ドラマの記事一覧

21〜40件(全65件)
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BL的感性の描写も? 『源氏物語』は男性同士の関係性も面白い!
『源氏物語』といえば恋愛物語、と思われているが、案外男性同士の関係性もよく描かれている。とくに『源氏物語』ファンに人気が高いのは、光源氏と頭中将(とうのちゅうじょう)の関係性である。通称「頭中将」は、光源氏にとって、ひとりめの正妻である葵上の兄、つまり義兄である。そして血縁上は従弟でもある。「頭中将」というのはあくまで役職名なので、一時期の役職でしかないのだが、その呼称がファンの間でも通称となっている(ちなみに作中において彼は「太政大臣」という地位にまで上り詰めている)。
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定子と清少納言の少女漫画みたいなエピソード。『枕草子』は「春はあけぼの」だけじゃない!
『枕草子』といえば、「春はあけぼの」から始まる情緒的なエッセイであると思われがち。だが実は自分の仕えるお姫様・藤原定子とのエピソードがたくさん描かれている。藤原定子は、藤原道隆の娘であり、一条天皇の妻(中宮の地位)であった。彼女は清少納言がお気に入りの女房だったようで、『枕草子』には藤原定子と清少納言の仲睦(むつ)まじい様子が綴られている。
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『源氏物語』における年の差恋愛事情。光源氏が盲目的に恋した藤壺と、父親代わりとなった玉鬘
大河ドラマ『光る君へ』において、藤原定子の入内の場面が描かれた(第13回「進むべき道」)。藤原道隆の長女である定子は、一条天皇に入内。当時、数え年で定子は14歳、一条天皇は11歳だった。いとこ同士だったふたりは、漢詩の教養などを通じて仲の良い夫婦になったという。平安時代において「女性のほうが3歳年上の夫婦」というのはなんだか先進的に感じられるかもしれない。しかし実は平安時代、男女の年の差は現代ほど問題にならなかった。というのも『源氏物語』においても、年の差の恋愛はしばしば描かれるからである。今回は中宮定子と一条天皇にちなんで、『源氏物語』における年の差恋愛について見てみよう。
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『ブギウギ』ロスのあなたへ。趣里が演じた福来スズ子と歩く昭和の有楽町、世田谷【朝ドラ妄想散歩】
連続テレビ小説『ブギウギ』は昭和の大スター笠置シズ子を令和の世に蘇らせた、とんでもない作品だった。主演の趣里はじめ、実力派俳優が集った本作は多くの朝ドラ好きの気持ちを熱くしただけでなく、昭和歌謡ファン、音楽ラバーをも魅了した。ここではヒロイン、福来スズ子とともに昭和の東京を妄想散歩してみたい。
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藤原道長の姉・詮子。彼女をモデルにした『源氏物語』のエピソードは、当時どう読まれていたのか?
大河ドラマ『光る君へ』でも強烈な存在感を放っている藤原詮子(吉田羊さんが演じられている)。藤原道長の姉であり、のちの一条天皇の母である彼女。実は彼女をモデルにしたキャラクターが『源氏物語』に登場していることをご存知だろうか?
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ブギーの時代は終わった。歌手・笠置シズ子もその役目を終えて……【笠置シズ子の東京を歩く4】
昭和32年(1957)の年明け早々、笠置シズ子は歌手廃業を発表。以後は芸名を「笠置シヅ子」に変えて女優業に専念することにした。この前年には「もはや戦後ではない」が流行語に。日本の経済規模は戦前の水準を上回り、人々の関心は食糧から冷蔵庫や洗濯機、テレビといったいわゆる「三種の神器」に移っている。闇市も消えて商店街となり東京の風景は一変、街で聴かれる流行歌も変わった。
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紫式部は、直秀から聞いた話をもとに“須磨の海”を描いた? 『源氏物語』における、「都の外」の風景描写
大河ドラマ『光る君へ』で、その存在感で視聴者にとって大きな印象を残しているのが、毎熊克哉さん演じる謎の男・直秀である。史実には残っていない、散楽一座のひとりである彼は、藤原家に盗賊に入るなど、謎の多い男になっている。それでいて主人公まひろのサポートをしてくれる彼は、『光る君へ』の物語に欠かせない存在となりつつある。そんな彼が、第八話「招かれざる者」で語ったのが、「都の外でも暮らしたことがある」経験。いまは京で散楽を演じている彼は、「丹後や播磨、筑紫」で暮らしていた、というのだ。まひろは自分が見たことのない海を、彼が見たことがあると聞いて、自分も見てみたい、と語る。
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清少納言が『枕草子』に嬉々として綴った、平安貴族きっての文化人、藤原公任とのやり取り
