登場人物

桂あけみ……タコ社長こと桂梅太郎の長女。いつしか高校も卒業し、いまや専門学校生。齢(よわい)も20歳のお年頃だが、恋のウワサは?

桂梅太郎(タコ社長)……あけみの父親で朝日印刷所・社長。この頃、五十路に差し掛かった実年世代。会社は社長本人が逃げ出したくなるほどの不振のピーク。娘の心配してる場合じゃないぞ、タコ社長~。

車竜造(おいちゃん)……柴又帝釈天参道の団子屋「とらや」6代目店主で、さくらの叔父。この頃、50代半ば。昔、満州の馬賊になりたかったそうだが、その姿を想像できる人がこの世界にいるのだろうか?

車つね(おばちゃん)……竜造の配偶者。子宝に恵まれなかったせいか、さくらやあけみを我が子同然にかわいがる。基本的には世話焼きだが、「あたしゃ知らないよ」のひと言で突き放すこともしばしば。

諏訪桜(さくら)……竜造、つねの姪。この頃、30代後半か。あけみにとっては頼りになるお姉さんであり、地域社会にとってはかけがえのない良識派の婦人。

御前様……題経寺(柴又帝釈天)の住職。近隣住民の崇敬を集める徳人。あけみが漢字を苦手としているように、御前様も英語や横文字はからっきし苦手のご様子。それでも克服しようと人知れず勉強しているとのウワサも……。

源吉(源公、源ちゃん)……題経寺(柴又帝釈天)の寺男。この頃、30代前半か。雇い主の御前様とは仲がいいのか悪いのか。それは永遠のナゾである。

【本編】あけみ、社会へ……。波乱の船出?

あけみ、就職に悩む

1980年代の幕開けに街も人も浮かれていた世情のなか、タコ社長の長女・あけみは専門学校の卒業を控えていた。

本来なら、社会という荒海に漕ぎ出す現実に直面する時期だが、さて当のあけみは……。

「はあ……」
あけみはこの日も「とらや」の土間で気だるそうに時間を浪費していた。
「どうしたんだい? ため息なんかついて」
と聞いたのはつね。
「おばちゃあん、あたしだって悩むことだってあるのよお」
「なんだい? 悩みって。どうせ何か欲しいけどお金が足りないとかだろ」
「違うよお。就職だよ、しゅうしょく」
「あらま、あけみちゃんももうそんな歳かい」
「勉強嫌いだし、やりたいことないし、ウチの工場も大変そうだから、仕事しようと思ってさあ」
「えらいねえ。で、どんな仕事するんだい?」
「4つ考えてんだよ」
「へえ、4つも入れてくれる会社があるのかい?」
「う~ん、ちょっと違うんだよなあ」
「じゃあ、4つってなんだい?」
「いち、フツーに会社勤めする。に、ウチで家事手伝い。さん、バイト先の居酒屋でそのまま働く。よん、永久就職……」
「は、はあ……」
つねは、真面目に聞こうとした自分が少しバカらしくなった。

「うーん、永久就職は相手がいないと無理だなあ……」
「なんだかよくわかんないけど、いいねえ、今の若い人は。アタシたちの頃は仕事選べる人なんて、ほんのひと握りだったんだよ」
「まったくだ。家業継ぐか奉公に出るくらいなもんで、好きだ嫌いだなんて言ってらんなかったんだぞ」
茶の間から竜造が口を挟む。

「じゃあ寅さんも?」
「あの男は特別だよ、特別」
「それはともかく、あけみちゃんには普通の勤めは似合わねえな」
「そうでしょそうでしょ。あたしもそう思うのよ。あたしって、どちらかと言うと商売に向いてると思うんだよねえ」
「そうかもしんねえなあ。寅の姪だからなあ」
「おいちゃん、何言ってんの。あたしと寅さんは他人だよお」
「おっ。そうだった。いけねえ、つい身内と思っちまった」

そう言って頭をかくと、竜造は軒下からのぞかせる冬の青空に目をやってつぶやいた。

「そう言えば今ごろどうしてんだろな、寅のやつは……」

あけみ流(?)就職面接

1980年2月某日、葛飾区某所、古びたビルの会議室。太字の油性ペンで「面接会場」と書かれた紙が貼られた扉が、勢いよく開いた。

「んちゃ!」

(ん、んちゃ~?)
あまりにも突拍子もない挨拶に、社長以下、専務、営業部長、製造部長、人事担当と、居並ぶ面接官は呆気にとられた。

先に気を取り直した初老の人事担当が代表して、その型破りな入社希望者に聞いた。
「ま、まずは氏名と出身校をお聞かせください」

「えーっとね、名前は桂あけみ。桂はあ、昔のエライ人でさあ、桂小太郎って人がいたでしょ。『鞍馬天狗』とかに出てくる……」
「か、桂小五郎のことかな?」
「そうそう。桂小五郎さん。その『桂』よ。おじさん、頭いいね。下は平仮名でいいよ」

