株式会社 和光
銀座・和光では、10月10日(木)~20日(日)の期間、セイコーハウスホール(旧和光ホール)にて、「白磁」の重要無形文化財保持者(人間国宝)の前田昭博氏による、和光では10年ぶり4回目の個展「前田昭博 白瓷譜」を開催します。
郷里・鳥取県の豊かな自然の中に工房を構え、その身近な自然の季節の移ろいからインスピレーションを得て、「光と影が織りなす陰影の美しさを形態に表したい」という思いを端正な造形の白瓷(はくじ)の作品の数々に込めている前田氏。鳥取県に降り積もる湿度を感じる雪を想起させる、淡く青みを帯びてしっとりとした白色の肌、清冽な中にも温もりが感じられる独特な釉調を作り出しています。
轆轤(ろくろ)で厚めに成形をしたのち、自身の手により圧を加え、あえて手跡のかすかな痕跡を残しながら丹念に削っていく工程を経ることで、硬質でありながら柔らかさを感じる相反する要素を見事に融合させた作品を生み出します。
本年は前田氏の古希(70歳)の節目の年。「"用”を離れての器は成り立ちませんが、実用だけではカタチの面白さや美しさが少し足りないように思えます」と語る前田氏は、使うことを否定することなく白瓷の新たな領域を切り開いていきます。
壺を中心に、香炉や酒器など、「器のカタチ」を追求する前田氏の集大成ともいうべき作品70点の展観をいたします。穏やかで静謐な世界をぜひご高覧ください。
「白瓷面取香炉」 W12.7×H12.4cm
(奥)「白瓷面取酒器」(左)W8.5×H14.4cm、(右)W8.3×H14.0cm、 (手前)「白瓷捻面取盃」(左)W7.2×H4.0cm、(右)W6.5×H5.2cm
「白瓷面取壺」 W27.5×H34.4cm
撮影:斎城 卓
前田昭博(まえた・あきひろ)略歴
1954年 鳥取県に生まれる
1977年 大阪芸術大学工芸学科陶芸専攻卒業
1991年 第11回日本陶芸展 毎日新聞社賞 受賞
1997年 第10回MOA岡田茂吉賞展 優秀賞 受賞
2000年 第47回日本伝統工芸展 朝日新聞社賞 受賞
2003年 20回記念田部美術館大賞 茶の湯の造形展 大賞受賞
第50回日本伝統工芸展 第50回展記念賞 受賞
2004年 2003年度 日本陶磁協会賞 受賞
2005年 第60回記念新匠工芸展 60回記念大賞 受賞
2007年 紫綬褒章 受章
2010年 鳥取県文化功労賞 受賞
2013年 重要無形文化財「白磁」保持者認定
2015年 大英博物館所蔵「世界の至宝展」出品
2020年 2019年度 日本陶磁協会賞金賞 受賞
「前田昭博 白瓷譜」
10月10日(木)~20日(日)
会場:セイコーハウスホール(東京都中央区銀座4-5-11 セイコーハウス 6階)
お問い合わせ先:03-3562-2111(代表)
営業時間:11:00~19:00(最終日は17:00まで)
休業日:無休
入場料:無料
主催/和光
◎和光ホールは、「セイコーハウスホール」へ名称変更しました。
セイコーグループ事業全般に関連する展示や、アーティストとの共創など、世界に向けてさまざまな発信をしてまいります。
◎撮影をご希望の際は、営業時間外にて承ります。
営業時間および催事は予告なしに変更する場合がございます。
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