紫式部と並び、平安時代の優れた書き手として知られるのが、清少納言。言わずと知れた『枕草子』の作者である。『枕草子』といえば、「春はあけぼの」といったような、季節に関する描写を思い出す人もいるだろう。が、実は清少納言が自分の人間関係や宮中でのエピソードを綴っている部分もたくさんあるのだ。そのなかのひとつに、大河ドラマ『光る君へ』にも登場する藤原公任(きんとう)とのエピソードがある。今回はそれを紹介したい。
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平安時代におけるミスコン? 「五節の舞」で思い出される、夕霧のおもしろエピソード
大河ドラマ『光る君へ』第四話では、「五節の舞」が大きな物語の転換点となっていた。主人公まひろが、三郎の正体――藤原家の三男であり、さらに自分の母を殺した犯人の弟であることを知ってしまうのだ。
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紫式部が『源氏物語』を書けたのは漢詩文の知識があったから!【文芸オタクが語る源氏物語】
1月から放送開始した、2024年大河ドラマ『光る君へ』。紫式部と藤原道長が幼い頃に偶然出会っていた様子や、道長が家族のなかでは意外な立ち位置にあったこと、さりげない『源氏物語』オマージュ、そして紫式部の思いがけない幼少期のトラウマ……。古典オタクもとい『源氏物語』オタクの私は、「こう来るか!」と驚きつつ、とても楽しく見た。といっても、『源氏物語』をまったく知らない人でも楽しめる内容にはなっているので、二話からでも、ぜひたくさんの方に見てほしい。
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『紫式部日記』に描かれる“失礼な和歌”のやりとりと、紫式部の「藤原道長への思い」【文芸オタクが語る源氏物語】
京都を歩いていると、ふと、物語の世界に入り込んだような心地になる。というのも、『源氏物語』に出てくる場面の舞台が、あるいは『紫式部日記』に登場する場所が、そこら中に存在しているからだ。京都の魅力は、歴史と現在を分け隔てないところにある。千年前の物語に描かれていた場所が、現代の散歩コースになっていたりするのだ。物語を通して眺める京都は、なんて魅力的なんだろう、とたまに惚れ惚れする。
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何度でも語りたい朝ドラ『らんまん』。槙野万太郎と一緒に歩く聖地・高知【朝ドラ妄想散歩】
2023年度上半期の連続テレビ小説『らんまん』は、多くの人の心に残る作品だった。これまでの朝ドラのフォーマットを引き継ぎながらもサプライズな演出もたくさん。とくに最終週の神展開、そして涙の最終回は、朝ドラ史に残る素晴らしさだった。このドラマの放送後、主演の神木隆之介、浜辺美波コンビが出演した映画『ゴジラ−1.0』が大ヒット、彼らが日本だけでなく世界から注目される俳優となったことも、『らんまん』の株を高めることにつながっている。
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進駐軍占領下の東京、ブギーの明るいリズムに乗って、人々は〝戦後〟に向かってが動きだした。【笠置シズ子の東京を歩く3】
太平洋戦争末期には、東京各地が激しい空襲に晒された。終戦の1ヶ月前には有楽町駅に爆弾が直撃して、大量の死傷者が発生している。それでも、この界隈の状況は他の地域に比べて状況はかなりマシ。火災に強いコンクリートの建物が多く、それが功を奏したのだろうか。東京宝塚劇場や帝劇、日劇など大半の大劇場も健在。東京宝塚劇場は進駐軍に接収され、アーニー・パイル劇場に改称して兵士の慰安施設になったのだが。その他の劇場は国民の娯楽場の復活をめざして、終戦の日からすぐに活発に動いていたという。
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戦国武将の辞世の句。込められた思いはいかなるものだったのか。
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『どうする家康』が遂に大団円となった!天下太平を築きし徳川殿の一生を描いた此度の大河は、徳川殿やその他の武将のこれまで描かれなかった新たな一面を知るきっかけとなったのではなかろうか。そんな此度は、我ら武士が人生を終えるときに自らの一生を振り返り残す詩。辞世(じせい)の句について取り上げて参ろう。
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美しく生きた二人の戦国武将。宇喜多秀家と蒲生氏郷、その生涯を語ろう。
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは、人物紹介の巻である。大河ドラマ『どうする家康』では語られることのなかったが、その生き様を知って欲しい武士について、儂の私見と共に紹介いたそうではないか!!此度は儂(わし)、前田利家に深く関わる人物2人の話をしようと思うておる。さあ、いざ参らん!!
