日本初のボウリング場を移設。開業時は大きな話題に
1987年5月、吉祥寺通りに開業した『吉祥寺第一ホテル』。2階に上がると西洋スタイルの出窓と吹き抜け。外光がたっぷり降り注ぎ、清々しい。このパティオ風の造りを通算32年見てきた同館・セールスマネージャーの市毛武志さんは語る。
「吹き抜けのホテルは日本で初めて。開業後しばらく全国から見学のお客様が訪れました。この吹き抜けは当館の象徴です」
正面入り口には大きなボウリングのピン。実は同館とボウリングは切っても切れない関係がある。遡ること70年前、日本初のボウリング場「東京ボウリングセンター」が青山にオープン。35年間聖地としてにぎわうも1987年に閉場。同施設を経営していた第一ホテル(現・阪急阪神ホテルズ)は、吉祥寺第一ホテルに移設を決め、名称もそのままに現在まで受け継がれている。
食べて遊んでくつろげる、地域の社交場
同館『鉄板焼・むさしの吉祥』スタッフの忍足(おしだり)保さんは、青山の東京ボウリングセンター内のレストランから移った従業員のうちの1人だ。
「ホテル開業時は忙しかったという記憶しかないですね(笑)。今バイキングレストランの『パークストリート』は当時24時間レストランのようでした。『お客様が起きたときが朝食』というコンセプトで、朝食メニューを夜お出しすることも。週に一度は泊まり込みで働きました」
宴会場は大小8つ。近隣の会社や学校が利用するだけでなく、2013年にスタジオジブリの宮崎駿監督が引退会見を行った場所としても有名だ。1985年の設立時から約7年、スタジオジブリは吉祥寺にあり、移転後も長年にわたり作品の打ち上げなどでたびたび同館を利用していたという。
「ジブリさんにはだいぶお世話になりました」と、忍足さんは振り返る。
「司会者に名前を呼んでいただき、スポットライトを浴びてローストビーフをカットしたのはいい思い出。こういう楽しい演出はジブリさんの発案でした」
商店街のお祭りに参加し通りで料理を振る舞い、神輿を担ぎ、コミュニティ型ホテルとして歩んできた。「営業終了を惜しむ声は後を絶たない」と市毛さん。
「都心と違い、街の人々とのつながりが強固でした。ご常連は武蔵野市だけでなく、杉並区や三鷹市まで。『今後みんなで集まれる場所がなくなってしまう』という声をいただいています」
吉祥寺第一ホテル、笑顔あふれる時間をありがとう。
取材・文=川端美穂 撮影=鈴木愛子
『散歩の達人』2022年4月号より