進駐軍占領下の東京、ブギーの明るいリズムに乗って、人々は〝戦後〟に向かってが動きだした。【笠置シズ子の東京を歩く3】
太平洋戦争末期には、東京各地が激しい空襲に晒された。終戦の1ヶ月前には有楽町駅に爆弾が直撃して、大量の死傷者が発生している。それでも、この界隈の状況は他の地域に比べて状況はかなりマシ。火災に強いコンクリートの建物が多く、それが功を奏したのだろうか。東京宝塚劇場や帝劇、日劇など大半の大劇場も健在。東京宝塚劇場は進駐軍に接収され、アーニー・パイル劇場に改称して兵士の慰安施設になったのだが。その他の劇場は国民の娯楽場の復活をめざして、終戦の日からすぐに活発に動いていたという。