エッセイの記事一覧

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「なに突っ立ってんの?」とすごんできた、仕事に厳しいバイトリーダー【吉田靖直/トリプルファイヤー】
政治家の裏金問題や賄賂、オリンピックに絡む中抜きのようなニュースを見るにつけ、世の中にはうまいこと仕組みを利用して楽にお金を得ている人たちがたくさんいるのだなあと思う。私だって楽にお金が欲しいが、そのための仕組みを作るのが面倒で、手っ取り早く小金を稼げるアルバイトなどをしてその場をしのいできた。そんな無計画な人間はいつの時代も搾取され続ける羽目になる。
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「秋日和」「豆名月」「星月夜」。秋のことばを感じながら、お散歩しませんか?
ようやく厳しい暑さがおさまり、涼しい風を感じられるようになってきました。過ごしやすい秋は、気持ち良く散歩を楽しむのにぴったりな季節です。本格的な冬が始まるまでの変わりゆく空や景色、体感を表現した日本語はたくさんあります。毎日忙しいと季節の変化に目を向けることは難しいですが、時には視点を変えて自然を体感してみるのはいかがでしょうか?雅で美しい秋のことばと散歩で楽しめる秋の景色を紹介します。
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乱世が始まったのは寒さが原因? 気温に左右された戦国時代の戦について
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。長く苛烈であった2024年の夏も10月に入ってようやっと終わりを迎えようとしておる。現世では地球温暖化の影響で段々と暑くなっておるそうじゃな。 我ら名古屋おもてなし武将隊は週末に名古屋城にて演武を執り行っておるのじゃが、今年の夏は熱中症の危険のために中止になることが多かった。現世では暑さによって様々な問題が起こっておるが、我らが生きた戦国時代は寒さによって命が危ぶまれる時代であった。現世とは対極の問題を抱えておったわけじゃ。此度は我らの時代の気温について話してまいろうかのう。
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和泉式部は魔性の女だった? ドラマチックすぎる恋愛模様と『和泉式部日記』の魅力
紫式部とともに、藤原彰子のもとに仕えていた、和泉式部。彼女はこの連載でも一度紹介したように、敦道親王との恋愛模様を『和泉式部日記』に残したことで知られている。敦道親王が亡くなってから、その思い出を記すように、日記に綴ったのである。今回は『和泉式部日記』のさらなる魅力をお伝えしたい。
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菓子パンまわりのデザイン~レトロでかわいい各地の菓子パンたち~
子供の頃、健康志向の親の影響で、ほとんど菓子パンを食べたことがなかった。中学生になると学校の購買で菓子パンを買う機会に恵まれるようになったが、要領が悪かったため、買えるのは残った甘食ばかりであった(もちろん甘食に罪はない)。
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中華屋の五目焼きそばからたどる、料理そのものではなく、“食べ方”の戦後史
焼きそばが嫌いな日本人はあまりいないと思います。もちろん私も大好物で、特にお祭りや縁日に出かけると、腹が減っていなくても一パック、いや二パックくらい買ってしまいます。あのソースの香りにやられてしまうわけですが、もう一つ心奪われる焼きそばがあります。それは、
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関ケ原月間である!北の関ケ原、上杉家と最上家、そして伊達家の慶長出羽合戦について語ろうぞ
皆々!今年もついに、関ケ原の時期がやって参ったわな!!天下分け目の戦として名が知られておるこの戦が起きたのは、慶長5年9月15日。新暦で申せば1600年10月21日である。現世では旧暦の9月15日から10月21日を関ケ原月間などと申すこともあるそうじゃが、戦いの舞台となった岐阜県関ケ原町ではこの時期えらくにぎわっておって、様々な催しも行われておる。この戦国がたりでも関ケ原に足を運び、陣跡や決戦地、『岐阜関ケ原古戦場記念館』を紹介致したわな。関ケ原の戦いの経緯や古戦場のくわしき話はその時の記事を読んでもらうとして、此度はもう一つの関ケ原、について話してまいろう。それではいざ参らん!!
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紫式部の娘・大弐三位(賢子)って、どんな人? 恋愛関係と恋の歌からひも解く!
