まずは平井の歴史を知るために、元江戸川区郷土資料室学芸員の樋口政則さんと一本道を歩いた。出発点は平井駅南側の平井親和会商店街。
「江戸時代はこの先の小松川も交通の要衝でにぎわいました」と樋口さん。江戸市中から平井・小松川地区へは、現・旧中川に2つの渡しがあった。北側の平井の渡しは平井聖天の門前で栄えた。南の小松川にあった逆井の渡しは浮世絵に描かれた景勝地で、周辺には明治以降、役所や警察ができた。
やがて明治32年(1899)、総武鉄道平井駅が区で初めて開業。線路や駅舎、道路用地の寄付など平井の開発には地元有力地主の多大なる尽力があった。開発の中心となったのが公共施設と駅とを結ぶこの一本道だった。
三味線の音色も艶やかに。平井の一本道に人の波
駅の利用や舟運に便利だからとその一本道周辺には工業も発展。その一画に昭和初期、区内唯一の花街、平井三業地ができた。
「祖父は平井を盛り立てようと三業地や映画館を作りました」
と現在唯一残る『料亭まじま』の3代目女将眞島眞佐乃さん。大広間に案内されたが、筆者は畳を70枚数えたところで音をあげ、往年の三業地の繁栄を痛感した。
役所に工場、商店街と三業地。駅へと続く一本道を歩んできた平井の華やぎ
では昭和の商店街は? 平井親和会理事長の濱田守正さんにお話を聞いた。
濱田さんは元は時計宝飾店の2代目で、昭和40年代には芸者さんたちが指輪や時計を注文していたという。周辺の大手工場へは社員食堂の片隅で職域販売。
「自動巻きやクオーツ腕時計など新製品がよく売れましたよ」と濱田さん。代金は工場の総務課経由で給料から分割で天引きされた。
最新の腕時計をつけた工場や役所の通勤客が、続々と朝夕に一本道を歩く。工場のお偉いさんは料亭で接待に明け暮れたかもしれない。昭和の高度成長期の華やぎが平井の街を彩った。
しかしその後、公害問題などで大手工場は地方へと移転、いつしか三業地の灯火も消えた。
でもまだまだ平井は面白い。元三業地には立ち寄りたくなる小さな居酒屋やバーが点在する。移転しなかった小さな工場は、小松川地区の工業団地完成で未来につながった。
そして一本道の商店街。1997年に南口駅前付近は道路拡張したが、信号から先は以前の道幅で商店がぎっしり並ぶ。
濱田さんは「親和会には今も変わらず約90店。頑張っています」。
地元民感覚で楽しむ、日常の街平井。往年の輝きを探しつつ今を楽しみたい。
料亭まじま
華やかな昔日がよみがえる和風建築
昭和初期、平井の活性化を目指して、当時の町会議員眞島善吉が、平井に料亭・待合・芸者置屋の営業を許可された三業地を立ち上げた。『料亭まじま』もその頃開店し、中心的存在に。最盛期には料亭が7軒あったが一帯は戦災に。戦後、三業地と『料亭まじま』が復興。今は平井唯一の料亭として数寄屋造りの見事な和風建築を誇っている。
取材・文=眞鍋じゅんこ 撮影=鴇田康則
『散歩の達人』2022年8月号より