お話を聞いたのは……

大田区立郷土博物館 学芸員 築地貴久さん。

明治時代、行楽地としてにぎわった大森一帯

今からさかのぼること約300年。江戸時代中期、八代将軍徳川吉宗の時代。品川から大森にかかる海岸で海苔の養殖が始まる。海水と淡水が混じり合い、潮の干満がある遠浅の海などの条件が養殖に適していたため、産業として発展し、その技術は各地に広がっていった。

明治時代になると、大森一帯は行楽地としてにぎわってくる。まず、明治24・25年(1891・92)、久我邦太郎という実業家によって大森(八幡)海水浴場が開設された。「久我氏は土地の開発事業に力を注いだ人で、渾名が“開発狂”でした」(築地さん)。その後、料理屋「伊勢源」が海岸側に店を構えたのを皮切りに、行楽客を見込んで次々に料理屋が開店。海にせり出す納涼台を設置した店もあり、海水浴シーズンには花火や宝探しなどの余興もあった。

左が競艇場のスタンド。右に平和観音。
左が競艇場のスタンド。右に平和観音。

明治30年代になると芸者置屋が開業、合わせて待合(貸し座敷)もできて、海岸一帯に花街が誕生した。このころ、現在の平和島駅の前身である沢田駅が開業している。大正期には、映画館やダンスホールなどの娯楽施設も立ち並び、海水浴だけではない一大遊興地となっていた。

大森花柳界は昭和10年代に最盛期を迎える。「料亭街でいちばん敷地が広かった『福久良』(昭和戦前期に開店)の前身『澤田屋』は、カニ料理が有名で、馬込文士村の作家たちも来ていたようです。『福久良』は昭和50年代まで営業していましたから、地域の人がここで結婚式を挙げた写真が残っていたりします」。

花街の対岸に埋め立てによって人工島ができる

東京湾を望む風光明媚(めいび)な土地としてにぎわっていた大森だが、その東京湾に近代的な港をつくろうという計画は明治時代からあった。沖合まで干潟が続く湾は海苔の養殖に適していたが、大型船舶が入港できない。そこで京浜運河を開削し、その土砂で埋め立て地を造成しようとした。だが海苔漁師の反対が根強く、資金難もあって、計画は遅々として進まない。昭和14年(1939)になってようやく漁業補償が成立、品川区勝島が造成される。そして現在の平和島の一部が造成されたところで、戦時下の資材不足で工事は中断した。

競艇場の隣りには巨大な複合アミューズメント施設「BIGFUN平和島」。
競艇場の隣りには巨大な複合アミューズメント施設「BIGFUN平和島」。

この平和島の一部に、戦時中、連合国軍兵士の捕虜収容所があった。現在の平和島競艇場の観客スタンドあたりだ。開設は昭和18年(1943)7月。収容された捕虜の国籍は、イギリス、アメリカ、オランダなどで、終戦時には数百人にのぼったという。

「平和島は当時、未完成の島で、島との行き来を可能にしたのは1本の橋だけでした。つまり橋を警備すれば脱走は難しかったのではないでしょうか」

捕虜たちは、都内各所へ労働にかり出された。東京湾の埋め立て、貨物駅での荷役などだ。その際、捕虜の姿を目にした人たちの証言が残っている。痩せ衰えた姿で、なかには裸足の人もいて、住民に食べものをせがんだり、日本軍の兵士に暴力を振るわれたりしていたという。戦時中とはいえ、あまりに凄惨な光景だ。だが大森の街の人々は、少ない配給の食べものをこっそり分けたりして、なんとか手を差しのべようとしていた。

昭和19年(1944)10月撮影。中央、靴下型の埋め立て地南にあるのが平和島。出典=国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。
昭和19年(1944)10月撮影。中央、靴下型の埋め立て地南にあるのが平和島。出典=国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス。
1960年に建立された平和観音。ひっそりと立つ。
1960年に建立された平和観音。ひっそりと立つ。

終戦後、一転して日本のA級戦犯の仮収容所となり、巣鴨プリズンへ移送されるまで使われる。その後は戦災で家を失った人や、外地からの引揚者の住居にも使われた。一方、埋め立てはなかなか再開されず、未完成のまま大田区営の海水浴場ができる(1952年)。1950年代には競艇場をはじめ、温泉会館や遊園地、プールが開業し、人工島はアミューズメント島に生まれ変わりつつあった。

「この一帯に住んでいた人たちが、終戦後、これまでの経緯もあって、平和への願いをこめて平和島と呼んでいたそうです。正式な町名になるのは、埋め立てが完了して大田区の土地になった1967年の翌年のことです」

もしかしたら、当時、大森に暮らしていた人々は、捕虜の姿を間近に見たことで平和への思いを強くしたのかもしれない。歴史は否応(いやおう)なく積み重なり、そのときどきで合理性がある。記録に残らず忘れ去られていくことも多いなかで、「平和島」と名付けた先人の思いは、長く記憶に留めておきたい。

取材・文・撮影=屋敷直子
『散歩の達人』2026年2月号より

主要参考文献
『発掘写真で訪ねる大田区古地図散歩~明治・大正・昭和の街角』(フォト・パブリッシング、2019年)
『大田区・品川区 写真で見るわがまち』(ハーツ&マインズ、2022年)
『史誌 第23号』(東京都大田区、1985年)
『大田区議会史 通史編』(大田区議会、2003年)
小関智弘『東京大森海岸 ぼくの戦争』(筑摩書房、2005年)
加藤政洋『花街』(朝日新聞社、2005年)