「門前」とはどこの前なのか?

でね。

今回の宅建デートは門前仲町駅からはじまるわけだが、そもそも『門前』とはなにか。

新明解国語辞典(第8版)によると「門の前」と書いてある。

あはは。

「門前町」だと「寺・神社などの前に発達した町」となる。

ということで、この地に鎮座しますのが『深川不動堂』と、並びに(文字どおりの隣あわせだぜ)『富岡八幡宮』だ。

深川不動堂は千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院だ。
深川不動堂は千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院だ。

山道をまっすぐ行って、中に入ると最初に目がいくのが本堂の外壁だ。

「なんか圧倒されるね〜。梵字で埋め尽くされた外壁って初めて見たかも。」

「ほんとだね。不動明王ご真言の梵字らしいよ。この外壁以外にも梵字あるらしい。」

御利益がありますように〜\(^o^)/
御利益がありますように〜\(^o^)/

江東区の歴史は江戸時代に始まる

今回は東京は江東区の深川・門前仲町にいるわけだが、せっかくだからここでちょっとだけ、江東区での“位置関係”を確認していただこうかと。

江東区は北側で墨田区と接していて、墨田区にはJR総武線が通っている。

隅田川を越えてきた総武線の墨田区内には『両国駅』『錦糸町駅』があって、そこから南にまっすぐ下れば、今回の深川・門前仲町だ

 

ちなみに墨田区と江東区の“接し方”なのだが、こちらをご覧いただきたい。

『両国駅』『錦糸町駅』を経由してまっすぐ進む総武線は、勢いそのまま、きれいに、直角に、とても不自然に、なんでこんな区割りになったのがよくわからんのですが、ともかくそんなふうに接する江東区に入り『亀戸駅』に至る。

 

毎度おなじみの都市計画図。なんでこんな区割りになったんでしょうかね。
毎度おなじみの都市計画図。なんでこんな区割りになったんでしょうかね。

でね、ここから『江東区の発展は江戸時代から始まる』という話につなげたいのだが、それはまずは、亀戸から、らしい。

っていうか、そもそも、亀戸2・3・5・8・9丁目あたりに土地があった程度だったみたい。

は?

では、江東区役所で入手した小冊子『江東区のあゆみ』の「はじめに」から以下、引用します。

江東区に発展は、江戸時代に始まります。徳川家康が江戸に入府した頃は、ほとんどが海か葦が茂った低湿地で現在の亀戸付近に土地があった程度でした。明治に入り、江東区は工業地帯として発展していきます。昭和30年代後半から、公害の社会問題化、工場跡地への集合住宅の建設ブームを経て、現在では、「親水公園」等に代表される「水彩都市・江東」として多くの区民に親しまれています。また近年では、臨海副都心をはじめとする区臨海部の開発が進み、新たな観光スポットとして注目を集めています。

「開発行為」とは何を指すのか?

深川不動堂を出たところに周辺の地図があったので見てみる。

首藤高速9号深川線が横断する深川・門前仲町界隈
首藤高速9号深川線が横断する深川・門前仲町界隈

あ、庭球場。

深川不動堂と数矢小学校にはさまれるように『深川庭球場』があった。

エルボーは言った。

「庭球場って、あんまり言わないよね。私、宅建試験の勉強で初めて庭球場っていう言葉を知ったかも(笑)」

ほんとに普通のテニスコートが、そこにある。
ほんとに普通のテニスコートが、そこにある。

ここで宅建試験の受験勉強を少し。

たしかにあまり耳にしない『庭球場』という表現なんだけど、宅建の受験勉強で顔を出す。

都市計画法の『開発許可』というところでね。

 

いちおう、こんな話だ。

都市計画法でいうところの『開発行為』をするのであれば『開発許可』を受けること。

つまり、開発許可を受けなれば開発行為を行うことができないということで、となると、どういう工事が開発行為になるか、まずはそれを理解しておかないとね。

 

都市計画法ではこうなっている。

『主として建築物の建築又は特定工作物の建設の用に供する目的で行う土地の区画形質の変更をいう』

 

