抜群の立地で30周年
ハモニカ横丁にダイヤ街、平和通りに公園通り……。数多い吉祥寺の商店街の中でも、最も代表的で誰もがまず思い浮かべるのは「サンロード」だろう。駅中央口を出てすぐ、五日市街道まで伸びているこのアーケード商店街に入っておよそ2分、右手に『BOOKSルーエ』はある。
「本屋としてオープンしたのは平成3年(1991年)3月です。それまでは父が30年弱、喫茶ルーエをやっていました。喫茶店の前はそば屋。私で3代目になります。出版不況と言われますが、お客様のおかげでなんとか本屋で30年やってくることができました」
代表の永井健さんは感慨深い表情でこう話してくれた。抜群の立地に加えて、路面店であることも大きなアドバンテージになっていることは間違いない。ここに書店があることを知らない人でも、サンロードを歩きながらふと表の雑誌ラックが目に留まり、奥まで見渡せるフロアに吸い込まれるように入っていく。
入ってすぐ左手に並ぶいくつもの書棚には新刊書が見やすいように面出しされている。少し奥に進むと、この日は「没後40年 いま向田邦子を読む」と題した企画棚があった。安西水丸さんの棚もある。こんな入り口近くで早くも書店としての編集術を見せてもらい、ワクワクしてしまう。
さらに奥に進む際、ハタと気付いた。今まで数十回は来ているお店なのに、私は『BOOKSルーエ』の意味を考えたことがなかった。「ルーエ」ってなんだ? なんて迂闊なんだろう、自分は。そして調べた。Ruhe。ドイツ語である。意味は……「静けさ」あるいは「休息」。
書店まで足を運ぶ楽しさが随所に
おおげさにいえばいささか打ちのめされた。そうか、「静けさ」か。確かに、サンロードからほんの数歩入るだけなのにスッと消音される感じがある。今までそんなことも知らないまま「静けさ」という名前の店であれこれの本を見て、買って、気分をリセットしていたのだ、自分は。
静かだと、隅々まで目が届くようになる。あ、ここは雑誌の棚のはずなのに、平台と棚差しのあいだにそこだけ本が面出しされている一角がある。「海外文学のない人生なんて。」と看板が出ていて、「新潮クレスト・ブックス」の特集コーナーだ。日本の小説は手にとっても海外文学まではなかなか……という人も多いだろう。だからこんな思いがけない場所でフィーチャーされていると、ここが関心の新たな扉になる可能性もある。
私自身、取材中にスタッフの方から1冊、とっておきの海外文学のオススメをいただいた。『シブヤで目覚めて』。著者はアンナ・ツィマさん。す、すみません、タイトルも著者もまったく存じ上げません……。
「主人公が分裂してチェコのプラハと東京と2つの世界を行き来する小説なんですがとにかくおもしろいんです! 私、大学でチェコ語を勉強していたんですが、チェコの作家の本が日本語訳で出る機会なんてそうそう無いから、とにかくうれしくて何冊もサインしてもらいました。ツィマさん、東京在住で日本語も堪能なんです」
一人のスタッフの熱がこんなふうに棚に反映されるとはなんとステキなことだろう。
そしておや? 同じ吉祥寺の地でひとり出版社を営む夏葉社の本のコーナーもある。ここはいわばご近所応援棚かな。
2階に上がろう。2階には文庫に新書、人文書、社会科学、自然科学、芸術書、児童書、学習参考書、ビジネス書などがある。と、階段の踊り場でまた目が釘付けになる。
上って行こうとするとまず右手にポストカードがびっしり。こちらはお店のブックカバーに作品を提供している地元在住のイラストレーター、キン・シオタニさんのカードだ(ちなみに冒頭の店入り口の外観写真、店名のロゴの上にある絵もキン・シオタニ作品)。
そして正面。「平野甲賀の描き文字の仕事」とあり、その装丁においていかにふんだんに「描き文字」が活用されたかを一望できるスペースになっている。うん、これは眼福。平野甲賀さんは今年3月に亡くなられたが、本好きの人たちはこんな思いがけない場所でまた出会うことができる。
地元作家との付き合いを大切にすること
再び永井代表にお話をうかがう。
「吉祥寺は外から来る方と地元の人と、多くの方がここで過ごし、楽しむ街です。書店もたくさんあります。その中でこの店がどうにか30年やって来られたのは、お客様の他に地元作家の皆さんの応援があったからだと思います。キン・シオタニさん、江口寿史さん、西原理恵子さん……。深く感謝しています」
永井さんはこんな楽しいエピソードも話してくれた。
「私、自発的に作家さんのために営業したこともあります(笑)。キン・シオタニさんの作品は本になりました。彼には『ぼくの作品、BOOKSルーエのブックカバーで採用されてるんです』と営業トークしていいから、と言ってあります。江口寿史さんの画集『彼女』が出た際には、ウチで買ってくれた方向けにオリジナル・ポストカードを作りました。その際、私の娘をモデルにしてくださって、娘は大喜びでした」
作家がいて、出版社があって、本を読みたい人がいて、それらをつなぎ、届けるために書店がある。それぞれが顔の見える存在だからこそ、信頼することができる。その書店を支えるのが吉祥寺という街だ。
ひとくちに30年と言うけれど、生まれた子どもが今度は自分の子を持つまでの時間だ。「ルーエさん、喫茶店を閉めちゃったと思ったら今度は本屋さんか!」と驚いた人も、おじいちゃん・おばあちゃんになった。
コロナ、まだ安心とは言えないけど……。やっぱり街に出なきゃ。本屋さんに行かなきゃ、とあらためてそう思う。
取材・文・撮影=北條一浩