アート・サプライ(達人)の記事一覧

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憧れのラーメン店主を目指して、独学でたどりついた板橋『麺屋 ほたる』のラーメン
2010年10月13日オープンの『麺屋 ほたる』は、JR埼京線板橋駅からすぐとアクセス抜群ながら、駅前の喧騒を感じさせないちょっと奥まった路地にある。今年で開業12年。震災やコロナ禍を乗り切ってきた店主の小島哲也さんが作るラーメンは、食べ歩きやラーメンの教本などで勉強して、ほぼ独学でたどりついた味だという。
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北千住『一軒家カフェ □□□(シカク)』は、路地裏の一軒家カフェ。しかし、その正体は⁉
『一軒家カフェ □□□(シカク)』は、超駅チカだ。迷わなければ、北千住駅から1~2分ほどで行ける。北千住駅西口を出て右手、丸井方向へ進む。丸井の前を通り過ぎ、小さな通りの信号機なしの横断歩道を渡ってコンビニとドラッグストアの間の細い道に入る。すぐ左に路地があり、そこ(立て看板があるのですぐにわかる)を曲がった右側2軒目、というのが駅からの道順である。
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北千住『CAFÉ Kova Garden』は、自分へのご褒美に訪れたい、可愛くて美味しいお庭。
北千住駅西口を出て左手の線路沿いを進み、踏切まで出たら右に。千住警察署の前を通り過ぎたその並びに『CAFÉ Kova Garden』がある。まるでおとぎ話の中から飛び出してきたような入り口は、そこだけ異空間のよう。ついさっき通り過ぎてきた警察署のリアルさとのギャップに戸惑いながら、そっと扉を開いてみると……。
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板橋の商店街になじむ『麺屋 はちどり』。毎日食べられるにぼしラーメンと女将の本格デザートが魅力
板橋区役所前駅から徒歩3分の旧中山道沿いの商店街。『麺屋 はちどり』は2015年4月1日にオープンした。路地を挟んで隣は昔ながらの酒屋さん、向かいは八百屋さん。昭和の風情が残るこの町で、煮干しの旨味を追究したこだわりのラーメンを出している。
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女性客であふれる板橋・大山商店街のラーメン店『morris』のシンボルは巨大バナナ?
隠れたラーメン激戦区、板橋・大山駅の商店街でお店を始めて2022年で14年目。なぜかバナナジュースも出す『morris(モリス)』は、女性にも大人気のラーメン店だ。今や多くの常連さんにも支えられる地元で人気のお店だが、時にカウンターの席が女性だけになるという、ラーメン店ではありえない光景もみられるという。
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名店揃いの日本橋でも評判の『日本橋 室町 紅葉川』。鴨せいろなら、やっぱりここ。
地名の由来となった日本橋からすぐのところにある『日本橋 室町 紅葉川』は、大正期の初頭に創業した老舗。毎朝石臼でゆっくりと挽く自家製全粒粉のそばと、柔らかくておいしい京都の鴨を使った鴨せいろや鴨南蛮は、名店ひしめく日本橋界隈でも人気が高い。もうちょっと食べたいときのうれしいサイドメニューもある。
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『季節料理 いし井』。日本橋で40年、身体にも心にもやさしい魚の定食で日本橋の人々に愛される。
大人の街日本橋で40年以上も続く老舗『季節料理 いし井』は、地下鉄日本橋駅からほど近い、目立たない小さな路地にありながら日本橋に勤める多くの人々に時代を超えて愛され続けているお店。特にお昼に供される魚の定食は「昼は毎日ここ」と決められている方も珍しくないほどの人気店だ。
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北千住『炭火焙煎珈琲 利休』。上品なママが営むヨーロッパ・アンティーク調の正統派喫茶店。
北千住駅西口を出て、北千住駅前通り沿いに続くきたろーど1010(北千住西口美観商店街)アーケード街の左側を日光街道に向かう。しばらく進み、3本目の路地を左折すると、遠目からもはっきりとわかる力強い文字で書かれた『炭火焙煎珈琲 利休』の看板が見える。駅から歩いて5分ほどの距離だ。
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北千住『Organic Coffee Stand WAN』。日光街道沿いの荒川を渡る千住新橋たもとのカフェ
徳川家康が整備した五街道のうちの一つ、日光街道(国道4号線)。起点の日本橋を発っていちばん最初の宿場町が千住宿だ。そんな歴史的背景を持つ北千住駅周辺は、商店街が名物といわれるほど新旧さまざまな店が立ち並びにぎやか。まさに街歩きにうってつけな北千住には、言うに及ばず魅力的なカフェも多い。今回は商店街の喧騒からは少し離れた、荒川の土手に近い『Organic Coffee Stand WAN』へと向かった。
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老舗洋食店『レストラン東洋』。日本橋の中心で50年以上の歴史をもち元日本橋勤務のシニアたちが今も集う
日本橋にある洋食の老舗『レストラン東洋』。かつて日本橋で働き今は退職された方々がこの味を懐かしがり、今も定期的に訪れることも多い。日本橋交差点からほんの十数メートルと、まさに日本橋の中心にあって、まだ洋食がそれほど一般的でなかった当時から日本橋で働く人たちの食を支えてきた。
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