史跡の記事一覧

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世界遺産登録20周年の高野山へ。聖と俗の狭間で迷いつつ、山上の聖地で得るもの
2004年、「紀伊山地の霊場と参詣道」として高野山が世界遺産に登録されてから今年で20年。標高1000mの山上都市で脈々と受け継がれてきた信仰を求め、1泊2日、はじめての宿坊体験に出かけた。
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千葉市の大学敷地内にひっそりたたずむ明治の息吹。鉄道連隊材料廠煉瓦建築(煉瓦棟)の一般公開レポ
現代に残る戦跡の中には、関係者以外立入禁止となっている場所にひっそりとたたずむものがあります。遺構に触れられるのはごく限られた関係者のみのため、保存状態が良好だったり、当時の状態が色濃く遺されたままだったりと、状態の良いものが多いです。
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【京都散歩コース】当尾石仏の里・木津川で石仏めぐり~岩船寺から浄瑠璃寺へ、磨崖仏が道案内します!
当尾(とうの)とは難読地名だが、もともとは「塔尾」と書いた。この地域には古くから岩船寺、随願寺(廃寺)、浄瑠璃寺など多くの伽藍・堂塔などが建立されたことから、塔場の立ち並ぶ尾根ということで「塔尾」と呼ばれた。平安時代には修行僧の庵や行場が設けられ、鎌倉時代になると修行僧によって行き交う人々のために磨崖仏や石仏が造立された。花の寺・岩船寺から国宝の寺・浄瑠璃寺を結ぶ石仏の里ハイキング。当尾地区は「美しい日本の歴史的風土100選」にもなっており、自然と浄土信仰の歴史が一体となった道を歩けば、これまでに知らなかった京都の魅力を発見できるかもしれない。
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小さな港町・新潟県出雲崎町で日本海のでっかい夕日を。定食にラーメンに、海のおいしさがきらり
江戸時代、徳川幕府の天領として栄えた出雲崎。いまは人口約4000人と、新潟県で2番目に人口の少ない町だが、ここ2年で新たなお店も増えてきた。海が夕日の朱に焼ける夏の出雲崎を、のんびり散策したい。
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没後120年、小泉八雲と『怪談』。八雲が愛した散歩と新宿の周縁性
2024年は小泉八雲の没後120年、代表作『怪談』出版から120年の節目の年。2025年度後期の連続テレビ小説『ばけばけ』が、八雲の妻・小泉セツをモデルに描かれることでも話題となっている。小泉八雲(パトリック・ラフカディオ・ハーン)は1850年(日本では嘉永3年)、ギリシャ西部のレフカダ島で、アイルランド出身の父とギリシャ人の母との間に生まれた。アイルランドで育ち19歳で単身渡米。ジャーナリストとなり、明治23年(1890)、39歳の春に記者として来日する。英語教師として着任した島根県の松江でのちに妻となる小泉セツと出会い、熊本、神戸と移り住み明治29年(1896)に帰化し小泉八雲と改名。同年、東京帝国大学文科大学赴任のため東京へ。明治37年(1904)に亡くなるまで、新宿界隈に暮らした。120年前、八雲は東京でどのように過ごしていたのだろうか。島根県松江市の『小泉八雲記念館』館長で小泉八雲の曾孫・小泉凡さんに、“散歩の達人”であった八雲が歩いた東京について寄稿いただいた。
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アニメ“逃げ若”の余韻に浸りつつ「中先代の乱」ゆかりの地へ<逃げ上手な幼き北条家惣領と鎌倉・参>
アニメ『逃げ上手の若君』は、去る2024年9月28日の放送で最終回を迎えた。漫画も楽しんでいる人にとっては、まだ序の口もいいところ、肝心要の戦いの手前で終わってしまい、気分は不完全燃焼、といったところだろう。シーズン2、シーズン3への期待を込めて、今回の「逃げ若紀行」まとめをお届けしたい。アニメではまだ扱われていない年代の話になるので、多少のネタバレはお許しを。
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関ケ原月間である!北の関ケ原、上杉家と最上家、そして伊達家の慶長出羽合戦について語ろうぞ
皆々!今年もついに、関ケ原の時期がやって参ったわな!!天下分け目の戦として名が知られておるこの戦が起きたのは、慶長5年9月15日。新暦で申せば1600年10月21日である。現世では旧暦の9月15日から10月21日を関ケ原月間などと申すこともあるそうじゃが、戦いの舞台となった岐阜県関ケ原町ではこの時期えらくにぎわっておって、様々な催しも行われておる。この戦国がたりでも関ケ原に足を運び、陣跡や決戦地、『岐阜関ケ原古戦場記念館』を紹介致したわな。関ケ原の戦いの経緯や古戦場のくわしき話はその時の記事を読んでもらうとして、此度はもう一つの関ケ原、について話してまいろう。それではいざ参らん!!
