思い立ったら即行動、が信弘さん流
ビートルズが来日した1966年頃。大学生だった信弘青年は、あるTV番組に釘(くぎ)付けとなる。
「人間国宝の方がろくろを回している映像を見て、ビビッと来たんです」
思い立ったら自分で即行動、が信弘さん流。自宅の庭を掘って粘土を採掘し、作陶を開始する。
「少年時代、庭を掘って生ごみを埋める穴掘り係をしていたので、粘土の層があることを知ってたんです」
ただ、小岩の土は耐火力が弱く、上手く焼き上がらない。そこで、地元雑貨店で販売されていた、金属研磨用の磨き砂に着目。耐火性の高い珪石(けいせい)を含んでいたからだ。
「でも砂を入れると粘り気が減る。土中の微生物を増やし発酵させれば、粘りが出るのではと見立てました」
発酵を促すため砂糖やビールなどを粘土に練り込んで寝かすも、異臭がひどくてろくろをひけない。最終的に臭くならなかったのが日本酒!
「日本の土には日本酒なんだね」
信弘青年のDIYの快進撃は止まらない。七輪2つを上下に重ねて簡易的な窯を制作。最初の作品である素焼きのぐい飲みを焼いた。
「小岩の土で作ると、ザラッとした渋い風合いに仕上がりました」
高校時代の教科書を参考に釉薬まで自作
試行錯誤を続けるなか、1200℃まで上げられるレンガの窯が完成し、釉薬も使えるように。鉛釉(えんゆう)は錆(さび)止めに使う鉛丹で、ガラス釉は白熱電球を割って代用した。
「当時は江戸川土手で夏前に雑草を刈り、燃やしていた。その灰を灰薬としても使いました。芝窯(れいしよう)はそこから、甲和焼は昔この土地が甲和里(こうわり)と呼ばれていたから、名付けたんです」72年、ついに生家までもセルフで改装し工房兼お店を開業した。
「それでも、親父には『娘が生まれたのに、いつまで泥遊びをしてるんだ!』と叱られましたけどね(笑)」
そんな父親を、娘の理子さんはどう見ていたのか?
「庭で穴を掘る父を見て、同級生から『お父さんは何の仕事をしてるの?』と言われたこともあり、子供の頃は少し恥ずかしかったんです」
しかし、大学職員として就業中、理子さんが甲和焼のホームページを制作することに。自身も陶芸の歴史や専門用語を勉強するうち、作陶への興味がふくらみはじめた。
「就職して5年ほど経ち『もっと私にしかできない仕事をやりたい』と思っていた時期でした」
ろくろの練習を続けていると信弘さんが「そろそろ焼いたら」と背中を押してくれた。2005年には「nicorico」というブランドを立ち上げ、大学職員をしながらろくろを回し続ける日々。3年後には前職を辞め、陶芸の道一本に!
「比較的、重厚な父の作品に対して、私のはカラフル。暮らしに“ニッコリ”と笑顔を添えられるような、器を作りたいんです」
娘さんの話を、娘さんが作ったマグカップでコーヒーを飲みながら聞く信弘さん。「好きなことをやればいい」と、その垂れた目尻が親子で作陶の道を進む幸せを物語っていた。
取材・文=鈴木健太 撮影=オカダタカオ
『散歩の達人』2026年1月号より








