どこか食堂っぽい『江戸一』
『名代 江戸一』のある旗の台は、近隣の中延や戸越に比べると、同じ下町でも少し落ち着いた雰囲気がある。病院や大学などがあり、個人住宅、マンションが多いせいか、少しゆったりした空気があるのだ。
『名代 江戸一』は駅前の商店街の路地を少し入ったところにある。カフェの居抜き物件なため、外観はコンクリートの打ちっぱなし。「そば・うどん」の幟(のぼり)がなければ、立ち食いそば店だとは思わないだろう。
そしてこの『名代 江戸一』は、そばもいいけれど、うどんがなかなかいいのだ。個人的な推しは、九州仕込みとうたわれた肉ごぼう天うどん。白だし使用で淡い色ながらしっかりした旨味のあるツユ。たっぷりのった牛肉はくさみなく、溶け出した肉の旨味がツユのうまさを格段に上げる。ゴリッとしたごぼう天は大地の香りたっぷりで、味わいの幅が一気に広がる。これらが溶け出したツユを含んだもちもちうどんが、またうまいのだ。
肉がうまければ牛丼もうまい。チェーン系の味付けよりも控えめなのが、ごはんのうまさを引き立てる。聞けば、肉を煮込む前に茹でこぼしてくさみを抜いているという。ひと手間かけたおいしさなのである。
メニューを見ると、そばうどん以外に、カツ丼やカツカレーもあり、酒類や簡単なツマミも用意されている。『江戸一』には立ち食いそばというより、どこか食堂のような感じがあるのだが、それは店主である入船理江さんの経歴、旗の台という立地に理由があった。
現場の食堂から転身
入船さんはもともと、「エコシステムズジャパン」という建設会社で、調理を担当していた。と言っても、社食で働いていたわけではない。大規模な建設工事の現場では工期が長期間になるので、そこで働いている人たちのために、食堂を作ることがある。入船さんはそこで長い間、働いていたのだ。長年、あちこちの現場を転々とするうち、固定店舗でやってみたいと独立し、2025年の8月に『名代 江戸一』を始めたというわけだ。
ちなみにその際には「エコシステムズジャパン」もバックアップ。店舗内の工事をやってくれたり、厨房機器を譲ってくれたり協力してくれた。また、同じ食堂で働いていた方と、一緒にメニュー開発したという。ちなみにその人は九州出身。肉うどんや、宮崎のソウルフードでサツマイモを使った「がねのかき揚げ」は、その人のアイデアだ。がねのかき揚げをいただいたが、ホクッとしたサツマイモとタマネギの甘みが相まって、宮崎出身ではないのにどこかなつかしいおいしさを感じた。
さて、建設現場で働く人たちを相手に、そば、うどん、カレーなどをガンガン提供していた入船さん。その手腕で立ち食いそば店をやればうまくいくはずとと考えていたのだが、いざ始めてみたところ、そういうふうにはいかなかったようだ。
出勤前の忙しいサラリーマンのためにと朝6時から店を開けたところ、客は来るもののラッシュのような勢いはなし。開店からしばらくすると、近くの病院で働く夜勤明けの看護師と思しき女性がきて、うどんをすすっていたり。土・日ともなると近隣の中年夫婦がまったりお酒を楽しんだり、子連れの女性が子供にそばを食べさせていたり、立ち食いそばというよりも、のんびりした街の食堂といった感じになっていった。夜、仕事帰りに一杯楽しむ人も多いようで、だんだんとお酒メニューも充実。今ではおつまみセットも出すようになった。
旗の台に合わせてローカライズ
こうなったのは、旗の台という土地柄が大きいだろう。同じ沿線でも戸越や中延なら、会社も働く人たちも多い。しかし旗の台は、住む街という色がより強い。駅までの動線を外れた路地という、騒がしくない立地も大きかっただろう。
入船さんの目論見とは違ったようだが、地元にちゃんと受け入れられているのだから、それはそれで素晴らしいと思う。そもそも飲食店がその場所に合わせ、メニューをローカライズしていくというのはよくある話で、『名代 江戸一』はそれにうまく成功していると言えるのだ。
『名代 江戸一』には「五目イカかき揚げ」という天ぷらがある。近くの中延にゲソ天で有名な『六文そば中延店』があるためか、「ゲソ天はないの?」と聞いてくる客が多かった。同じものを作っても……というところで開発したのが、イカの身と小エビ、タマネギと紅しょうがに春菊を合わせた「五目イカかき揚げ」だ。イカの身は柔らかく、タマネギの甘味、紅しょうがの酸味がいい具合にバランスされている。ゲソ天もいいけれど、これはこれでいい。バランスの取れた味わいが、旗の台という土地に合っている気がする。
取材したのは土曜の午後遅めだったが、話を聞いている間もポツポツ客がやってくる。土曜ということもあるけれど、みんな、どこかのんびりした感じで、ゆっくり食事を楽しんでいる。その光景を見ながら、こういうあり方の立ち食いそばもなかなかいいな、と思った。
取材・文・撮影=本橋隆司