つまり、土地の造成工事のうち、開発行為となる工事はこの2つだ。

  • 建築物を建築するための土地の区画形質の変更
  • 特定工作物の建設をするための土地の区画形質の変更

 

庭球場はどこで出てくるかというと、特定工作物の一つとして。

どういう工作物が特定工作物になるかというと、アスファルトプラントなどの工場施設やゴルフコースなど。

その特定工作物として、庭球場はこんなふうに顔を出す。

『野球場、庭球場、陸上競技場、遊園地、動物園その他の運動・レジャー施設である工作物で、その規模が1ヘクタール以上のもの』

 

ちなみに深川庭球場のテニスコートは2面しかなく、面積は1400㎡くらいだ。

特定工作物にはなりませんでした(笑)

深川不動と小学校をガッツリかすめる首都高9号線

庭球場から富岡八幡宮、それから少し進むと遊歩道があった。

「え、なんか橋もあるよ!!行ってみよう!!」

江東区の歴史、それもかつての“工業地帯”を感じさせる橋だ。
江東区の歴史、それもかつての“工業地帯”を感じさせる橋だ。

じつはこの遊歩道、昔運河だったところを埋め立ててできたらしい。

こちらの橋は八幡橋で、元々は弾正橋という東京市京橋区(現中央区)にかかっていたものを移設したんだとか。鉄橋で鉄を主材料としたものとしては日本最古のものと言われているようだ。国の重要文化財に指定されている。

『東京市』というのも見慣れないかも。
『東京市』というのも見慣れないかも。

あ、深川不動尊に直行してしまって行こうと思っていたところに行くのを忘れていた。

ぐるっと回って深川公園に戻ろう。

首都高速9号深川線の高架下を通って深川公園に向かう。

あ、そうだ。

せっかくここまできたから、さっきの“橋”の流れで、この橋脚を見に行こう。

エルボーに見せてあげよう。

首都高速9号深川線の橋脚が、数矢小学校の敷地にズドンと立っている。

橋脚が小学校の敷地にズドン。すごい光景な気がする。
橋脚が小学校の敷地にズドン。すごい光景な気がする。

わ、なにこれ!!

珍百景でしょ。

潮風。エルボーと明治時代に思いをはせる

「あと行きたいところある?」

「うーん。『東京散歩地図』にある帆船明治丸って見てみたいよね。」

「じゃせっかくだし行ってみようか!!」

 

オレも見たことないし。

帆船明治丸はその名の通り明治時代に造られた帆船で、国の重要文化財になっているみたいだ。

どんな船なんだろう。

 

少し距離はあるがオレたちは散歩が好きなのだ。

話しながら一緒に散歩しているとあっという間に目的地に着いてしまう。

 

あれ?

明治丸はどこにあるの?
明治丸はどこにあるの?

あ、そうか。明治丸は東京海洋大学越中島キャンパスの中にあるのか。

一応、警備の方に挨拶してから入る。

東京大空襲のときに構内の樹木を守った塀、って書いてある。
東京大空襲のときに構内の樹木を守った塀、って書いてある。
お〜、これが明治丸‼
お〜、これが明治丸‼
明治7年(1874)に灯台巡視船としてイギリスで製造された帆船。
明治7年(1874)に灯台巡視船としてイギリスで製造された帆船。

「なんか、いいわね。」

・・・ん?

 

「明治時代、なんかこう新しい時代を切り開いていく感じがして。」

・・・ん。まーそうだね。

 

エルボーは帆船明治丸を見上げる。

私もこの船にのって、新しい時代に乗り出していきたいわ。

 

そっか。なるほど、そっか。

エルボーは、オレと新しい時代に乗り出していこうと言っているのだな。

 

エルボーはまだ帆船日本丸を見上げている。

そっか。照れているんだな。

 

するとエルボーは急にオレを見た。

「私も帆船みたいに、新しい風を受けたいの」

 

・・・・????

「この船に乗って、新しい彼氏を見つけに行きたい!!」

 

オレの顔面に強烈な風が吹いた。

 

取材・文・撮影=宅建ダイナマイト合格スクール