史跡の記事一覧

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「どうしても会いたい」。その一心で罪を犯した辻斬り白井権八と、遊女小紫の比翼塚[目黒不動]【週末民話研究】
目黒区にある、目黒不動瀧泉寺の門前の比翼塚(ひよくづか)には、130人の命を奪った辻斬り・白井権八と、江戸一の花魁(おいらん)と言われた遊女・小紫の悲しい恋の話が残ります。ただ愛する人に会いたいという普遍的な気持ちが、置かれた身分や職業のせいで当たり前ではなくなる。今回は、そんな二人の男女の話をご紹介します。
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今年もよろしゅうお頼み申す! 戦国時代の年始の過ごし方を紹介しよう!
皆々、新年あけましておめでとうさん!前田又左衛門利家である。これよりは儂がおもしろき戦国、歴史の話を届ける戦国がたりの時じゃ!2024年も多くの歴史のたのしき話を紹介して参る所存であるでな、今年もよろしゅうお頼み申す。新年の挨拶はこの辺りに、此度は戦国時代の新年についての話をして参ろうかのう。いざ参らん!
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火罪に処された娘の悲話。草加の火あぶり地蔵尊【週末民話研究】
埼玉県草加市、旧国道四号(現在の足立越谷線)の吉町5丁目交差点にあるのが、「火あぶり地蔵尊」と呼ばれる地蔵堂です。この場所にはかつて処刑場があったとされ、火あぶり地蔵尊には、そこで亡くなったある娘の悲しい話が言い伝えられています。
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戦国武将の辞世の句。込められた思いはいかなるものだったのか。
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。大河ドラマ『どうする家康』が遂に大団円となった!天下太平を築きし徳川殿の一生を描いた此度の大河は、徳川殿やその他の武将のこれまで描かれなかった新たな一面を知るきっかけとなったのではなかろうか。そんな此度は、我ら武士が人生を終えるときに自らの一生を振り返り残す詩。辞世(じせい)の句について取り上げて参ろう。
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かわいい! 大迫力! あらゆる魅力を発する石仏を、超仏像マニアが厳選してオススメ!
これまで、この連載でも色々な仏像をご紹介してきました。仏像といえば、木で作られるものがイメージされますが、奈良や鎌倉の大仏は、銅などの金属製であるように、仏像の素材は様々。そんな中から今回は石で作られた「石仏」と、崖の岩肌に彫られた「磨崖仏(まがいぶつ)」のオススメを私ツバキングがご紹介いたします!
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【週末民話研究】雨乞いが行われた怪無池と、青龍神社に伝わる不思議な話[京成高砂]
天気は未だ人間がコントロールできるものではありません。人工降雨などもいくつかの条件下でのみ可能なもので、完璧な気象制御は現代ではまだ神の領域であるとされています。現代ですら及ばないその問題に、はるか昔の人々はどのようなことで対応していたのでしょうか。葛飾区にはかつて雨乞いの神事が行われたとされる池があるそうで、そこにはいくつかの不思議な話も伝わっています。雨乞いというミステリアスな言葉に惹かれて、今回はその池を訪れてみました。
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利家が死んだ後の前田家はどうなったのか? 我が嫡男・利長と、自慢の妻・まつが生き抜いた大戦(おおいくさ)について語ろう。
皆の衆、息災であるか。前田又左衛門利家の戦国がたり、開幕である!大河ドラマ『どうする家康』では関ヶ原が終わり、最後の火種が燻る様子が描かれておるわな。いよいよ徳川殿の世へと日ノ本が変わって行く中、儂(わし)が死んだ後の前田家はどうなっていったのか。これについて此度は話して参りたい。関ヶ原古戦場を紹介致した前回と、五大老として徳川殿と命尽きるまで対峙した儂について記した前々回の戦国がたりを先に読むと良いであろう。それでは、いざ参らん!!
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やばい!でかすぎ!想像の上いく「巨大仏」ベスト5。エキスパート編 
高速道路を走っていたり電車に乗っている時、遠くの方に巨大な仏像を見たことはありませんか?牛久大仏などでも有名な、こうした仏像は「巨大仏」とも呼ばれています。仏像というと、しきたりや歴史などを学ばないと触れられないようなイメージもありますが(本当はそんなことありません)、景色に溶け込んだ巨大仏は「大きい!」「すごい!」という、単純な感情に訴えかけてくるため、仏像や仏教に興味がなくても楽しむことができます。前回は【スタンダート編】として全国の有名な巨大仏をご紹介しました!第2弾の今回は【エキスパート編】と銘打って、さらに巨大仏の深みへご案内いたしましょう!
