団地の入り口で見つけたのは立てられたばかりの真新しいグリーンの掲示板。まだ何も掲示物が貼られていません。
緑の低木に囲まれて立つその姿がじつに凛としていて、すぐに「常緑樹」というタイトルが閃きました。秋が来て木々が枯れてもこの緑色の鮮やかさは変わらないでしょう。まさにエヴァーグリーン。
緑色も気になりますが、看板愛好家としては屋根の形も気になります。
雨よけにしてはかなり大きく張り出したこの屋根。掲示物の下の方まで濡らすまいと計算された角度とサイズなのでしょう。UR(元住宅公団)ならではの特別仕様、頼もしい限りです。
駅を降りたらなんとも味わいのある無言の町会掲示板が目前に立っていました。
注目すべきは独特なスタンドフレームの形状です。柔らかなアールを描いたスチールパイプで左右からボードを挟み、足下には向かい合わせのS字の装飾が施され、なかなか愛嬌があります。
ボードの上の方にはたくさんの画鋲が出番待ちをしています。画鋲に小さな四角い紙が挟んであるのは抜き差しするときに指先や紙を傷めない工夫でしょう。使用者の意図が見える様子から、掲示物がなく無言なのはこのときたまたまだったのかもしれません。
廃校舎を利用した区民の文化施設の廊下で見つけた、懐かしい新聞ニュース掲示板です。かつては報道写真のポスターが毎週にぎやかに貼られていたはずですが、いまはただひっそりと緑色のボード全面をあらわにしているだけです。
こうして見ると掲示板を緑色にする風習は学校に由来していることが推察できます。教室の黒板がおそらくは目にやさしいという理由で緑色になり、それに合わせて教室の後ろ側の掲示壁も緑色の壁紙であしらわれるようになったことで、画鋲で何かを貼る平面は緑色という感覚が広まったに違いありません。
画鋲を刺す掲示板は緑色、という固定観念は製品にも反映されて現在に至ります。
まだ新しいこのマンションの共有通路にある掲示板は何も貼られることもなくひっそりとただ純粋な緑色の色面として壁に掛けられています。
単色の抽象絵画、モノクローム・ペインティングのようです。いずれ管理人さんが何かを貼ってしまうのではないかと妙な心配をしながら密かにドキドキしています。
再び屋外へ出てみましょう。鮮やかな五月晴れの下、爽やかなペパーミントグリーンの看板が目に入ってきました。
これは行政が指定する生産緑地地区の看板で、農作物をイメージしているためもともと緑色の看板だったのが、雨風にさらされて褪色し文字も消えかけているようです。やがて完全に文字が読めなくなってしまえばこの看板は畑の風景に溶け込んでしまいそう……いや、むしろそうなったときこそが本当の自然が還ってくる日なのかもしれません。
「緑化」を意味する英語はいくつかありますが、グリーンを動詞の現在分詞にしてgreeningというと、それは植林や植栽をすることだけでなく、環境問題を考える意識を広め育てるといった教育普及活動も含まれます。
〈緑色看板〉を文化や文明といった広い意味でとらえ直すと、それはひとつの「緑化」のしるしなのだともいえるでしょう。
文・写真=楠見清