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鉄砲と弓はどちらが強いのか!? 種子島の伝来が変えた戦の在り方と、城郭から見えてくる武器の移り変わり
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。暦の上では秋となったがまだまだ暑き日が続くわな。いつまでが夏で、いつからが秋なのか。はっきりとしないままゆるゆると移ろいゆくのが季節といえよう。我らが生きた歴史や時代も季節と同じように段々と少しずつ進んでいく、あるいは積み重なっていくもの。であるが、しばしば技術は急速に発展し、一つの出来事が大きく時代を変えてしまうことがある。それ以前とそれ以降では暮らしや文化が全くの別物になる、まさに転換期と呼べるもので、鉄器や火薬の発明や産業革命が最たる例であろう。日ノ本における大きな転換期もいくつかあるが、その中の一つに「鉄砲の伝来」が挙げられるであろう。各地で戦が起こり、混乱を極めておった戦国期の日ノ本を大きく変えた鉄砲。こたびの戦国がたりではそんな話をして参ろうかのう。
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今は草木に覆われた北条一族最期の地・鎌倉東勝寺へ<逃げ上手な幼き北条家惣領と鎌倉・弐>
長い間、歴史の表舞台に登場することがほとんどなかった北条時行を、少年漫画の主人公(ヒーロー)として蘇らせた『逃げ上手の若君』。歴史は勝者によって語られるのは世の必然なので、その足跡を辿ることはなかなか難しい。しかし鎌倉には、源頼朝が幕府を開いて以来、連綿と続いた歴史的な見所が数多く遺されている。今回の「逃げ若散歩」は、そんな鎌倉の史跡を巡りながら、北条氏が最期を迎えた地へと向かうことにしたい。まずは“超”が付くほどメジャーで人気のスポット、銭洗弁財天(宇賀福神社)へと向かった。
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八ッ場ダムに水没した吾妻線の旧線をそっと遠くから見つめる。生まれ変わった遺構にレールバイクも
山間部を縫う鉄道路線のなかには、ダムの建設によって水没するために線路を付け替え、旧線は水底へと沈んだ区間があります。北上線の錦秋湖や飯田線の佐久間湖、注目を集めている旧士幌線のタウシュベツ橋梁もそうですね。前回紹介した吾妻線(旧長野原線)は、2014年に八ッ場(やんば)ダム建設によって岩島〜長野原草津口間の線路が付け替えられ、旧線跡は八ッ場あがつま湖へ没しました。前回までは旧長野原線の太子駅跡まで追うのに精一杯でしたので、吾妻線の旧線跡はここで紹介します。
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まだ間に合う、夏の名古屋の楽しみ方!『西の丸御蔵城宝館』と『名古屋市科学館』を案内!
皆々、夏は楽しんでおるか?8月も終わりに近づいて参ったが、まだまだ暑いわな。夏の盛りを避けてあえて9月に長期の休みを取る者もおると聞く。特に今年はえらく暑かったで外に出られなかったという者も多いのではなかろうか。故に此度は、名古屋の観光地を二つ紹介して参ろうではないか!暑い日でも楽しめる場所故、夏の思い出つくりの参考にしてほしい!いざ参らん!!