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【利家、関ケ原へ行く】いよいよ天下分け目の決戦。より深く理解するための記念館と陣跡探訪記
皆々、息災であるか!前田又左衛門利家である。此度の戦国がたりは久方ぶりの史跡探訪である!!此度訪れたは今、大いに盛り上がっておる関ヶ原古戦場じゃ!大河ドラマ『どうする家康』にてこの地で起こった大戦が描かれている。世界三大古戦場にも数えられ、世界に轟くこの地は訪れたものを楽しませるよう様々に整備がなされておる。早速紹介致そうではないか!
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猫飛(にゃんぴー)伝説を知ってますか?中村橋で生まれたての「民話の赤ちゃん」に出合う。【週末民話研究】
西武池袋線・中村橋駅の近くには、なんとも言えない愛嬌のある顔をした猫の銅像があります。小判を抱えて手を招いているこの猫は「にゃんぴー」と呼ばれ、中村橋商店街をはじめとしたこの地域の人々に親しまれているとか。今回ご紹介するのは、中村橋駅付近に伝わるこのにゃんぴーという猫についてのお話です。
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【週末民話研究】全国に38個の力石。187kgを持ち上げる日本一の怪力・三ノ宮卯之助
「力石」とは、江戸時代に力くらべに使われた石のことを指します。力石を用いた力くらべは神社の祭礼の資金集めや寺社の建造・修復費用を集めるための興行として、庶民にも親しまれていたようです。今回は、そんな力石にまつわる、ある一人の男性のお話をご紹介します。
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徳川と前田の仲は本当に良好だったのか?朝鮮出兵中にあわや一触即発の危機、幻の戦「水騒動」
皆々、息災であるか前田又左衛門利家である。戦国時代の終わり頃に肥前国、即ち現世の佐賀県に人口二十万人を超える大都市が誕生する。その名も肥前名護屋城、異国への備として日ノ本全土から主要な戦国武将、百六十の家が集められたのじゃ。勿論秀吉も肥前名護屋で指揮を取ることとなったのじゃが、それを支えたのが徳川家康殿と儂(わし)、前田利家であったのじゃ! 先ずは豊臣政権における家臣団の筆頭であった儂と徳川殿の関係について見ていこうではないか!
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なぜ利家は謹慎を命じられたのか? 秀吉による天下統一と小田原北条攻め。その裏で起きていた八王子城殲滅戦
皆々、息災であるか。前田又左衛門利家である。これよりは儂(わし)の戦国がたりの刻である!大河ドラマ『どうする家康』では北条が滅びて秀吉による天下統一が果たされた。家康殿も東国へ領土を移し、物語は終盤へと向かっておる。じゃが!儂、前田利家もこの頃は豊臣政権の重臣として戦に政にと励んでおったのじゃが、大河になかなか出て参らぬ……。じゃがこれは徳川殿の物語ゆえに致し方あるまい!そこで此度は北条征伐の詳しい話と、この頃の儂は何をしておったのか、について話して参るぞ!