(お、おじさん……)
担当者はかろうじて堪え、質問を続けた。
「で、出身校は?」
「えっと~何て言ったっけ? 水道橋にある専門学校なんだけど、おじさん知らない?」
担当者はあけみの問いかけをあえて無視するように、次の質問に移った。

「専攻は?」
「あたしねえ、あんまり学校行かなかったから、よく覚えてないんだよお、先公の名前」

「あ、いや、そうじゃなくて、学校で何を勉強したのかな?」
「ああ、何だっけ? え? 簿記? 履歴書にそう書いた? じゃあ、それでいいよ。ボキ、ボキッってねえ、あははは」
指の骨を鳴らす仕草で笑いを誘おうとしたあけみだったが、面接官たちは乗ってこない。淡々と質問は続く。

「弊社を志望される動機をお聞かせください」
「う~ん、それがねえ思いつかなくってさあ」
面接官たちは一斉に肩から崩れかけた。

それでも人事担当者は気丈に尋ねる。
「会計の専門学校に通っているってことは、経理関係の部署で働きたいということでは……」
「それ思ったこと一度もない」
と、にべもない返答。担当者はめげずに続ける。
「簿記検定とかの資格は?」
「そういうの無縁! 我が家は実力主義なのよお」

こうなれば担当者も意地だ。
「何か得意なコトとか好きなコトないかな。あくまでも仕事に関連することで……」
「強いて言えば、あたし物売る人にあこがれてんの」

ようやく、よ~やく質問に食いついてきたことに気を良くした人事担当者、前のめりになって聞いた。

「ほう。物を売る人。とすると、営業を志望かな」
「近所にいるのよお。顔は三枚目なんだけど物売ってる姿がカッコいい人が」
「セールスマンか何かですか?」
「さあ、お立ち会い。ご用とお急ぎのない方は、手に取ってゆっくり見てってちょーだいよ!」
いきなり声のトーンを上げ、売(ばい)の口上を始めるあけみ。
「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねーちゃん立ち小便……ってやつ」

あまりの展開に茫然となる面接官たち。それでも面接は投げ出せない。この空気を打開すべく、顔を寄せ合い、ヒソヒソと相談を始めた。

「いくら何でもひどすぎないかね」
「書類ではじいてないのか」
「まあまあ、80年代は個性の時代ですよ、個性の」
「あれが個性かっ。ああいうのはデタラメっていうんだっ」
「早く追い帰せ! 時間のムダだ!」

目の前の密談に蚊帳の外の人となったあけみは、じれて急かした。
「ねえ、まあだあ? 早く続きやろおよお」

その声に面接官たちは向き直る。そして、引導を渡すがごとく最後の質問をした。
「そちらから何か聞きたいことは?」
「じゃあ、ひとつあるんだ」
「ほう、何でしょう?」

「ここって、何してる会社?」

面接官の重役たちに、もう言葉を返す気力は残っていなかった。

あけみが通ったと想定される専門学校は、あけみの居住地や通学時間を考慮すると水道橋駅近くのこのあたりか(画像はあくまでもイメージ)。柴又からは京成線、都営浅草線、総武線を乗り継いで約50分。または京成バス・小55系統で小岩駅に出て総武線に乗り換えたほうが合理的か(約50分)。
あけみが通ったと想定される専門学校は、あけみの居住地や通学時間を考慮すると水道橋駅近くのこのあたりか(画像はあくまでもイメージ)。柴又からは京成線、都営浅草線、総武線を乗り継いで約50分。または京成バス・小55系統で小岩駅に出て総武線に乗り換えたほうが合理的か(約50分)。

「とらや」お祝い気分に湧く

この世にこれほどの番狂わせはあるだろうか。あけみは晴れて就職先が決まった。例の面接を受けた会社だ。あけみ自身も知らなかったことだが、地場の小さな玩具メーカーだという。

「よお、社長。あけみちゃん、就職先、決まったそうじゃないか」
「どんな会社なの?」

久々のめでたい話に浮き立つ竜造とさくら。「とらや」に顔を出した梅太郎に立て続けに聞いた。

「立石のおもちゃ屋なんだよ」
「まあ、かわいいね。あけみちゃんが子供相手におもちゃ売るのかい?」
「違う違う。おもちゃったって、売るんじゃなくて作るほうだ」
「あのあたりは昔っから、おもちゃ工場が多いからなあ」

