一年ほどのフリーター生活を経て、大手人材会社へ就職してすぐに引っ越した先が、日暮里だった。住んでいたのは繊維街がある東口側のほうだ。駅前にはチェーン店が立ち並んでいるが、大通りの信号を渡って駅と反対方向に進むと、そこから先はほぼ閑静な住宅地だ。
『ひぐらしベーカリー』と、併設されている『パン屋の本屋』。老舗の『斉藤湯』。お総菜やおにぎりを売っている『かねふじ』。担々麺で有名な『馬賊』。駅前にある喫茶店の『談話室 ニュートーキョー』。住むまではほとんど降り立ったことがなかったけれど、休みの日に近所をふらりと歩いてみるだけで、魅力的なお店をいくつも見つけた。
いちばんよく行っていたのは『談話室』だ。自動ドアの扉を開けると、天井には煌(きら)びやかなシャンデリアがいくつも吊るされ、広い店内には赤いベロアのソファがずらりと並んでいる。住んでいた頃は店内で喫煙が可能だったため、新聞を読んでいる年配の人や、煙草を吸いに立ち寄ったサラリーマンの割合がやや多かったように思う。ホテルのロビーのような華やかな店内の印象とは裏腹に、良い意味で放っておいてもらえる気楽さがあり、それがわたしには心地よく感じられた。
そんな憩いの場も、友だちとお茶をするとなれば、話は別だ。煙草(たばこ)の煙が苦手な子もいる。しかしわたしは、日暮里で『談話室』以外の喫茶店を知らなかった。山手線で二駅だし、と上野に行くことを提案しようとしたら、友人はものの数十分で、候補のお店のURLを複数送ってきてくれる。開くと、どれも聞いたことのない店名だ。
ひとつひとつ詳細を確認してみると、すべて日暮里駅の西口側に位置していた。そこで初めて、日暮里はリバーシブルだったのだと気づいた。東口にもおもしろいお店はたしかにいくつも存在するが、西口側にある「谷中」は、その比ではない。行列のできるかき氷屋さん、癖の強いインド料理店やトルコ料理店、古民家を改装したカフェなど、個性的なお店が数えきれないほどあり、土日の谷中銀座は、なにかお祭りでもやっているのかと思うほどにぎわっている。どちらも似たような景色が広がっていると思い込んでいたが、西口側と東口側はまるで違う街だった。
リバーシブルどころか、西口側が「表」で、東口側が「裏」と言われてもおかしくない。それでも、休日に足が向くのは東口側だった。わたしにとっては東口側こそ日暮里の表で、こちらの面のほうが、もうすっかり肌に馴染(なじ)んでしまっていた。友人が言っていた「リバーシブルの服はリバーシブルで着ない説」は、実際かなり有力なんじゃないかと思う。
余談だが、日暮里はもともと「新堀」という地名だったそうだ。江戸時代、春の桜や秋の紅葉の名所として、日が暮れるまでいても飽きない「ひぐらしの里」と呼ばれるようになり、「日暮里」の字が当てられた、と言われているらしい。住んでいるマンションがあるのは地元の人しか歩いていない静かな住宅地だったが、春になると家の前の通りの木々がいっせいに薄桃色の花をつけた。
日暮里で初めて春を迎えた年、これぜんぶ桜の木だったのか、と驚いたことをよく覚えている。当時はなぜこんなところが桜並木に、と思っていたけれど、もしかしたら昔、庶民の行楽地として栄えていた名残なのかもしれない。今の時代は日暮里よりも好奇心を刺激してくれる街がたくさんある。だけど、住んでいたときはこの街にいるだけで、すべて事足りる感覚がしていた。江戸時代の人が「日暮里」とつけたくなった気持ちが、わたしにはわかる。
日暮里を離れてから七年ほど経った今も、慣れ親しんだ街へ出かけたくなって、ときどき足を運ぶ。途中、ひと息つこうとマップの「行きたいリスト」に入っている谷中のカフェや喫茶店の情報を眺めてみるが、結局行くのはいつもの場所だ。大きな窓のそばの席に座り、温かい紅茶を頼む。外の景色をぼんやりと眺めていると、かつて住んでいた日々のことが蘇(よみがえ)ってくる。目の前のロータリーでバスに乗り込む人々の様子を見ながら、そういえばここが初めて一人で入ったチェーンじゃない喫茶店だった、と思い出した。
文=ひらいめぐみ
茨城県出身。作家、ライター。主な著書に『転職ばっかりうまくなる』(百万年書房)、『おいしいが聞こえる』(ハルキ文庫)など。最新刊『世界味見本帖』(角川春樹事務所)が好評発売中。
まちまち通信
ひらいめぐみさん・中前結花さんが同じ街をテーマに、毎月交互につづっていくリレーエッセイ。
『散歩の達人』2026年3月号より