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韮崎のEF15。貨車を従えたデッキ付き電気機関車との出合い【廃なるものを求めて】
無骨なスタイルのデッキ付き電気機関車が好きなんです。今回の「廃なるもの」は、ちょっとイレギュラーかもしれません。いや、最近イレギュラーな内容ばかりで、純粋な「廃」巡りをしていない気もしますが……。いまからうん10年も前のこと。まだ幼稚園の頃ですが、渋谷並木橋の上から茶色い電気機関車が黒い貨車を牽いて眼下を通り過ぎたのを、うっすらと記憶しています。たしか先頭には厳つい手摺りのついたデッキがあったような……。その機関車はEF15形電気機関車ではなかろうかと思っています。EF15は戦後間もない1947年に誕生した貨物用直流電気機関車で、車体色は「ぶどう色2号」と称す焦茶色を纏っていました。総数202両製造され、山岳地帯用に改造されたものもあり、貨物用機関車ゆえに少々地味な存在でした。
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【週末民話研究】鳥?河童?日光街道に佇む道中安全の守り神・ぎょうだいさま
埼玉県越谷市蒲生一丁目、日光街道(現在の蒲生茶屋通り)のわきに不思議な祠があります。屋根からは鳥のような河童のような謎の像の頭部がのぞき、眼光鋭くあたりを見回しています。一体なんのためにこの地に佇んでいるのか。今回は「ぎょうだいさま」と呼ばれているこちらの像について調べてみたいと思います。
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【庚申塔って何?】民間信仰の代表格、庚申塔を巡る・台東区編
日本各地に見られる庚申塔(こうしんとう)は、中国から伝わった道教に由来する庚申信仰(庚申講)に基づき建てられた石塔のことです。庚申信仰は、中国の道教に基づく三尸(さんし)説をベースとした信仰に、仏教や神道、民間信仰や風俗などが合わさったものとして日本全国に広まりました。調べていくと、庚申塔の碑の形や碑面に彫られているものには様々なバリエーションがある模様。週末民話研究では各地の庚申塔を巡り、「庚申塔シリーズ」として紹介していくことにしました。かつての江戸城下町である台東区は、東京23区内でも神社や寺院が特に多い場所。城の守りを固めるために各地の寺院を集めたとされ、信仰の厚い土地だったためか庚申塔も多く見られます。今回はシリーズの初回として、台東区の庚申塔をご紹介。庚申塔の写真は以前から個人的に集めていたものなので最新の写真ではないのですが、歴史や位置を確認するために改めて台東区の庚申塔を調べ、巡ってみました。
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『どうする家康』には描かれない、実は活躍した戦国武将・土屋昌恒と長連龍
皆の衆、息災であるか。これよりは前田利家の戦国がたりの時である。此度の戦国がたりは前回に続いて人物紹介の巻である!!戦国の世で名を轟かせたが現世ではあまり知られておらぬ武士が数多くおる。其の中で儂が皆に知らしめたく思う者を紹介して参るのがこの人物紹介の巻。第一回は徳川殿の宿敵・岡部元信殿と、浜松を守った女城主・お田鶴の方。第二回は織田家の猛将・森長可殿と、石川数正殿を紹介致したわな。本能寺の変から小牧長久手まで続いた動乱が落ち着いたで、此度は少し時間を元に戻して武田滅亡から本能寺の変に関わる人物を紹介いたそうではないか。此度紹介する者の一人は我が家臣である!いざ参らん!
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【週末民話研究】祟りへの恐れと深い信仰、謎に包まれた葛飾区立石の立石様
東京都指定史跡に指定されている立石様は、東京都葛飾区立石の地名の由来となった石です。1398(応永5)年の書物には既に地名として「立石」という記述が見られ、江戸名所図会(江戸当時の地誌)にも登場していますが、現在も様々な謎が解明されていない不思議な場所のようです。事前に情報を集めている時、この立石様に対する信仰心には祟りへの恐れも非常に色濃く出ていると感じました。今回は、その正体がほとんど謎に包まれている、ミステリアスな立石様について調べてみることにします。
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【ツウ旅】千葉県多古町~タコならぬ多湖に思う、海につながる深い縁~
千葉県北東部の多古(たこ)町。成田市の東隣に位置し、国際色豊かな航空機が上空を頻繁に行き交う。水田の続く平坦な地に、いくつもの高台が枝状に延びているのは、かつて海だった頃の入り江の名残だ。「タコ」と聞くと、「蛸」「凧」を連想しがちだが、地名の由来を「多湖」とする説が根強いのはこうした理由が大きい。海水に含まれた豊富なミネラルは肥沃な土壌を生み、「多古米(まい)」なるブランド米として結実。点在する台地には山城が築かれ、歴史の舞台ともなった。町の中心部を流れ下る栗山川は、この地の変遷を見守り続けてきた大いなる母のごとき存在だ。
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石川数正はなぜ出奔したのか? 秀吉による天下統一の時期に活躍した2人の武士。
ついに小牧長久手の戦いが終わった大河ドラマ『どうする家康』。天下人・豊臣秀吉が誕生し、これよりはその臣下としての家康殿が描かれていくこととなる。本能寺の変より続いた大戦の連続はこれにてひと段落じゃ。これよりは秀吉の島津征伐や北条征伐と、天下統一の終盤戦へと進んでいく。故に此度はこの一連の動乱にて活躍した武士を掘り下げて紹介して参りたいと思う。いざ参らん!
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