長渕剛をちゃんと語ろう~気さくなアンちゃんはどうしてあんなコワモテになったのか~
いったいどこから語りましょう。活動歴は40年以上、いまだ第一線でヒット曲多数、キャラ的にもぶっ飛びすぎたこの偉大なミュージシャンを客観的に、かつ正しく評価するのは正直難しい。まずは「順子」かなあ。生放送のザ・ベストテンで「順子」を歌い出すも手拍子する客を制していちから歌い直したのが僕の長渕初遭遇だった。あれが1980年かな。長渕は「巡恋歌」「順子」と「乾杯」ですぐに売れたけど、その後数年の低迷期があり、フォークからロックへと徐々に転向し、歌い方も変わった。当時もっとも革命的なギャグ漫画『コージ苑』で、登場人物に「あんなの忌野清志郎のマネじゃねーか」と描いてあったことを覚えている。歌手と俳優業は本来別物だが、長渕ほど二足の草鞋に成功した人はいない。83年にTBSドラマ「家族ゲーム」の家庭教師役で新たな側面を見せた。なんで長渕がいきなりドラマの主役に?と思うんだけど、「3年B組金八先生」で武田鉄矢を抜擢して大成功したTBSが、「フォーク歌手に教師役をやらせるといいぞ」って味をしめたからですね。「1年B組新八先生」は岸田智史、「2年B組仙八先生」はさとう宗幸とそれぞれパッとしなかったけど、長渕は花開いた。以後、「家族ゲーム」の続編に、「親子ゲーム」(これで共演した志穂美悦子と結婚)、「親子ジグザグ」(母親役の李麗仙との絡みが最高)。ここまでは、長渕は「気さくなアンちゃん」だった。確か同じ頃にライブ後に倒れて救急車。85年の復活武道館、円型ステージで「勇次」の観客大合唱の音源は今聴いても鳥肌。そしてキャリアナンバーワン候補の名曲「STAY DREAM」。で、なんと言っても次の「とんぼ」ですよ。長渕ドラマのひとつの到達点でありキャラ変転作。本作でヤクザを演じ、現在まで続くコワモテのイメージを続けることになる。愛しやすい形ではなくなった。少なくとも僕にとっては。弟分を演じたのはこれが初めてのドラマ出演になった哀川翔。当時一世風靡セピアが下火で特にやることがなかった哀川が同じ鹿児島県出身ということで長渕のライブの後楽屋を訪ねたら、長渕がブーツを脱ぎながら笑顔で「鹿児島のどこね?」って訊いてきて、哀川が「芸能界にこんな気さくな人がいるんだ……」って驚いたやつ。すぐに気に入られて長渕の推しで「とんぼ」に出ることが決まって、すでに役者として活躍していた同じ一世風靡セピアの柳葉敏郎に電話で相談。「ギバちゃん、俺セリフなんて覚えられるかなあ」「翔ちゃん、慣れよ、慣れ」ってエピソード大好き。結果、長渕が翔やんを誘ってなかったら、その後のVシネの隆盛も「木更津キャッツアイ」も三池崇史監督の出世作『DEADOR ALIVE』もなかったと思うと恐ろしいですね。話戻します。「とんぼ」を収録したアルバム『昭和』はイニシャル100万枚。わかります? 全国のレコード店に積まれた初回枚数がミリオン。いまの音楽業界では絶対ありえない。まあ売れた売れた。でも個人的な長渕ベストは87年の『LICENSE』。「長渕のアルバムは30枚以上あってどこから聴いたらいいのかわからない」って思っているあなた、絶対これ! 長渕の師匠格の吉田拓郎も絶賛していたなあ。一曲目の「泣いてチンピラ」から、長渕の人生遍歴が歌われる。前妻石野真子との別れを想起させる「PLEASE AGAIN」や、コードがふたつだけの「パークハウス701in1985」。先述した「親子ジグザグ」の主題歌「ろくなもんじゃねえ」。仲が良かった石倉三郎の夫人の店の名前から付けた「花菱にて」。タイトル曲「LICENSE」は子ども時代を回想し、粗暴な父と日常的に殴られていた母について歌う。この人マザコンだなあって思った。シメは「何の矛盾もない」。明らかにここで歌われる人は志穂美の悦ちゃんだって、リスナーはみんな思ってました。今回21世紀になって初めて長渕のアルバムを全作聴き直してみました。自分でも影響を受けているなあと感じた。乱暴なことは承知で長渕の作品性および人格をふたことでズバッと言い当ててみます。情緒メロディの天才。もうひとつ。根深い人間不信。それらを感じずにはいられなかった。特に後者は本来なら生きていく上でかなり致命的なはずが、シンガーソング・ライターとして日本屈指の才能を持つゆえに逆に生きた。また話逸れるけど清原和博が引退セレモニーで長渕に激唱してもらうほど熱烈なファンってほんと頷ける。清原ってあんなに体がデカいのにありえないほど気が小さいでしょう。PLの学生のときから人がたくさん寄ってきて利用されて、人間不信になって長渕に共鳴したのは必然かもしれない。