「ご自由にお持ちください」となるもの
まず、不用品の放出ではなく、「作られたモノ」が提供される場合。過去に私が見たものでは、採れすぎた柿や、形が悪くて売り物にならない大根などの農作物が「ご自由にお持ちください」とされていた。
真鶴では、山盛りの折り鶴が「御自由にどうぞ」と置かれていた。これらは純粋に「他人の役に立ちたい」という気持ちで提供されているものであり、ひとの善意が感じられるような気がする。
一方、不用品もいろいろだ。オフィスや商店の場合、同一規格のものが大量に放出されることが多い。
ハンガーはまだ気軽に持ち帰れそうだが、椅子ともなると、持ち帰る側にも気合いがいる。
個人宅の場合は、衣類やぬいぐるみ、傘といった、使用感漂うものが多く見受けられる。
確かにまだ使えるものであり、捨てる側が「もったいない」と思うようなものばかりではあるが、新品が安く手に入る現代では、持ち帰ってもらうのは難しいのかも知れない。
「ご自由に」持ち帰れるのはどこまでなのか
ところで、こうして「ご自由にお持ちください」を眺めていると、その張り紙の言い回しにも個性が表れていることに気付く。理髪店の軒先に置かれた花器や整理棚には、「必要な方へ差し上げます使用してください」「かわいがってくれる方あげます」と筆書きされた張り紙が貼られていた。店主の人柄が垣間見えるような張り紙である。
この理髪店もそうなのだが、「ご自由にお持ちください」物件を前に考えてしまうことがある。それが「どこまでがご自由に持って行って良いものなのか」ということだ。
不用品を入れている箱や置いている台は、「お持ちください」の対象物になっているのだろうか。
先日も、世田谷区のとある施設で、テイクフリーと間違えて椅子が持っていかれてしまったという話を聞いた。「何気なく持ち帰ったものが、実は持って帰ってはいけないものだった」と判明した時の恐怖は計り知れない。小学生の時にペットショップで「ご自由にお持ち下さい」とカゴに入れられていたドッグフードの小袋を持ち帰り、帰宅後にそのパッケージに「¥10」と書いてあるのを見て震え上がった、嫌な記憶が蘇る(翌週恐る恐る確認しに行ったところ、持ち帰っても大丈夫な試供品だった)。
注意書きには気を付けてもらいつつも、今後も街のあちらこちらで「ご自由にお持ちください」が見られるのを楽しみにしている。商品経済の社会のすきまで、原始的な贈与のありかたを感じられるように思うからだ。
絵・文・写真=オギリマサホ