中野通りは、桜の名所として真っ先に挙げられる地ではないのですが、300本もの桜の木が植えられていて、お花見だったら朝5時から並ばないと見られないくらいの絶景が広がります。あんなに桜を目にした春は他にないかもしれません。

新井薬師前は、中野駅まで歩いて15分ほどで行くことができます。

東京暮らしもやや慣れてきたある日、私はついに「あれをやってしまおう……」と企みました。私は中野駅には行ったことがあります。しかし、新井薬師前からは行ったことがありません。「あれ」とは「知っている場所(中野駅)」という点と、「知っている場所(新井薬師前)」という点の、点と点の間を歩いて線にすることです。

あれはすごいです。「え!こことここが繋がってたんだ……!」と知ったときの興奮は、RPGの世界にいる気分と言いますか、ゲームのマップの、まだ未開の地としてグレーで塗り潰されていた謎のゾーンにデーンッと新しい地図が現れるようで楽しいのです。

そうして東京を開拓するかのように、中野駅を目指して歩き出しました。

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出発するとまもなく、どこからともなく私を歓迎するように、右から左から「楽しいよ……!」「寄って行きなよ……!」と声をかけられているような錯覚に陥りました。見渡すと、小さくひしめき合ったお店が私の方を見て連なっていました。商店街です。

ここは「薬師あいロード商店街」といって、ご飯屋や銭湯、団子屋に、煎餅屋といった……地元のお店やチェーン店も軒を連ねる地元の人憩いの通りなのです。『パパブブレ』という、有名な飴のお店もあって、タイミングが良いと飴を作っている様子を見ることができます。私は軽く20回は見ました。

そんな通りを抜けると、驚きです。なんと道路を一本渡っただけで『中野ブロードウェイ』のおしりに辿り着けるのです。もう、凄すぎます。ブロードウェイの先を抜けると、もうそこはほぼ中野駅なので、まるで新井薬師前から中野駅に向かってレッドカーペットが敷かれたかのように歩く人を楽しませながら駅まで導いてくれるのです。

ちなみに、『中野ブロードウェイ』はサブカルチャーの聖地と呼ばれています。『まんだらけ』という漫画の古書などを取り扱うお店を中心に、フィギュア、ガチャガチャ、40センチのソフトクリームがあったりと、日本一「混沌」という言葉が似合う商業施設です。

私は東京に住む前から『中野ブロードウェイ』に行ったことがありました。しかしいつも「遊び」が目的でした。こうして近くに住み「暮らし」を目的に見てみると、驚くべきことに全く違った側面が見えてきます。私は初めて地下に食品エリアがあることを知りました。

恐る恐る足を踏み入れてみると、そこでは……野菜が売られていました。

卵もあればお刺身もあって、お総菜もあって、もうすごく生活って感じで……なんだかもう驚くというよりハレンチなものを見た気分でした。ステージ上でギターをむちゃくちゃに掻き鳴らす天才ギタリストが、家では茹で卵を作るのにちゃんと7分計ってるのを見たときみたいな……。え、なんていうんでしょうか。ブロードウェイの混沌という、人間味から一番離れたものの「生活」という側面を見たと言いますか、憧れの街「東京」にも暮らしがあるのだと改めて知った瞬間でした。

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しかし、そんな風にして無駄な時間ばかり過ごしていたわけではありません。

当初の目的通り、ちゃんと大学にも通っていました。そして、そこで自分の人生を決定づけるお笑いサークルとも出会いました。

知らない方がほとんどだと思うので説明しますと、お笑いサークルは、月に一回のライブを目的に活動するサークルです。そのためにネタを作るのですが、その作ったネタはサークル員みんなの前でネタ見せをして、どうしたらより良くなるかダメ出しを貰って、さらにブラッシュアップして、そうしてやっとライブに挑むという……かなりPDCAが回りまくった活動をしていました。そのPDCAの風力発電があったら、すごい発電できちゃうよ!というくらい回りまくった活動をしていました。……変な例えをしました!すみません!

しかし、目指すのはライブだけではありません。大会もありました。

私の人生が大きく動き出したのは大学1年生の冬のことです。ワタナベエンターテインメントが大学生向けに開いた大会「笑樂祭」で決勝に行ったことでオファーされ、ワタナベの養成所に通うことになったのです。私は特に芸人志望ではありませんでした。しかし、もともと脚本家になりたいと考えていたので、何かの勉強になるだろうと軽い気持ちで通い始めました。

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しかしそこは、そんなに甘い世界ではありませんでした。

当時私は19歳でしたが学生は少なく、会社を辞めてやってきた人や、バイトで生計を立てながら通う人、スナックのママや元海上自衛隊の人、実家が宝石屋のお金持ちなど……本当に色んな人生を歩んできた人が本気で芸人を目指していました。

そんな人生経験が豊富な人たちと比べると、自分はまだ何も持っていませんでした。

自分にできることってなんなんだろう……。

もう絶対に悩んでるだろうなと分かるくらい、夜の街を延々と歩いて考えました。

大学生の頃は良かったです。大会があったとしても、大学生と大学生が闘うので、ただ面白いと思うことをすれば良いだけでした。漫才中に相方にタックルして2メートルくらい跳ね飛ばしたりと、好きなことだけしていたら良かったのです。

でも、プロの世界には全ての世代の色んな本物がいます。

例えばの話ですが、私がむちゃくちゃに面白いサラリーマンのコントを考えたとしても、それは20代女性の私が演じるよりも40代男性の元サラリーマンが演じる方が説得力があるのです。

自分が一番輝けるものって何だろう……。気付けば「脚本家」という誰かに役を与える仕事ではなく、自分自身が舞台に立つ仕事に真剣に向き合っていました。そうして、今もまだ新井薬師前に落ちてるんじゃないかと思うほど、悩みをこぼしながら歩きました。

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歩き疲れると、新井薬師公園に行ってブランコに乗るのがお決まりのルートでした。ブランコの目の前には大きな木があって、本気で漕ぐとすごい高さになって木にぶつかりそうになります。そうしてぶつかりそうになる度に、なんだか自分の外側の余計なものが少しづつ削れて、どこかにある本当の自分がむき出しになっていくような気がしました。

かなり、血迷っていました。

しかしそんな中で一つ思い出します。他の誰にも負けない私にしか出来ないことです。それがなわとびだったのです。そうです、自分がめっちゃなわとびが上手かったことを思い出したのです。なんだかそこまでしなくても余裕で思い出せそうなものですが、とにかくそうだったのです。そうして見つけたなわとびは、当時はまだ形になってはいませんでしたが、それから数年後にキングオブコントの決勝まで私を連れていってくれたのです。あのとき、新井薬師前を歩き回った日々が今の自分に繋がっているのは確かです。

 

これが「新井薬師前」からスタートした初めての東京生活と、芸人のスタートラインに立つまでのお話でした。このエッセイが深煎りのブラックコーヒーのお供になっていたら嬉しいです。では、第二回で再会しましょう!

文=アンゴラ村長(にゃんこスター)