緊急事態宣言の中、オープン
昨年から今年にかけ、コロナ禍の影響で多くの飲食店が閉店した。立ち食いそば店も同じで、ゆで太郎、富士そば、小諸そばなどのチェーン店は、都心部の人口減により、かなりの店舗を整理した。個人店も閉店が続き、なんとか踏みとどまるも、苦戦している店は多い。
そんな中、新たにオープンする店もある。今回、紹介する東急多摩川線矢口渡駅近くの『まる美』も、東京都が出した2度めの緊急事態宣言の真っ最中、2021年2月16日にオープンした新店だ。
この『まる美』は向河原で製麺所を営んでいた、古瀬博文さんが始めたお店。長年、麺を作ってきただけあって、そばのうまさは格別だ。一番人気はそばの味をダイレクトに楽しめるもりそば300円で、もちっとした食感で香りもしっかり楽しめる、堂々としたそばである。辛汁もかえしのきいた江戸風で、これがこの値段で食べられるのはうれしい。
それにしてもコロナ禍の中、よく新しい飲食店を始めたものだと思ったのだが、経緯を聞いてみたところ、止むに止まれぬ事情があったようだ。
コロナ禍のピンチをチャンスに変えて
以前に営んでいた古瀬製麺所は、昭和24年(1949)の創業。古瀬さんは3代目だった。この戦後直後の時期は米をはじめとする食料不足の中、アメリカから小麦粉の援助を受けたこともあり、あちこちで製麺所ができている。それらは経済が復興するにつれ、飲食店や学校給食などに麺を卸しなど販路を拡大し、長年、日本の食を支えてきた。
古瀬製麺所も飲食店や学校給食、近隣にある富士通やNECの社員食堂に麺を卸していたが、このコロナ禍で売上が激減してしまった。特に影響が大きかったのが、納入数の多かった社食だ。リモートワークが推奨されたため、出社する社員が激減。社食の売上は前年の1割にまで下がってしまったという。
しかし古瀬さんはこの危機をひとつの契機と見た。もとより立ち食いそばが好きでいつか店をできたらと考えていたのだが、製麺所とのかけもちは難しく、あきらめかけていた。そんなときに起こったコロナ禍。不本意ながらも時間ができたこともあり、思い切って製麺業をやめ、立ち食いそば店の開業に踏み切ったのだ。
『まる美』があるのは、多摩川にほど近い矢口渡で、古瀬製麺所があった向河原は川の向こう。長年、親しんだ地元ではなくこの地を選んだのも、コロナの影響があった。
常連さんに早くも恵まれ
もともと古瀬さんが候補にしていたのは、向河原の駅前にあった物件。駅近でなおかつ目の前にNECのオフィスがある好立地だったのだが、いかんせん賃料が高かった。しかもそのときはコロナの感染状況がどうなるか、まだはっきりしない時期(今もそうなのだが)。不安を覚えた古瀬さんは物件を探し直し、土地勘のある矢口渡で今の物件を見つけたのだという。
実はこの物件が、正解だった。環八沿いのロードサイド店。店がある駅の北側はそれほど栄えておらず、商売には不利に思える。
しかし、ロードサイドのメイン客であるドライバーはリモートワークとは無縁のため、コロナの影響はない。さらに矢口渡は駅の近くに小規模なオフィスや工場がが多い。小規模オフィスはリモートの実施率は低く、工場はいわずもがな。こちらもコロナの影響は少なく、お客さんとして期待できる。紆余曲折を経て見つけた物件だったが、実はコロナ禍に強い条件が揃っていたのである。
さて、条件は整っているのだが、実際はどうなのだろう? 古瀬さんいわく「悪いときに始めたんで、今がいいのか悪いのか分からないですね」とのこと。しかし、取材していた午後遅い時間でもお客さんがいいリズムで入ってきたので、十分、順調なのではないかと思う。
また、最近、始めたぶっかけそばは、常連さんのすすめで始めたという。店にリクエストをしてくるというのは、それだけ店を慕ってくれている証拠。開店から4カ月で、早くもいいお客さんに恵まれているようだ。
とはいえ、『まる美』は飲食未経験から始めただけに、まだまだ発展途上。カラッと風味よく揚がった天ぷら類は評判が良いのだが、今もいろいろ試行錯誤しながら作っているようだ。
逆に言えば、それだけ『まる美』には伸びしろがあるということだ。いまだ嵐が吹き続けている立ち食いそば界隈だが、ニューフェイスのこれからに期待したい。