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前田利家はなぜ家康を殺さなかったのか?――五大老五奉行の時代、そして利家の最期のとき
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。 ついに、『どうする家康』にて秀吉がくたばった。これにより天下の情勢は誰にも読めなくなって参ったわな。秀吉の後継である秀頼様はまだ幼く、誰が実権を握るのか強欲なる諸大名は舌舐めずりを始めた頃合いである。そんな此度は秀吉死後の天下の趨勢や起こった問題について話して参ろうではないか。そして、秀吉の死後の混乱を収めるべく奔走し力尽きた儂(わし)、前田利家の最期の大戦についても記して参ろう。では、いざ参らん!!
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朝ドラ『らんまん』に涙した人々に捧ぐ。神木隆之介が演じた槙野万太郎と歩く、東京植物スポット【朝ドラ妄想散歩】
108作目の連続テレビ小説『らんまん』が完結した。神木隆之介、浜辺美波という好感度抜群の2人が主役を務めた朝ドラは注目度も満点だった。だが、ドラマを見ていた人には分かるだろう。決して私たちは神木&浜辺の2人の俳優だけに見入っていたわけではない。私たちを虜(とりこ)にしたのは、彼らが憑依したといえる槙野万太郎、寿恵子の織りなす人間ドラマだった。今回は「万ちゃん・寿恵ちゃんロス」のみなさんのための、『らんまん』妄想散歩東京編だ。
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前田家のタブーを語ろう。羽柴VS柴田、賤ケ岳の戦いで、前田利家は裏切り者であったのか?
皆の衆!息災であるか?前田利家である。 突然じゃが、皆は天下分け目の戦いと申せば何を思い浮かべるであろうか。織田家が飛躍する契機となった桶狭間の戦い、織田と武田の大軍勢が野戦にて激突した長篠・設楽原の戦い、明智殿と秀吉率いる織田軍が戦った山崎の戦い、日ノ本を巻き込んだ秀吉と徳川殿の大戦・小牧長久手の戦い、そして徳川殿の天下を決定づけた関ヶ原の戦いなど、様々な戦が挙げられるであろう。これらの戦と並んで忘れてはならぬのが秀吉と柴田様が織田家の後継を巡って争った賤ヶ岳の戦いである。じゃが、儂、前田利家としては忘れておきたい戦でもある。此度の戦国がたりでは、それが何故かを含め、この戦の経緯について紹介して参る。いざ前田家の禁忌、現世で申すところのタブーである賤ヶ岳について、重い口を開こうではないか。
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その時、家康は何をした。本能寺の変に隠れてあまり語られぬ戦と、その「黒幕」の話をしよう
皆の衆、息災であるか。名古屋おもてなし武将隊、前田利家である。ついに終わった本能寺の変。これにより日ノ本中の情勢が大きく変わった。中でも大きく変わったのが織田家の家臣の立場である。信長様の死の動揺を狙って多くの敵方が一斉に蜂起したのである。この動きは先週の戦国がたりにて纏めておいたで、読んでおくとわかりやすいであろう。織田家の領国で最も混乱が激しかったのが領土の東側である、甲斐、上野、信濃であった。何せここは本能寺の変が起こるつい3ヶ月前に攻め取ったばかりで、支配体制が決して万全ではなかったのじゃ。蜂起した武田家の残党たちが、織田家の諸将に襲い掛かった。然りながらこれは偶発的なものではなく、裏で操っておった者がおったのじゃ。其の者こそが、徳川家康殿である。
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戦国時代のたしなみ「茶の湯文化」と、信長様の外交戦略の要「名茶器」について!
皆々、息災であるか?前田又左衛門利家である。 戦国がたり第十二回開幕じゃ!此度の話は戦国時代の茶器について話して参ろうではないか。“茶の湯”と聞いて皆は何を思い浮かべるであろう。多くの戦国武将を弟子にもち茶聖と呼ばれた千利休や、豊臣秀吉が作った金箔貼りの黄金の茶室あたりは聞いたことがあるのではなかろうか。大河ドラマ『どうする家康』でも後々でてくる可能性もあろうな。茶の湯は戦国時代に大流行した文化であるが、ただの文化に在らず。戦国の政治に深く関わり、中核を担っていたと言うても過言ではないほどじゃ!戦国時代に大きな影響を与えた茶の湯とは一体いかなるものだったのか、早速見て参ろうではないか。 では、いざ参らん!!
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