株式会社宮本卯之助商店
文久元年創業の宮本卯之助商店が、日本のものづくりを世界の日常生活に届けるお土産ブランドを発信。
文久元年(1861 年) の創業時から現在に至るまで神輿、太鼓など祭礼具や雅楽器の製造・販売を行う株式会社宮本卯之助商店( 本社: 東京都台東区、代表取締役社長: 宮本芳彦) は、「日本の伝統を浅草から世界の日常へ」をコンセプトとしたお土産ブランド「うのみせ」を本格始動させます。宮本卯之助商店、西浅草店店内一部をリニューアル、2024 年6 月6 日( 木) からプレオープンしておりました「うのみせ」が、2024 年 6 月22 日(土)ついにグランドオープンいたします。
<店舗写真>
<店舗写真>
■コンセプト
「日本の伝統を浅草から世界の日常へ」
1861 年の創業以来、浅草を拠点に日本の伝統芸能にかかわるものづくりを続けてきた 宮本卯之助商店が、江戸の洒落や、継承すべき日本各地の工藝文化、つくり手との出会いをつくるお土産屋「うのみせ」を作ります。
<ブランドロゴ>
■商品
ひとつひとつの土産物に込めるのは、つくり手の心意気と、確かなものづくり、そしてストーリー。伝統を継承しながらも現代の日常にすっと溶け込めるデザインを採用し、 日々使っていただけるものをご提案します。オリジナルの商品には日英併記での説明書をお渡しし、国内だけではなく海外のお客さまにも日本の文化をお伝えします。
浅草でしか買えないお土産としてうのみせオリジナル商品のオンライン販売は行わず、宮本卯之助商店「本社」と「西浅草店」でのみ販売いたします。
公式インスタグラム|https://www.instagram.com/uno_mise/
<アイテム一例
■コラボレーション
日本全国の伝統芸能、そしてそれを支える職人たちと深くつながる宮本卯之助商店ならではのコラボレーションを展開していきます。第一弾のプロダクトでは以下のみなさまと一緒にものづくりを 行いました。
久米繊維工業は、日本製 T シャツの 原点「色丸首」を開発した T シャツ 専門メーカー。 1935 年の創業以来、熟練の職人 と共に日本でこそ創りえる T シャツ を追求し続けています。
Web サイト|https://kume.jp
三社祭T シャツ|写真左
判じ絵とは、江戸時代(1603-1868)の庶民に幅広く親しまれた、絵を読み解いて答えを導き出すなぞなぞです。その発祥は、平安時代(794 AD ‒ 1185)後期にはすでにあったとも言われています。江戸時代に入ってからは、多くの浮世絵師たちによって多種多様に描かれ、大いに流行しました。このTシャツの絵柄では、3 人(三者)が「ま」という言葉を釣っている様子が描かれています。三者ま釣り、転じて「三社祭」が答えです。
旧字体浅草T シャツ|写真右
現在の浅草は、東京都台東区の町名です。実は、1878 年から1947 年まで、浅草は浅草区という独立した区でした。浅草区が区ではなくなった約2 年後に、当用漢字字体表(1949 年)が制定され、それまで使われていた漢字は「旧字体」として一般的には使用されなくなりました。本T シャツの表面に、浅草が浅草区であった時代の旧字体の「浅草」を使用しています。また、T シャツ背面には、松尾芭蕉による句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」の芭蕉直筆を元にした「浅草」という文字を配置しています。
○KUTANI SEAL( くたにしーる)
転写シールでつくる親しみやすくて楽しい九谷焼 加賀百万石の高級食器、九谷焼を「もっと皆さんの身近にしたい」という思いから生まれた テーブルウェアブランド。転写シールを貼って焼き付けたかわいらしくておめでたい絵柄と 遊び心が、普段の生活を少しだけ賑やかに、そして楽しくします。
Web サイト|http://kutaniseal.com/
■宮本卯之助商店とは
1861 年( 文久元年) に創業以来、神輿、太鼓・祭礼具や雅楽器の製造販売や修理、復元及びレンタルを行っています。祭と伝統芸能の保存と発展を使命とし、SDGs プロジェクト「森をつくる太鼓」 や和太鼓スクール Hibikus の運営、和太鼓アンサンブル「いやさかプロジェクト」なども手掛けて います。
Web サイト|https://www.miyamoto-unosuke.co.jp
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