紫式部が一児の母であったことはあまり知られていない。紫式部の娘は、大弐三位(だいにのさんみ=本名が賢子)として知られており、和歌の名手として後世に名が残っているのだ。今回は、紫式部の娘を紹介してみよう。
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自分の住む市区町村の花・木・鳥を知っていますか?~街にひそむ地方自治体のシンボルを愛でる~
全国の市区町村では、たいがい花や木、鳥がシンボルとして制定されている。一体なぜ、市区町村はこうした自然をシンボルとするのだろう。
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演劇部の部室では、息をすることができた。中学時代のあの一瞬一瞬が、今の私を形作っている
今まで何度か「やりたいことがわからない」「打ち込めることがない」という相談をされたことがある。そのたびに、なんと答えたらいいのかわからなくて言葉に詰まった。今までの人生、私は常にやりたいことや打ち込めることがあったからだ。
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秋の月見商戦。果たして玉子が好きなのか。イベントが好きなのか。【絶頂チェーン店】
月が出た出た、月が出た。マクド炭鉱の上に出た。9月のあるお昼時。『マクドナルド』の前にやたら人がいるなと眺めていたら、店頭に月見バーガーの垂れ幕が下がっていた。ああ、今年もまた月見の季節なのか。普段は空を見上げる余裕もなく、十五夜にススキも団子も揃えないくせに、チェーン店の季節限定メニューには敏感でいたい貧乏性分。ふらりと長い行列の最後尾についてしまうと、結局、文句言いながらも出来上がりまで30分も待たされてしまうのだ。
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鉄砲と弓はどちらが強いのか!? 種子島の伝来が変えた戦の在り方と、城郭から見えてくる武器の移り変わり
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。暦の上では秋となったがまだまだ暑き日が続くわな。いつまでが夏で、いつからが秋なのか。はっきりとしないままゆるゆると移ろいゆくのが季節といえよう。我らが生きた歴史や時代も季節と同じように段々と少しずつ進んでいく、あるいは積み重なっていくもの。であるが、しばしば技術は急速に発展し、一つの出来事が大きく時代を変えてしまうことがある。それ以前とそれ以降では暮らしや文化が全くの別物になる、まさに転換期と呼べるもので、鉄器や火薬の発明や産業革命が最たる例であろう。日ノ本における大きな転換期もいくつかあるが、その中の一つに「鉄砲の伝来」が挙げられるであろう。各地で戦が起こり、混乱を極めておった戦国期の日ノ本を大きく変えた鉄砲。こたびの戦国がたりではそんな話をして参ろうかのう。
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MA-1を着た悪魔【吉田靖直/トリプルファイヤー】
高級ブランドの服など一着も持っていない私だが、高級ブランドのパーティーへ行ったことは2度ある。ファッション関係の仕事をしている友人が「タダで飲めるからみんなで行かない?」と2次会的ノリで連れて行ってくれたのだ。
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姿を消しつつある、公衆電話の跡地をめぐる旅
一昔前、街を歩けば必ずと言っていいほど公衆電話が設置されていた。財布には必ずテレホンカードが入っていたし、出先で急に連絡を取らなければならない時に備えて、行動範囲のどこに公衆電話があるかは大体把握していたように思う。
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萌えすぎて後悔。突如として現れるホッパーと鉄道公園! JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<後編>
2回にわたって群馬県長野原線の遺構をじっくりと探索してきました。締めくくりは、みんな大好きなホッパーの遺構です。
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酒場ライター・パリッコの理想的な一日。石神井で過ごす日々は、まるで終わらない夏休み
石神井公園の街に住み、2024年でもう16年目になる酒場ライター、パリッコ。年月を経るごとに強まる地元愛と共に、石神井で過ごす理想的な一日をご紹介!
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猛暑の日々、氷やアイスのデザインを見て涼しい気持ちに浸りたい
8月上旬を過ぎてもなお、毎日のように猛暑日が続いている。この暑さでは、気軽に散歩もできやしない。手っ取り早く涼を取ろうと、毎日かき氷ばかり食べていたところ、冷たいものを食べると覿面(てきめん)におなかを壊す体になってしまった。もはや自分は、かき氷の名店を巡るレポすら書けない人間である。
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「だけど、優しい人だった」。沖縄のゲストハウスで出会った、もう顔も思い出せない彼のこと
新橋の広告会社を早期退職した直後の7月、私は沖縄の那覇にいた。友人の結婚式に参列するために沖縄に来て、そのついでに1人で何日か旅行しようと思ったのだ。
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向かい合う双方のトンネル。真っ暗な第二愛宕トンネルを行く。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<中編>
群馬県の旧長野原線をめぐる旅、前編では第一愛宕トンネルに入ったところで終わりました。気になるその先へと足を進めましょう。第一愛宕トンネルの壁面は、吹き付けたコンクリートに、ツーっと涙跡のような白い線が数本垂れています。何も知らなければ眉をひそめる姿ですが、廃なるものに慣れてくれば「あー、コンクリートの白華現象か」と、いたって冷静になれます。白華現象を簡単に言うと、コンクリートの石灰石成分が水分などによって表へ染み出したもの。鍾乳石みたいなもので、ひび割れた部分などによく現れます。石灰石の涙と言ってもいいのかな。白い線が多すぎるとひび割れも多くなり、耐久性は大丈夫かと別な怖さを感じてしまいますが、とりあえずこのトンネルは大丈夫そう。
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口説いてません。これはジローラモキャラです【吉田靖直/トリプルファイヤー】
お笑い芸人「ニッポンの社長」の辻さんに誘われ、ふたりでトークライブをした。芸人でもなく弁も立たない私が吉本の舞台でトークさせていただくとはなかなか得難い機会である。テーマは特に決めていなかったが、以前私と辻さんが飲んだ時の話に自然となった。
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