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鎌倉幕府滅亡。海を渡って攻め寄せた新田義貞の行軍ルートをたどる<逃げ上手な幼き北条家惣領と鎌倉・壱>
暦の上では秋が訪れている某日、鎌倉の郊外にある丘陵地帯を走る湘南モノレールの湘南町屋駅に降り立つと、外気温は35度を越えていた。この路線は大船と湘南江ノ島を結ぶ懸垂式モノレールで、その乗り心地はまるで遊園地のアトラクションのようだ。乗り物好きにとっては、ずっと乗車していたいほど楽しいが、それはまたのお楽しみ。さて、去る2024年7月6日からTOKYO MX他で放映が開始された『逃げ上手の若君』は、北条時行を主人公にした人気漫画をアニメ化したものだ。北条時行と聞いて、ピンとくる人はほとんどいなかったのではないだろうか。
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萌えすぎて後悔。突如として現れるホッパーと鉄道公園! JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<後編>
2回にわたって群馬県長野原線の遺構をじっくりと探索してきました。締めくくりは、みんな大好きなホッパーの遺構です。
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向かい合う双方のトンネル。真っ暗な第二愛宕トンネルを行く。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<中編>
群馬県の旧長野原線をめぐる旅、前編では第一愛宕トンネルに入ったところで終わりました。気になるその先へと足を進めましょう。第一愛宕トンネルの壁面は、吹き付けたコンクリートに、ツーっと涙跡のような白い線が数本垂れています。何も知らなければ眉をひそめる姿ですが、廃なるものに慣れてくれば「あー、コンクリートの白華現象か」と、いたって冷静になれます。白華現象を簡単に言うと、コンクリートの石灰石成分が水分などによって表へ染み出したもの。鍾乳石みたいなもので、ひび割れた部分などによく現れます。石灰石の涙と言ってもいいのかな。白い線が多すぎるとひび割れも多くなり、耐久性は大丈夫かと別な怖さを感じてしまいますが、とりあえずこのトンネルは大丈夫そう。
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世界遺産登録20周年! 熊野古道のある町・和歌山県新宮の「なんで?」を自転車で探検!
紀伊半島の南部、三重との県境に接する新宮市。独自に進化を遂げた甘味やグルメを電動自転車の推進力を借りて、数珠つなぎに探索する。新宮の謎がいま明らかに!
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【青春18きっぷおすすめ旅】博多発日帰り、久留米と日田で城跡をめぐり「ひこぼしライン」に乗りたい!(久大本線・日田彦山線ほか)
福岡県の久留米(くるめ)と大分県の日田(ひた)で城跡めぐりの列車旅へ。往時の姿に思いを馳せたあとは、日田彦山(ひたひこさん)線BRT「ひこぼしライン」で専用バスに乗車。列車とは、ひと味違う旅も満喫しよう。
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蒸し暑い真夏のひととき、霧も出る漆黒のトンネルへ。JR吾妻線の前身、旧長野原線をめぐる<前編>
関東は梅雨明けしました。途端に35度以上の酷暑日が続き、どこか涼を求めて彷徨(さまよ)いたい。こんな暑さには廃トンネルです。廃トンネルは崩落の危険があったり閉塞していたりと、閉鎖されているところが多いです。そういうところではなく、生活道路としては現役だけれども、鉄道としては遺構となった廃線跡を訪れました。JR吾妻線の前身、旧長野原線の廃線跡です。生活道路へ転用された廃線にトンネルがあるのです。前編は廃線跡をめぐりながらトンネルへ、中編はトンネルとその先、後編は終点へとめぐります。
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【青春18きっぷおすすめ旅】札幌発2泊3日、いまへと続く北海道1万年の縄文文化を辿る(函館本線・室蘭本線ほか)
およそ1万5000年前から2000年前。森や海、川などで食料を確保し、1万年以上も定住生活を続けた日本の縄文時代は、世界的に見てもユニークな文化。「北海道・北東北の縄文遺跡群」は、そんな縄文人の生活と精神文化が伝わる貴重な遺跡として、2021年に世界文化遺産に登録された。その一部の遺跡をめぐってきた。
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【利家、岩村城へ行く】史跡探訪! 日本三大山城と、その城下町を歩く!
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは久方振りの史跡探訪の旅じゃ!!これまでも関ケ原や長篠、長久手といった古戦場や城へと足を運んでおるでまだ読んでおらぬ者は併せて読むが良かろう。して此度はなんと、織田信長様にも参陣いただいたぞ! 我が隊の縁の下の力持ちである足軽・太助も連れて参った。訪れたのは三大山城の一つ岩村城である!美濃国・恵那市にある、自然豊かで美しい城じゃ!見所も多く、山城としては登りやすくもあって山城の入門としても勧めの城じゃな。それでは早速、岩村城の魅力を紹介してまいろうではないか!いざ参らん!!
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隠された徳川埋蔵金を探せ‼ ~旅の手帖×SARF連動企画~
2024年7月10日(水)から10月9日(水)まで、東京駅とその周辺のエリアを音声ARアプリ「SARF」で楽しみながら散歩できる、「隠された徳川埋蔵金を探せ‼」を開催します。さらに、訪れたスポットで聞ける6つのキーワードを全て集めて応募すると抽選で10名様に1000円分のAmazonギフトカードが当たるキャンペーンも実施!現代の江戸(東京)に蘇った徳川家康の言葉に耳を傾けながら、旧江戸城城下町に隠された徳川埋蔵金を探しに出かけてみませんか?※本企画は『旅の手帖』2024年8月号とのコラボレーション企画です。
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