そんな時、店の暖簾(のれん)をくぐる2つの人影があった。帝釈天の御前様とお供の源吉だ。

「ああ、ごめん。裏の社長さんは来とるかな」
「あ、これはこれは御前様。ま、ま、おかけください。社長、御前様だよ」
つねに促されて、梅太郎は店内に出た。

「ああ、社長さん。この度はあけみちゃんの就職が決まったそうじゃありませんか。よかったあ、よかった」
「御前様、たいへん恐縮です」
「これで社長さんも肩の荷が降りたのではないですかな?」
「いやあ、かえって心配のタネですよ。あいつにBGが務まるのかって……」
「やあね社長さん、BGだなんて。今はOLっいうのよ」
「おおえる? さくらさん。それは王と長嶋のことですかな?」
「御前様、それはON……OLってオフィスレディのことですよ」

「おふぃすれでい?」
御前様は目顔で(お前、知っとるか?)と源吉に尋ねるが、源吉も当然のごとくかぶりを振る。

「なんだか職業婦人のことみたいですよ」
つねが補足した。

「ほ、ほう、そうですか。それで合点がいきました。では、その職業婦人にくれぐれも励むようお伝えください。私はこのあと法事があるので、これで失礼します」
「もったいないお言葉、ありがとうございます。本人に伝えます、はい」

店を出た御前様、参道を帝釈天に戻る道すがら何度か首を傾げた。
「昨今、意味の分からん外国語が多すぎる。困ったあ、困った」

「ウシシシ」
忍び笑いでからかう源吉。そこに、間髪入れず御前様の叱言が落ちた。

「おまえは英単語のひとつでも勉強せんかっ」

タカラ、トミー(2006年合併、現・タカラトミー)をはじめ多くの玩具メーカーが集積する葛飾区。あけみが入社した会社もそのうちの1つか。とくに立石エリアはその中心地で、おもちゃの材料に使われたセルロイド工業の発祥の地でもある。東立石3丁目の渋江公園には関連の記念碑が。
タカラ、トミー(2006年合併、現・タカラトミー)をはじめ多くの玩具メーカーが集積する葛飾区。あけみが入社した会社もそのうちの1つか。とくに立石エリアはその中心地で、おもちゃの材料に使われたセルロイド工業の発祥の地でもある。東立石3丁目の渋江公園には関連の記念碑が。
渋江公園に建つ岬くん(@キャプテン翼)像。なぜこの公園に岬くん単体の像があるのか少々疑問だが、まあ、おもちゃの町らしく夢があっていい。
渋江公園に建つ岬くん(@キャプテン翼)像。なぜこの公園に岬くん単体の像があるのか少々疑問だが、まあ、おもちゃの町らしく夢があっていい。

タコの心配消えず……

御前様を見送った「とらや」では、まだあけみの就職話が続いていた。

「御前様も相変わらずね」
「でも、ありがたいことだよ、社長。あんなエライお坊さんからお祝いの言葉をいただけるんだから」
「でもさ、かえって恐縮しちゃうよ。だってウチのあけみだよ? ちゃんと務まる保証なんかないのに……」
「みんな最初はそうよ」
「さくらさんみたいに優秀だったら、丸の内の大きな会社でキーパンチャーでも何でも務まるよ。でもウチのあけみはアレだろ? もう心配で心配で……」
「お前もひとの親だね」

梅太郎は急に真顔になると、さくらに向き直った。
「なあ、さくらさん、こっそり見に行ってくれないか?」
「心配し過ぎよ」
「じゃあ、つねさん、頼むよ」
「なに馬鹿なコト言ってんだいっ」
「いいじゃないか~。こっちは心配で心配で仕事なんか手につかないんだよぉ」

「社長~、税務署から電話ですよ~」
その時、工員の中村君が梅太郎を呼ぶ声が届く。
「わかった。いま行くよ~」
梅太郎は仕方なさそうに応じた。

「あ~あ、オレの心配は税金なんかより今はあけみだよお。あけみぃ~」

嘆きながら工場に戻る梅太郎の後ろ姿を目で追いながら、竜造はつねに呆れて問いかけた。
「社長があんなんで、あいつの工場、ホントに大丈夫か?」
「知らないよっ。そんなことっ」

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数日後、葛飾区立石にあるあけみが勤める会社の門前には、1人の中華屋の出前持ちの姿があった。白衣をまとったそのフォルムは、梅太郎のそれによく似ていた。(つづく)

取材・文・撮影=瀬戸信保 イラスト=オギリマサホ

※この物語はフィクションです。映画「男はつらいよ」シリーズおよび同作の登場人物とは関係ありません。登場する企業は実在しませんが、もし似てる会社があったら教えてね。